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歴戦の毛布

 自宅に突如として現れた不思議な扉を開けた先は、異世界だった。


 まず暗闇があり、少し歩くと、視界の先に月明り程度のぼんやりとした光が見える。辺りが白い霧に包まれれ、やがて視界全体が真っ白に染まる。


 気が付くと、俺はマントを纏い、岩窟の中にいる。


 岩窟とは言えど、山肌に開いたただの穴ではない。まあ、山肌は山肌で、外は断崖絶壁なのだが。人が生活できるよう、人工的に造られたスペースだ。


 吹き抜けの窓から光が射しこんでいるが、部屋の中はひんやりとしている。意図的にくり抜かれた壁に、土器が並んでいる。暖炉は火が落ち、灰が溜まっている。


 部屋の隅に置かれた巨大な壺には水が溜まっている。俺は土器のコップを取って、表面に溜まった埃をどかし、水をすくった。揺らめく水面に、俺の顔が写る。


 我ながら、イケメンだ。


 元の世界では、線三本で事足りるような薄顔で、お世辞にもイケメンとは言い難いが、こっちの世界では違う。まるで、若い頃のディカプリオだ。全身に程よく筋肉を纏っているのも、異世界でだけ。元の世界では、ゴボウのように線が細い。


「……ッ! 美味いッ!」


 俺は水を一気に飲み干した。異世界の水はほんのり甘い。


 壁の出っ張りは机として使われ、椅子もちゃんとある。岩石でできているため、座り心地は良くない。机の上には、羊皮紙の山に、赤茶色のインクが入った小瓶、羽ペン。使った試しはない。


 床には分厚い毛布がたたまれている。


 歴戦の毛布――。


 暗黒の森で狩った魔獣の毛皮であり、数々の女を抱いた毛布だ。


 そして、聖剣。


 今は壁に突き刺さっている。何人かで試したが、どうやら俺にしか刺せず、俺にしか抜けない。柄に散りばめられた宝石が、光に反射し虹色に輝いている。


 この岩窟ができたのには、何か理由があるのだろう。でも、そんなことはどうだっていい。疑問を一つ一つ気にしてたら、この世界ではやっていけない。


 この世界では、俺は強く、女にモテる。それ以上、何があるというのだろう。


「さてと――」


 俺は外に出た。


 大きく伸びをして、深く息を吸い込んだ。


「……カーッ! 最ッ高だぜッ!」


 俺は叫んだ。


 目の前には、雄大な自然が広がっている。燦然と輝く太陽。突き抜ける青空。その空を優雅に飛び回る鳥の群れ。地平線の向こうまで続く山々。蛇行する川。広がる森。空気は新鮮、風も気持ちいい。


 人ひとりがようやく立てるほどの狭いスペースに俺は立っている。下は断崖絶壁。落ちれば命はない。でも、全く怖くない。この世界にいると、恐怖やためらいが嘘のように消え去る。


 5連勤のストレスが、一瞬にしてぶっ飛んだ。


「よし。街へ行くか。……おっと。聖剣、聖剣」


「イラス様!」


 聖剣を取りに戻ろうとして、声がした。見ると、岩壁に沿って続く急な階段を、一人の娘が上ってきている。


 手すりがあるとはいえ、木の杭に細い縄が張られているだけの質素なもので、ここまで来るには心もとない。しかし、その娘は慣れた様子で、トントンと階段を上る。それも、片手は頭に乗せた籠を支えたままだ。籠の中には、たくさんの果実が積まれている。


「イラス様! 果実をお持ちしました!」


 娘の名はミニェといった。


 そうだ。俺の名前は、天野余裕あまのあまひろ

 生活に余裕のない、しがない書店員。27歳。独身だ。

 

 こっちの世界ではイラスと呼ばれている。

 イラス・デイルだ。

 おそらく、年齢は18ほどだろう。皆から愛される勇者だ。この異世界に、主に定休の二日間だけ体験できる、最高の姿だ。


 いつか、冒険の帰りに、相棒(後で呼ぶ)に乗ってここへ戻る際、酒に酔っていたせいか、持ち帰るはずだった金銀財宝を下へばら撒いてしまった。偶然、ばら撒いた先に村があり、俺はその村の人々から神格化されていた。


 以来、街の娘たちが毎週、俺に供え物を運んでくれるようになった。だから、俺は毎週それをいただく。そう。いただくのだ。


 ミニェはその村の娘だ。村の決まりか、若い娘はみな髪を短く整えている。いつも赤く薄い衣を纏っている。ブラジャーをするという概念はないらしい。


 なので――。


「ミニェ! いつもすまないな!」


「いいえ! イラス様の為なら何なり……と……」


 突然、ピュウっと風が強く吹き、籠の果実が一つ転げ落ちた。ミニェは慌ててそれを掴もうと手すりの向こうへ身を乗り出した。ミニェはバランスを崩した。


「ミニェ!」


 叫んだのも、束の間。俺はミニェの手を掴んでいた。色とりどりの果実が、籠もろとも崖下へと落ちていく。間一髪。ミニェは落ちずに済んだ。


「大丈夫か?」


「は、はい……」


 ミニェの声は震えている。


 こっちに来るようになって、もう一年近く経つが、未だに自分自身の身体能力には驚かされる。いまいち感覚がつかめない。今だって、早すぎて自分でもどうやって動いたのかよく分からない。


 俺はミニェをグッと引き寄せる。ミニェの細くて小さい体が俺に収まる。いや、収まらない。見かけによらず豊満な胸がつっかえる。


「あ、ありがとうございます!」


「いいんだよ。怪我は?」


「ありません。でも、果実が……」


 ミニェは申し訳なさそうに俺を見つめた。


「いいんだよ、そんなの。どうせ、街へ行くとこだったんだ。ミニェも乗っていくといい」


「それはいけません。村の掟ですので」


 ミニェが言った。頬を赤らめている。いや、薄く紅を塗っているようだ。


「化粧か。村で何かお祭りでもあるのか?」


「いえ。これは……」


 ミニェは頬を赤らめた。これは本当に赤らめている。


「私でよければ……その……」


 はは~ん。なるほどね。


 俺はニヤっと笑って見せた。視線を落とせば、民族衣装の中に、雄大な山と谷が見える。


 さて、どうしたものか。俺は少し悩んだ。結果。


「そうだな。まあ、でも、今日は街へ行くとするかな」


「そうですか……」


 ミニェは残念そうに言った。


 好き放題できる権利を有しながら、それを放棄する。こっちの世界に来てから、変な性癖が身についたらしい。俺は優越感に浸る。


「また今度な」


 ミニェはコクリと頷いた。


 俺は指で輪っかを作り、指笛を鳴らした。その音が山にこだまする。指笛など、元の世界ではできない。


「それじゃ」


 俺はそう言い残し、階段から飛び降りた。勢いそのままに落下する。恐れることはない。俺は両手両足を伸ばし、悠然とその時を待つ。

 

 キィィーッ!


 やがて、鳴き声がした。そして、俺は羽毛のベッドに横たわっていた。ベッドは空中を旋回し、大きく上空へ舞い上がった。


 大鷲ファクル。


 俺の相棒だ。指笛を鳴らせば、いつだってやって来てくれる。


「イラス様! どうかお気を付けて!」


 ミニェが大きく手を振っている。俺も手を振り返す。


「……ファクル。戻れ」


 俺はファクルに言った。すると、ファクルは岩壁の方へ旋回する。


「ミニェ!」


 俺の声に振り返る間も無く、俺はミニェの腕をつかんだ。


「イ、イラス様⁉」


「撤回だ。やっぱり……抱く!」


 俺はミニェと共にファクルから飛び降りた。空中でミニェの服をはぎ取る。


「ダ、ダメです!」


「俺はダメじゃない!」


 俺はミニェの胸に顔を埋め、そのまま岩窟に積まれた毛布に飛び込んだ。


 そう。歴戦の毛布へと。


「いふぇふぁいっふぇ、ふぁいほーっ!(異世界って、最高ッ!)」


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