一話 婚約破棄
「ずっとみんなを騙していたんだな、マリー・コールドウィン伯爵令嬢!」
そう言って私を指さし詰問するのは、このラルテル王国の王太子。
ブレダン=ジャン・ラルテール、浅葱色の髪にエメラルドの瞳を持つ、眉目秀麗な私の婚約者でした。
「ブレダン様」
彼の傍らには、胸を擦り付けるようにして、義妹のアナベナが立っています。
彼女は煌めく金色の髪を持ち、サファイヤの様な青い瞳、華奢で儚げな容貌は皆に愛されているらしいです。
「血が繋がらないとはいえ、妹を長年虐めていたそうだな!」
6歳でお母様が亡くなって、やって来たのが継母とアナベナでした。そこから私の地獄が始まったのです。
再婚するとお父様は私に興味関心が無くなり、新しいお母様は私に冷たくて。
そして、アナベナは私の何もかもを欲しがり奪い取った。それは、私のお母様が遺してくれた服飾品や玩具に始まり、最終的には私のために用意されていた部屋に至るまで全てでした。
抗議をすれば叩かれ、泣かれ、そしてアナベナが泣くと私が全面的に悪い事になるのです。
「そんな女が聖女の筈が無かったのだ!」
そんな生活が始まって2年経った頃。
私は部屋も屋根裏に追いやられ、家の中に居場所がなくなり。屋敷の片隅に流れる小さな小川の傍らで過ごす事が多くなりました。
そんな時です、小川の美しい流れの中に透明な妖精様の姿を見付けたのは。
「クスクスみつかっちゃった。あなたのかみも、おがわのようね」
私が隠れたる者を見つけ出すと、彼女はせせらぎの中の白い花を髪に挿して下さり、加護を授けて下さいました。
それは慣例に則り、私を助けて下さる力です。しかし私は――――
「私は自ら聖女などとは一度も申した事はございません」
「黙れ、言い訳は許さない!」
「殿下……私の話は聞いても下さらないのですね」
何時もそうですわね。誰も私の話など、聞いては下さらない。
元より私は、聖女では無いのです。
戴いた加護も水の魔術が強化されたり、多少強力な回復神術が使えたりする程度。しかし、ある時妖精様と話をしているところを大人たちに見られ、勝手に祭り上げられてしまったのです。
子供だった私は、迂闊でした。
それに、これで少しは私にも、注意を払っていただけるようになるのではと、愚かにも期待してしまった。
「聖女だからと婚約をしていたのだ、聖女で無ければお前などに、何の価値も無い」
そうして、周囲に持ち上げられるまま、王太子であるブレダン様との婚約が決まってしまいました。ブレダン様からしても、迷惑だった事でしょう。
しかしそれはお互い様、どちらも望んだ婚約では無かったのですから。
「私、ブレダン=ジャン・ラルテールは、ここにマリー・コールドウィン伯爵令嬢との婚約を破棄する」
続く言葉は婚約をしてから10年、決して短くない時間を共に過ごしてきた私を、執拗に打ち据えるようなものでした。
婚約破棄をするにしても今、この場でする必要はないではないですか?
こんな、学園の卒業式の記念パーティー等と言う晴れの日に、公衆の面前でする必要は全く無いはずです。
「そして、真に聖女であるアナベナ・コールドウィン伯爵令嬢と、新たに婚約を結ぶ事を宣言する!!」
その宣言を受けて、周囲の貴族子息子女たちから、万雷の拍手が贈られます。
ああ、皆様にとってこれも喜ぶべき慶事なのですね。だから、パーティーの場に相応しい余興とでも、思われていらっしゃるのでしょうか。
何の後ろ盾も無く、ただ聖女と思われているだけで王太子の婚約者の座に居た私は、それ程までに皆様に疎ましく思われていたのですわね。
「真の聖女とは?」
予定調和のように疑問の声が上がると、アナベナが待ってましたとばかりに涙を浮かべて、説明を始めました。
「皆様申し訳ありませんでした、私お姉様が恐ろしくて、聖女の力をお姉様のものに見えるように振る舞っていたのです。水の妖精様にも、お姉様とも仲良くしていただけるようにと、お願いをしていました」
「アナベナ、君が気に病む事は無い、全て悪女マリーがやらせていた事なのは解っているよ」
ブレダン王太子が、震えるアナベナの肩を抱き寄せ、涙を拭うと周囲から感嘆のため息が聞こえます。
なるほど、全てが打ち合わせ通りと言う事なのですね。
これでは本当に余興にも劣る、茶番劇です。
「そこの悪女を捕縛せよ!」
次に彼が命じると、王太子の側近である騎士団長子息と魔術師団長子息が、私を両側から取り押さえました。
私は少しも抵抗しようとしていないのですが、強い男性の力で腕を捻られ、後ろ手に押さえつけられ、会場から引きずり出されます。
もう少しゆっくり歩いて下されば、自分の足で歩くのですけれど。
「……つっ」
「往生際の悪い」
ああ、足を縺れさせ、アナベナのお古でサイズの合っていなかった靴が、片方脱げてしまいます。
当然、その行方を確かめる事も出来ずに、何処かへと失われてしまいました。