第4回公判に向けて 前編
公判を4日後に控えたこの日La Bilanciaへと、私と所長は足を運んでいた。九条検事と会食がてら、打ち合わせをするためだ。
「いやー、あの店はね、スイーツも美味しいけれど、パスタとピザもいいんだよ。特に大葉の和風ジュノベーゼ、明太ソースがけが最高なんだ」
美味しそうではあるが、もうイタリアンな面影は何処にもないメニューが面白い。
夕方過ぎの日比谷公園はすでに街頭が灯っている。東京メトロ、霞ヶ関駅を出て東京地裁へと立ち寄り、丸の内へと向かう。田舎出の私からすれば、たいした距離ではないとも思えるが、都会育ちの所長なら徒歩ではなく、電車やタクシーを利用したくなるのではと、いつも思うのだが、基本的に時間に余裕があれば一駅二駅くらいは歩いて移動することが多い。長身なこともあって健脚な所長は歩くのも速いが、一緒に行動する私に合わせてくれるのが有難い。
「所長は歩くのがお好きなんですか。私も田舎出なんで歩くのは慣れてますが」
「ん、そうだね。意識して歩いてはいるかな。体力は弁護士の命だし、足は健康の源だからね」
所長は『弁護士はスタミナだよ』と良く言うが、その鍛練も兼ねているわけだ。スポーツも万能で、トレーニングも欠かさない所長らしい。
私達が約束の時間より、やや早く到着すると、店内にはすでに珈琲を片手にタブレットを操作する九条検事がいた。
「遅くなってしまったね。待たせたようで」
所長が声をかけると、視線を上げた九条検事は軽く手を上げて、早く着きすぎただけだよと笑顔で返している。
「夕食を取りながら話をするつもりだったんだけど、注文はどうする」
「悪いがこういう所は来慣れてないんでね。お薦めのものを適当に頼んでくれないか。俺は食えないものはないしさ」
「相変わらず、外食はしないんだね。昔は出来合いの惣菜や冷食ばかりだったみたいだけど、今は奥さんの手料理かい」
「あいつが作る飯だって、スーパーの惣菜と冷食がメインだよ。まあ、食えれば文句なんてないけどな」
付き合いの長さを感じるやり取りに、検事と弁護士という立場ながら、同門としての繋がりを感じる。所長と九条検事は大学時代は先輩後輩の間柄だったそうで、なんと、あの本橋先生も出身は同じだそうだ。そういう私も同じ大学の法学部出身で所長に憧れて入学してたりするんだが。
「食に拘りがないと言うより、栄養補給出来れば問題ないって感じだよね、ホントに」
「流石に不味いもんは積極的には食いたかねーぞ」
「はいはい、ここは美味しいから大丈夫だね」
所長は馴染みの店員を呼ぶと手早く注文していく、3人で食べるには多すぎではと思う量だが、所長は細身の割には大食漢だし、九条検事も大男なので問題ないのだと思う、私も人よりは食べるほうだ。
「先生、今日はリングイネとフィットチーネの生パスタがありますよ」
「いいねー、大葉の和風ジュノベーゼはリングイネにしようかな。フィットチーネがあるなら、もう一皿はクリーム系がいいかなー」
「トマトソースにクリームを加えて煮込んだスープパスタなんてお薦めですよ。モッツァレラとチェダー、パルメザンと三種のチーズにバジルをかけてと定番の組み合わせですが」
「いいね、大皿のパスタはそれで決まりだ」
「そのくらいにしてくれ、どんだけ食う気だ」
「大丈夫だよ、なんなら全部、私一人で食べれる量だ」
「はぁー、なんでそれで太らんのだ。理不尽め、俺なんぞ、最近下っ腹が出て来て嫁に運動しろって言われてんだぞ」
九条検事の愚痴をしばらく聞いて、料理が運ばれる前に本題に入ろうと私は切り出す。
「で、次の公判なんですが」
私の言葉に九条検事が反応する。所長は早速運ばれて来た前菜のアボカドを加えたカプレーゼに夢中だ。
バジルとオリーブオイルの香りが食欲をそそるので集中しずらい。
「ホントに食が絡むとこいつは。あー、植木さんだったかな、これといって予定に変更は無くて大丈夫だろう。次回はついに被告自らの証人尋問だが、こちらの有利は然程揺らいでいないしな」
自信満々に答えた九条検事にたいして、トマトを口一杯に頬張った所長が慌ただしく咀嚼してから話しかける。
「んっ、んぐっ、確かに我々の勝利条件を考えるなら、有利は間違い無いんだが、どうにも本橋先生は浅科被告を切って、AZUMA側の減刑を狙ってそうだよ」
「あー、それは感じたな。あの公判のあと、マスコミやメディアも掌返してAZUMA擁護し始めたしな」
九条検事が苦々しい顔で応じる。確かにイブラヒム氏の証言から、露骨な浅科バッシングは無いものの、AZUMA側は問題なく安全に配慮したんでは無いかとの論調を取るコメンテーターなどが増えた。
注文した大皿のパスタやLLサイズのピザがところ狭しと並べられる。
「3人のはずが、予約席に案内されたら6人席だった理由がわかったよ」
九条検事がげんなりした表情をしている。所長にお付き合いして食事することの多い私は慣れてしまったが、やはり普通に考えて多いよな、と改めて思う。
「九条検事、頼んでいたものは持ってきてもらえました」
私はふと思い出して話しかけた。
「頼んでいたもの、…あーっ、ちょっと待ってな。えーっと、あった、このUSBに音声データとして入れてあるよ。使ってない空のUSBだから、頼まれたデータしか入ってないんで、気兼ねなく借りてってくれ」
「すいません、わざわざ」
私の言葉に直ぐにカバンから取り出して渡してくれる。横で所長のなにかを盛大に飲み込む音がする。
「それは昨日、頼んでた奴だね。確か事件当日の災害救急救命センターでの交信記録だったかな」
「はい、検察がもっている証拠物品の中から、許可を貰って音声データをこうしてコピーして貰いました」
向かいで九条検事はサラダをつつきながら、話しかけてくる。
「でもなー、それ、一度聞いてると思うが、通報者とオペレーターの声しか入ってないぞ」
それには所長も確かにね、と頷いている。しかし、私はこの音声データがずっと気になっていた。
「気のせいだとは思いますけど、前に証拠を精査するために所長と聞いた時に、後ろに別の声が入ってる気がしたんです。私、耳は異常にいいんですよ」
「だとしても、それが何かの役にたつかね」
九条検事は茶化すとかではなく、本当にそう思っているようで、何か思案するように表情を歪めて聞いて来る。
「いや、もし本当に現場の声が入っていたなら、AZUMA側が隠している事実が出てくるかもしれないよ」
意外にも所長が援護射撃をだしてくれる。
「その音声データ、昨日のうちに頼んでいるから、後で音声研究所の篠田所長のところに送ろう」
「えっ、あの篠田先生ですか」
更に所長が隠し玉を投げてくる。声紋研究や音声解析の第一人者にしてスペシャリスト、篠田音研こと篠田音声研究所の代表 篠田 文昭先生に音声解析を依頼しているというのだ。
「いつの間に頼んだんだ。随分と手回しがいいじゃないか」
「未来のエースが怪しいと睨んだんだ、その勘に期待するのは間違い無いよ」
「おっ、それは頼もしいな、何が出てくるか、期待してるよ」
ただ、すこしばかり気になっていただけで、確かめるのも、すこしでも有利な情報が万が一にでもあればってだけなのに、冗談だとしてもプレッシャーのかかることは止めて欲しい。
そのあと、公判の方針を再度確認して、意外にも少食なのか、あまりにも出てきた食事の量に圧倒されたのか、たいして食べることの無かった九条検事と、途中から謎のプレッシャーで食欲が減退した私の二人を尻目に所長は更に大皿のパスタを追加オーダー、スイーツも存分に食べて、周囲をドン引かせていた。
「ここの会計は私が払うよ」
「当たり前だ、8割がた食っといて割り勘って言われたら、払うけど怒るぞ」
そう言いながら、千円札を2枚ほど出した九条検事に「利益供与は良くない」と前回の本橋先生のネタをやった所長は普通に怒られてた。
「私も出しますよ」
「こういう事を言うと、色々と煩い時代になったが、若いのは奢られときゃいいんだ」
「そうそう、未来のエースへの先行投資だから気にしない」
財布に手をかけるも、二人にあっさりと止められてしまった。社会人って、難しい。
レジ横の天秤を見て所長の胸元のバッジに自然と視線が行く。
「そういえば、所長も天秤座産まれでしたっけ、誕生日」
そう言って、何か引っ掛かりを覚えつつ、この日はお開きとなった。




