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第4回公判に向けて 後編




 明け方、築年数45年、都内で敷金礼金0、家賃4万5千円という8畳ワンルームの安アパートで目を覚ます。北区赤羽にあるこの物件の決め手は安さと職場への近さだった。

 ユニットバスに備え付けのベッドはシングルで固く。同じく備え付けのIHコンロと小さな冷蔵庫、そして半畳ほどのクローゼット、正直、引っ越しで持ち込んだのは洗濯機とテレビと掃除機くらいで、あとは単身者の私には不要だった。想像よりは遥かに快適に過している。ベッドの固さだけはきつかったので、そこだけマットレスを買い足した程度だ。


 ベッドサイドに本棚として利用している据え置きのカラーボックスの上から、時間を確認するために、メガネとスマホを取る。所長からのメッセージが届いているのを確認して、すぐにメールフォームを開く。


 一昨日の打ち合わせのあと、すぐに篠田音研へと音声データを送ったあと、自分でも何度か聞いてみるも、オペレーターと通報者の女性の後ろに別の声があるとは思うものの、やはり内容までは聞き取れなかった。メールには篠田音研より、解析結果が出たこと、それを踏まえて通報者の女性にあう、アポイントを取ったことが書かれている。

 急いで支度をして、所長に事務所に向かう旨を送ると、すぐに篠田音研で現地集合しようと、メッセージが返って来る。

 現在時刻は7時を回ったころ、所長は9時に現地でとのことだが、早く着けるようなら朝食を一緒にどうかと誘われる。単身者の私と違い、朝は奥さんと食べている所長が気を使ってくれているのはわかるが遠慮なく、是非、と送り返す。

 赤羽駅に到着したのは7時20分ごろ、ここからJR埼京線通勤快速で渋谷へと向かい、東京メトロ銀座線へと乗り換え、表参道で2度目の乗り換えを経て代々木公園駅へと向かう。平日の通勤時間らしく、満員電車にぺしゃんこにされながら、30分ほどで目的の篠田音研の徒歩圏内まで来た。

 所長とは代々木公園近くのカフェで落ち合う約束をしていて、指定された店にナビ頼りで向かう。

 目的の店「cafe tokyo」へとたどり着くと、8時開店で店を開けたばかりだろう、closeのプレートをひっくり返す店員と和やかに話している所長がいた。


 「おはよう、早かったね、もう少しかかると思ったよ」

 朝から爽やか過ぎるスマイルの所長に少し辟易しつつも、だいぶ東京にも馴れたようですと返す。店内に入り、落ち着いた雰囲気に癒されつつ窓際の席に着卓して、モーニングメニューの中から小倉トーストとサラダのセットを頼む。私もすっかり所長の甘党がうつっているが、所長の年の頃には立派なメタボだろうなと自戒していると、所長はなにやら店員と話している。

 「では、スペシャルセットですね」

 「そうだね、今日は久しぶりに来たし、ジャムも砂糖も多めでって伝えといて」

 「わかりました」

 笑顔で去っていく店員を見たあと、メニューにスペシャルセットなんてなかったよなと確認する。 

 「裏メニューかなんかですか」

 「あー、ここのマスターがね、僕の度が過ぎた甘党ぶりに面白がってつくったセットなんだ」

 なんと無く想像がついたので、それ以上は突っ込まないことにして、オーダーした商品を待つ。

 エスプレッソの香りとともに、それを打ち消す甘い匂いがしてくる。右手にトレンチを一つ、左手には手にトレンチを載せ、手首と肘の間に挟むようにもう一つトレンチを載せている。

 「相変わらずの名人芸だね~」

 所長がそんな風にこぼすが、本当に驚いた。カフェテリアの店員でこんなトレンチワークする人は初めてみる。

 「彼はね、元々フレンチレストランのギャルソンだったそうだよ。ここのマスターとは旧来の仲で出店にさいして、マスターに頼まれて雇われたそうでね。名物ウェイターなんだ」

 手早くも丁寧に料理やドリンクが並べられていく、それぞれ、言葉少なく、然れど過不足ない加減で商品とその説明がはいる。

 私の前には並べられたのは彩りも豊かなサラダがアンチョビとオリーブオイルの香りで食欲をそそり、メインの小倉トーストは厚切りの香ばしく焼き目のついたトーストにたっぷりのバター、小倉あん、ホイップクリームが載せられている。香りの強いエスプレッソの苦味と良く合いそうで食べる前から美味しそうだ。

 所長の前をみて絶句する。いや私の分だけならトレンチ一つで収まるものを三つも持って来た時点で想像はついたが、まず、私と同じサラダがサラダボウルにはいっている。私のは小鉢だ。対角線に切られたホットサンドからは溶けたバターと小倉あんが覗いていて、かけられたホイップクリームがとろけている。かなり分厚いフレンチトーストにはたっぷりのメイプルシロップとシュガーパウダーで砂糖菓子のようだ。さらにはやっぱり分厚いトーストにはみ出るほどのバターとジャムが塗られて、何故かシュガーパウダーがこれでもかとかけてある。さらには分厚いスポンジケーキのようなパンケーキにはバニラアイスが添えられて、生クリームとチョコソースも見栄えよくかけられている。むしろ、この量をよくトレンチ三つに載せて来れたものだ。元ギャルソンというのは伊達ではない。

 所長はカプチーノに角砂糖を入れて溶かしながら、美味しそうだねー、なんて言っているが、さすがに胸焼けしそうに甘ったるそうなラインナップに驚愕する。

 「ホントによく太りませんね」

 「太ったこと無いんだよねー。鞠子にも嫌味を言われるよ」

 そりゃ、奥さんからすれば、これだけ甘いもの食べて太らないなら女性として羨ましいだろうと思う。

 「それで、音声解析の結果が出たってことでしたが」

 「あー、昨日の深夜に連絡が来てね、忙しい中でかなり優先して処理してくれたようで、頭が下がるね。でね、亜久里くんの読み通り、凄い情報がはいったから、昨日のうちにAZUMA TVへと問い合わせて、通報者である。企画制作部のAD鈴原 律子さんとのアポイントを取ったんだ」

 「よく、夜のうちにアポイントが取れましたね」

 「ダメ元でね、問い合わせたら、無事にアポイントが取れてね」

 さすがの所長の根回しと行動力だと思ってしまう。

 アポイントが運よくとれたと言っているが、間違いなく嘘だろう。事件に関係する人物すべての情報と、何かあったときにすぐにアクションできる下準備をして、即応できるからこそ、所長は強いのを知っているからだ。

 「勿体無いが後が押してるからね、ちゃっちゃと食べようか」

 そう言っている所長の前は、先ほどから説明など話していたにも関わらず、すでに半分ほど減って、カプチーノのおかわりまでしている。


 「色んな意味で凄いな所長は」

 思わずこぼれた私は悪くないと思いたい。



 cafe tokyoをあとにした私たちはそのまま篠田音声研究所へと向かう、9時の10分ほど前くらいに到着した私と所長は、所長が先導して中へと入り受付にてアポイントの確認をしていると、小柄な体躯を白衣でつつみ、白髪をオールバックに撫で付けて、豊かな口髭で顔の下半分が覆われた人物に声をかけられる。

 鼻が高く彫りが深い顔には皺がくっきりと浮かんでいて、それにもまして笑い皺で顔中をくしゃくしゃにしながら陽気かつフレンドリーなこの男性こそ、この篠田音研の所長、篠田 文昭所長だ。

 「ようこそ、ようこそ。待っとったよ。ささ、こっちへ」

 「お忙しいところ、申し訳ありませんね」

 「おはようございます、よろしくお願いします」

 早々に奥へと歩みだす篠田所長の背中に私と所長は返事と挨拶をしながらついていく。

 所長室とプレートのついた部屋へと入り、促されるままにソファーへと座った私と所長の対面に座った篠田所長は立ち上がったままのノートパソコンを操作している。

 「預かったデータから、オペレーターと通報者の声を消して、周辺のノイズも粗方、掃除してね。すると確かに何人かの声が入っていたよ」

 「それで、どんな内容だったんでしょうか」

 所長が問い掛けると、篠田所長はパソコン画面をこちらに向けてからenterKeyを叩いた。


 『おい、なんであいつ、通報してるんだ』

 『いや、さすがに容態が心配だからでしょうか』

 『配信中だぞ、誰か止めろっ』

 『いや、佐々木さん不味いですって』

 『さっきの指示を聞いてるよな、どうせたいした怪我じゃないんだ。配信が終わってから病院にでもなんでも送ればいいだろ』

 『いや、不味いですって、怒鳴ったら向こうのオペレーターに聞こえます』

 『おいっ』


 「ここまでですね。ここで交信が終了しています」

 パソコン画面を元へと戻しながら、篠田所長は告げる。

 「誰の声でしょうか」

 私の呟きに所長が反応する。

 「佐々木さんと呼ばれていたね。あの現場で佐々木と名のついた人物で、かつ指揮権を持っていると思われるのは佐々木 郁夫プロデューサーしかいないかな」

 「そう思ってね。過去にAZUMA TV関連や元のネットエージェンシー時代にメディアに露出したさいの声と声紋比較したが、ドンピシャだったよ」

 そういって、10年ほど前のAZUMA TV立ち上げにさいして、事業内容について応えるインタビュー音声を再生してみせる篠田所長。

 「さすが、仕事が早いですね。もう一人は現場総括の森岳ディレクターでしょうか」

 「さすがに特定できる情報はないが、声紋パターンはコピーしてあるから、本人に喋って貰えば白黒つくね」

 「まあ、佐々木プロデューサーについて確定してるだけで十分でしょうね」

 そう言ったあと所長は私の方を見ると、にっこりと笑った。

 「お手柄だよ。これは」


 篠田音研をあとにした私たちは昼食をとったあと、AZUMA TV近くへと来ていた。先方の希望で社屋近くの個室のあるカフェへと足を運んでいた。

 予約された席で待っていると彼女が来る。


 「遅くなりました、鈴原 律子です」

 「いえいえ、お呼び立てして申し訳ありません。私は一度お会いしていますが、彼は初めてですね。私の事務所の新人で植木 亜久里といいます」

 「植木です。お願いいたします」

 お互いに淀みなく挨拶を交わして着卓する。

 取り敢えず、会話中に商品が来て途切れても気まずいので、先にオーダーを済ませて商品が来るのを待って、本題へと切り出す。

 「以前にお会いしたときに通報をされた時の状況を教えて下さいましたね」

 「はい、話したと思います」

 「通報が遅れたことについては、撮影クルーの多くが浅科選手を追い掛けるなか、被害者の菅原さんはうめき声を出して動き初めていたと、だから、その場にいた関係者が『痛がっているが起き上がるだろうと』そう思ったと」

 「はい、そうです。佐々木プロデューサーが真っ先に声をかけて、大丈夫かと訪ねると、『大丈夫です』と答えたので、スタッフが安心して」

 「その後、全く呼び掛けに応じなくなり、慌てて通報指示が飛んだことで混乱、手近にいたあなたが通報した、改めて間違いないですか」

 「はい」


 そこまで話した所長はタブレットをバッグから取り出すと、音声再生アプリを起動した。


 「これから聞いて頂くのは、あなたが通報したさいの交信記録に混じっていた。第三者の声を音声解析で取り出したものです」

 そう言って再生された会話に鈴原さんはみるみる青ざめていく、いや、違う。違うんです。と小声で震えるように洩らす彼女にたいして、再生を止めた所長が優しく話しかける。

 「鈴原さん、あなたは現場にあって、唯一、被害者の容態を慮り、ご自身の判断で通報されたんだと思います。だいぶ立場も悪くされたんじゃありませんか。私たちが全力であなたを守ります。証言台にたってもらえませんか」

 そう彼女を見る所長と、顔を上げた彼女の視線が交わる。一瞬のあと、俯いて拳を握りしめた彼女は、長い沈黙のあと、一言

 「証言させてください」

 確かにそう言った。


 

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