本橋弁護士と所長
公判のあと、いつもの囲み取材を終えた所長は私にお茶でもどう、と誘ってくれた。
「いいですね。行きますか」
そう応じて私達は地裁近くの喫茶店La Bilanciaへと足を運ぶ。
表看板には意匠を凝らした天秤のレリーフが描かれていて、店内はさっぱりとした印象の内装で外連味なく落ち着いていて、とても良い雰囲気だ。
「変わった店名ですね」
「きっと店主が9月か10月産まれなんだよ。ここはエスプレッソも美味しいけれど、スイーツが最高なんだ」
大の甘党の所長が嬉しそうに話す。私は実はあまり甘いものが得意では無いのだが、所長の連れていってくれる店は本当に美味しいので、意外と食べれてしまうから期待してしまう。
テーブル席に座りエスプレッソを2つ頼み、所長は和風セミフレットを私はラムレーズンとベリーのビスコッティを頼んで、他愛ない会話をして待つ。
ややあって、商品が来ると所長は輝かんばかりの笑顔を見せる。最愛の細君が曰く「あの人は見た目は粋人気取りだけど、中身は純粋な子供なのよね、だから余計にモテるのよ」と気苦労を語られたのを思い出す。まあ、心配するのは良くわかるが、本人が奥さん一筋で他は全く眼中無いのが一目瞭然ではあるのだが。
所長が頼んだセミフレットは少し珍しい、抹茶をまぶしたと思われる小さな白玉とつぶ餡がはいっていて、確かに和風って感じだ。ソースにかかってるのは黒蜜だろうか。
「すごいよ亜久里くん。このセミフレット、バランスが神掛かってるよ」
エスプレッソを飲みながら、丁寧に切り分けたセミフレットを味わうように食べながら所長は興奮気味だ。どうリアクションしたものかわからないので、へーすごいですねーなんて生返事になってしまう。これに100%の返しが出来るのはやはり奥さんしかいないために、所長夫妻の円満ぶりは砂糖より甘い。
「しかし、さすがは亜久里くんだね。この店の隠れNo.1を頼むなんて」
キラキラした目で言われてもただの偶然だ。一番甘く無さそうなものを選んだだけなんだけれど、所長はスイーツが絡むと駄目になるのが面白い。
「確かに美味しいですね。シナモンがとても良い感じです」
「わかってるねー。そうなんだよ、ラムレーズンに3種のシロップ漬ベリーを生地に練り込んで2度焼きしてるんだけど、僅かに生地に練り込まれたシナモンが奇跡的な調和を生み出している。やー亜久里くんはやっぱり素晴らしい人材だ」
いや、何となくシナモン入ってるんだー、だけで言った感想で評定まで上がるのはやり過ぎだと思うけれど、こういった気さくさが私を含めて所員たち全員に愛され頼られている一因だと思う。
そんな風に過ごしていると意外な人物が現れた。入店を知らせるベルの音に何とはなしに目を向けるとそこに居たのは本橋先生だったのだ。
「所長、本橋先生が来ましたよ」
私がそう伝えると所長は振り返って手をふりつつ立ち上がる。
「本橋先生、奇遇ですね」
所長の言葉に一瞬、戸惑ったように間をおいた本橋弁護士は、すぐにいつもの軽薄そうな笑顔を貼り付けて歩み寄って来る。
「いやー、本当に奇遇ですね。良く来られるんですか、何となく喉が渇いて寄ったんですが、オススメとかあります、あっ相席してもいいです」
畳み掛けるように言って、承諾を得る前に私の横に座りながら、聞いて来るメンタルはさすがとしか云えない。
「いいですって聞くなら、せめて了解を得てから座ろうよ」
所長が苦笑いしながら座り直す。元々、歳も近く、同じく弁護士をしている二人は仲は悪くない。というよりは本橋先生が所長に絡んでくることが多いような気もする。今回も所長が原告代理人になったあと、本橋先生は被告弁護人に名乗りを上げている。その時、所長はボソッといい加減に執念深いなと溢していたが、実は過去には企業の顧問弁護士だった本橋先生が、被害者の代理人として所長に起こされた裁判で黒星を付けられたことがあり、結構そのことを根に持っているらしい。
暫く談笑しながら所長が追加で頼んだズコットを切り分けて食べる。顔馴染みらしい店員に所長が新商品について聞いて、そのまま頼んでいた。
「黒豆やずんだを使ったセミフレットにマロンクリームを合わせて紅茶を練り込んだスポンジで包む、なんとも想像しづらい組み合わせだけれど、やはりここの職人は素晴らしい、この絶妙な配分で全てが引き出されて引き立っているね」
真横で草薙先生はいつから食レポに転職したんだいと言って来る本橋先生に平常運転ですと返して爆笑される。全く、今は敵同士なのになにをしているんだと思うものの、まあ、プライベートまでバチバチする必要もないかと納得する。
「ところでさ、君は浅科被告をいつから切り捨てるつもりだったんだい」
突然、所長がそんなことを問い質したのは、ズコットの甘さに少し辟易した私が失礼を承知で「お腹が一杯になってしまって、食べますか」と聞いて、勿論っ! と良い返事で差し出した皿を受け取りながらだった。
そんなタイミングだったから、私は一瞬、自分に言われたのかとパニックになるも、すぐ横から返事が返って行った。
「切り捨てなんて人聞きの悪い、俺は全力でAzuma TVも浅科被告も無罪を勝ち取らせるつもりですよ」
いつもの笑顔を浮かべる本橋先生と優しそうな笑顔を浮かべる所長の間に言い知れない圧が出来て気圧される。手に食べ掛けのズコットの乗った皿を持ったままなのがシュール過ぎて、逆になんとも言えない空気が漂う。
結局、そのあとは公判についての話はせずに喫茶店をあとにする際にはここは私が出すと言う所長に「利益供与は受けられない」と本橋先生が割り勘を提案して、ちょっと揉めたくらいで解散となった。
事務所に帰る電車内で私はあの質問について聞いてみる。
「守秘義務があるからね、露骨に聞いても答えて貰えないだろうと、あのタイミングを狙ったんだけど、さすがにポロっと溢すような人じゃないよね」
そんな風に苦笑する所長に私はさらに質問を重ねる。
「浅科被告を切り捨てるってどういう意味ですか」
「んー、僕たちはさ、企業の顧問弁護士として無敗に近い戦歴を持つ本橋先生の得意分野を失念していたよねって、今日の公判を見て思ったんだよ」
「得意分野ですか」
ガタゴトと揺れる電車内で所長がうんと頷いて
「彼は個を切り捨てて大を救う。僕と真逆の弁護士だったことをね、思い出したんだよ」
「個を切り捨てる」
私はまだ要領が掴めずに狼狽する。
「この裁判、原告の望みは被告が法的な制裁を受けることで、被告側の主張は責任制限や、違法性阻却事由があることによる無罪だと思うよね」
「ええ、被告の責任にたいして違法性が阻却出来るかどうかが最大の争点ですね」
「それは間違いないんだけど、もし、被告のうちAzuma TV側の勝利条件がそこではなくて、それを本橋先生がサポートしてるとすれば、僕たちは本橋先生に嵌められていたことになる」
ますます、意味がわからずに困惑する私に、所長は丁寧に解説してくれる。
「今日の公判、イブラヒムさんは本心から後悔と自責を感じているとわかるけれど、あの証言から読み取れるのは企画側がかなり入念に準備したという新事実とそれを台無しにしたのが浅科被告と被害者自身だという主張へのリードだ」
「確かにそれは思いました」
私が相槌を打つと満足そうに頷いて所長は続ける。
「だが、おかしくはないかい、結局のところ、浅科被告にたいしては不利になってる」
「あー、そうですよね。せっかくの台本を被害者の暴走が先とは言え、結果的には一番棄損している形になりますからね」
「そういうこと、なら、Azuma TVや周辺は浅科被告を切り捨てて、スケープゴートにする腹積もりだったんじゃないかな」
「本橋先生は浅科被告に全ての責任を被せるようにミスリードして、Azuma TV側の減刑や無罪の勝ち取りを狙ってると」
「そもそも初めから本当に無罪を狙ってるのか不思議だったんだよね。浅科被告はそうかもしれないけれど、会社側はある程度は減刑が出来れば良いと思っていたと思うんだよ。そうなると、僕たちは今まで有利に進めていたと思っていた公判が実は本橋先生一人に操られてたかも知れない」
そんなに思惑通りいきますかね、そんな風に自信なく返すと所長は笑顔をこちらに向けながら
「まあ、考えすぎかもしれないけどね」
そんな風に笑っていた。




