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プロローグ



 「では、亜久里(あぐり)くん、用意も出来たし向かうとしよう」

 必要な荷物を大急ぎで纏めている私にこう声を掛けながら、とうの本人は颯爽と外へと向かっている。この草薙弁護士事務所の所長で弁護士の草薙 大翔(ひろひと)弁護士だ。

 今年、司法試験を突破した私こと植木 亜久里は、今年の4月、大学卒業後にこの事務所へと司法修習生として赴任した。

 北区赤羽駅周辺にある事務所から東京地裁に向かうため、霞ヶ関駅までは乗り継ぎを含めて30分ほど、そこから地裁につくまで徒歩で10分くらいだ。

 「待って下さい、所長、まだ準備が」

 「必要な行動を時間を逆算して優先順位の高い物から片付ける、そうすれば十分に余裕を持って行動できるはずだよ」

 「申し訳ありません。今後は気を付けます」

 頭を下げる私に、まあ、仕方ないさと言いながらディスクに戻る所長。

 「まだ、15分は余裕があるから、忘れ物のないように準備しなさい」

 そう言ってカップベンダータイプの自販機でエスプレッソを買う所長は、君もいるかい、と投げて来る。遠慮を嫌う方なのは短い付き合いで覚えたので、アメリカン、砂糖入りで、とだけ答えておく。


 所長は弁護士5人に事務員2人の大きいとは言えないが、そこそこの規模のこの草薙法律事務所を20代のうちに立ち上げた、遣り手の弁護士だ。

 今は36歳で立ち上げ時からのスタッフだという事務員が奥さんだったりする。

 186センチと長身でスタイルも良く、本人は純国産だよと笑うがハーフかクォーターのように日本人離れした、若干だけれど西欧風なくっきりとした目鼻立ちのイケメンで、でも表情が穏やかで険が無いので威圧感は無い。

 都内の老舗で設えたというオーダースーツはクラシコイタリアの加盟サルトで修行したという職人の手で伝統的な絞りの入った三つ釦のスーツにスカーフをさりげなく襟元で見せるように巻いている。

 金属アレルギーでね、と良く言う所長は愛用の懐中時計で時間を見ながらエスプレッソを飲んでいる。


 特に語ることもないほど、凡庸な見た目の私は人並みの170強といった身長の短髪に眼鏡な23歳だ。

 「用意出来ました」

 「うん、約10分、素晴らしいよ、では向かうとしよう」

 赤羽駅周辺の雑居ビルのワンフロアを借りきって事務所としている草薙法律事務所は10階建てのビルの6階にある、エレベーターに乗り込むと草薙所長が話し掛けて来る。

 「依頼人との折衝を任せてしまって、申し訳なかったね」

 「いえ、何事も経験ですから」

 今回の依頼は諸々の事情で出廷が困難な原告の代理人をしてもらいたいと言うものだ。所長は多忙なこと、私自身の経験を積むためと依頼人との打ち合わせは私が行った。

 今回の依頼人は原告であり、告訴した相手はインターネットライブストリーミングサービスを展開するネットサービス大手の株式会社AZUMA TVと出演者だった現役格闘家 浅科 (まくる)だ。

 依頼人は菅原 美智子さん、彼女の息子である菅原 泰地氏は、先のAZUMA TVの企画に参加、プロ格闘家である浅科氏に挑み、撮影中の事故で死亡したのだ。

 菅原 美智子さんの訴えは、息子さんを死亡させたAZUMA TVと浅科 捲にたいして、法的責任に則して罪に問うて欲しいと言うものだった。


 移動中、私は所長へと語りかける。

 「然し所長、浅科氏に対して傷害致死はわかりますが、AZUMA TVに業務上過失致死及び安全配慮義務違反としたのは何故ですか」

 「訴状の話かな。浅科氏は企画に参加したいち出演者だが、AZUMA TVは企画側だからね、被害者は一般参加扱いとは言え、事前に承諾書まで交わしているのだから、業務上必要な安全管理は企画側の責任であるし、これを認めれば、今回の死亡事故は業務中の過失となるよね」

 「安全配慮義務が認められますかね、雇用関係があったわけではないですよね」

 「業務中に第3者を巻き込んだとしても、それは安全管理上の問題だろう、ましてや、今回は出演者なんだから認められるよ」

 「では、争点はやっぱり阻却事由に該当するかどうかでしょうか」

 「それしかないよね。そこが難しいんだけど」


 今回、被害者は企画参加に当たり事前に承諾書にサインしている。承諾書には如何なる危険行為やそれによる傷害も了承するとした文言があり、これが暴力行為による傷害致死を法的責任から阻却出来る理由になるかが一番の問題だった。

 被告側は揃って、この承諾書がある以上は無罪であると主張している。


 「さて、そろそろ着くよ」

 霞ヶ関駅から徒歩で移動しながら話し込んでいたが、東京地裁を前に所長がそう話を切り上げる。


 「まずは今日の公判前整理(こうはんぜんせいり)手続きだ」

 所長の言葉に気を引き締める。

 通常ならば、原告が公判前整理手続きに参加することは無いが、我々は原告代理人であり、弁護士であること、そして、本件の複雑さから裁判所に参加の申し立てを行い許諾された経緯がある、この当たりは所長が根回しをしたようで、流石としか言いようがない。

 今回の件ではテレビ局が資本投入して作られた大手ネットサービス事業者を相手取り、かなり不利な戦いになることは必定なのだ。その上、依頼人はネット上での誹謗中傷やマスコミの取材攻勢にすっかり消耗してしまい、表立っての活動は困難な状況ときている。

 それでも、依頼を受けた所長は口先では「いい宣伝になるね」なんて言っているが、本心は違うことはわかる。本当に短い付き合いだけれど、尊敬出来る先生なんだ。

 「所長、私、頑張ります」

 そう声を張った私に所長は期待してるよと微笑んでいた。


 公判前整理手続きのため、法廷401号へと向かう。

 本来なら、公判を担当する判事と検察官、そして被告側の弁護士によって行われるのが公判前整理手続きとなり、申請すれば被告人本人も出ることは出来る。

 我々のように原告の立場で参加はしない、してはいけないとはなっていないため、今回のような特例が許された訳だ。

 公判前整理手続きは非公開で行わなければならないとは定められていないが、現状は非公開で行われている。

 法廷に入ると担当判事3名と検察官が揃っている。被告側弁護士はまだ来ていないようだった。

 「草薙弁護士、今回はあんたが味方とはな」

 本件担当検察官の九条 守検事が最初に話しかけて来る。

 「味方と言うわけではないですが、依頼人の利益のため、情報共有は惜しみませんよ」

 そうにこやかに話す所長、この第1回公判前整理手続きに向けて検事が提出した証拠調べ請求には所長が調べて纏めたものがかなりあるらしい。

 「で、そちらはどちらさん」

 九条検事は私を見ながら所長に紹介を促す、ブランドもののスーツを着こなすがっちり体型の検事は元ラガーマンだと言うことだ、年は所長と同じくらいらしく、法廷での付き合いはかなりのようだ。

 「今年、うちに赴任した司法修習生の植木 亜久里くんだ。中々に優秀でね、将来のエース候補さ」

 「ほー、あんたが優秀って言うなら相当なんだな」

 ただの社交辞令だから、そんなジロジロと品定めされても困る。

 所長はその間で判事たちとの挨拶を済ましている。そうしていると、被告側弁護士が登場した。


 「皆さんお揃いのようで、申し訳ない。今回はよろしくお願いします」

 頭を下げつつ入って来たのは本橋(もとはし) (しゅう)弁護士だ。

 

 本橋弁護士事務所を新宿に構えており、本人は消費者金融やネット関連事業者の顧問として多くの民事案件を手掛けた人物だ。

 うちの所長が露悪的な発言をしながら、社会正義の実現に尽力するタイプだとすれば、真逆、メディアでは聞こえの良いことをいいながら、大資本にすり寄り弱者の訴えを退けては金を手にして成り上がった人物だ。正直に言えば苦手だ。

 チャコールブラウンのストライプの入ったダブルのスーツに染めた髪、細目のフレームの眼鏡の向こうには軽薄そうな笑顔が貼り付いている。一見してチャラそうな若者風だが、年齢は30代前半だったはずだ。

 今回の弁護では本橋弁護士事務所から所長の本橋氏だけでなく、精鋭3名が本件担当になるそうだ。手強いことこの上ない。


 担当判事の少し前頭部が寂しくなった松前裁判官長が咳払いをして、開始を告げる。

 「全員、揃ったようですし、少しばかりはやいですが初めますか」


 第1回公判前整理手続きが始まった。


お読み頂きありがとうございますm(_ _)m



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[良い点] 読みました! 理論派、愛猫家 奴隷乙の書く司法もの! ぶおおお! 楽しみいいいい!
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