五章3 『器が変われば己も変わる』
目を覚ましたら見慣れない天井だった――というのは最近ちょくちょく経験していることだが慣れないものだ。
ここはどこだっけ、と少し考えていると、隣から寝息が聞こえてきているのに気付いた。
見やると、暗がりの中にアイスの顔。
長い睫毛に、ほどよく丸みを帯びた小顔。ゆったりと間を置いた微かな寝息。
まさに天使が眠っているようだ。
俺は彼女を起こさないようにそっとベッドを抜け出し、うんと背伸びをした。
悪くない目覚めだった。ガチャで言うならSSRぐらいだろうか。URにはいまひとつ何か足りないが、悪くないといった感じ。
ここは地下であり、室内には窓がない。
一応朝になったら照明がつくようにできるらしいが、アイスは誰かに無理矢理起こされるのが嫌いらしく、そんな設定はしていない。
第一俺達はかなり早い時間――大体午後の8時ぐらいだろうか――に寝てしまっていた。デモンストレーションの戦闘で疲れていたのだ。
サイドテーブルの上に置いていたスタホを起動して見やると、1:15だった。
ここは秘密組織のアジトなのだ、部屋の外に出れば誰かしら起きているだろう。しかし俺はまだメイオウに来たばかりで知り合いと呼べる者すらほぼいない。
もう一眠りできればいいのだが、いかんせん目が冴えてしまっている。
汗を流してこようかと、俺は部屋に備え付けられている風呂場に向かった。
脱衣所の電気を灯して、起床後に初めて鮮やかな色というものを目にする。すっと胸中に明かりがさしたようにすっきりした気分になる。明暗というのは誰もが感じているように精神に大きく作用する。閉塞感を感じている時は明るさを求めるし、酷く落ち込んでいる時は暗がりの中にいると落ち着いたりする。
ただ……。
自分のパジャマの掛け違えたボタンに気付き、かっと顔を赤らめた。
俺は別段、手先が器用というわけではない。前開きのボタン式のトップスを着る時は目視で確認しながら一つ一つはめていく。ゆえに着終えるのは遅いが、かけ違いというのは滅多にしない。
にもかかわらずこうして一つ二つズレているのは、目視できない場所でパジャマを着たからである。
そのパジャマからは濃い汗の臭いがした。
別の着替えを持ってきた方がいいかもしれないが、アイスの箪笥を勝手に漁るわけにはいかない。
俺は早々に全てを脱ぎ終えて、そのまま風呂の中に入った。
個室つきにしてはかなり広い。普通の住宅の四倍、女子寮の二倍の広さはある。床部分に卓球台が置けそうなぐらいだ。試合はさすがにちょっと危ないかもしれないが。
給湯器を操作して風呂を沸かす予約をした後、ノズルを手にシャワーを浴び始めた
シャワールームよりは気持ち水圧が弱めだが、こうやって手に持って自分の好きな部分にお湯をかけられるのは悪くない。
しばしシャワーを浴びた後にレバーを下げて止水した。
顎からぴと、ぴとりと太腿にお湯が垂れ落ちる。その感触に無性に羞恥心が湧いてきてたちまち顔が熱を帯びた。
こんなことにいちいち過剰に反応してどうするのだと思うのだが、気になるものは気になるのだから仕方ない。
手が伸びかけたが慌てて思い留まる。
別に理性が歯止めをかけたわけじゃない。俺の目はシャワーのノズルに向けられていた。
強い欲求が湧き始める。それは知的好奇心か、あるいは獣的欲求か。いずれにせよそれは抗い難いものであることは間違いない。
ドク、ドク、ドク。心臓がやかましく鳴っていた。
結局俺は、男の時と何も変わっていないのかもしれない。
ただ衝動に任せて生きている。
それでいいのだろうか?
理性の問いかけはしかし、異なる問いによって打ち消される。
衝動に身を任せて何が悪い?
今まで俺の衝動が問題視されてきたのは、身機化した際に搭乗者に危険が及ぶ危険があったからである。
しかし今はもう、アイスがいる。彼女ならばいくら俺が欲求に身を任せて暴走したとしても手綱を引いて押さえてくれるだろう。
むしろ俺が欲望に身を任せることをよしとしてくれる節がある。他でもない彼女だって俺に自分の衝動をぶつけてきてくれているじゃないか。
ごくっと唾を飲みこみ、シャワーを手に取った。
好きな場所に、好きな水圧で放水できる道具。
これを用いれば……。
胸の高鳴りは、自分が今男ではないことを強く知らしめてきていた。
レバーを持ち上げ、最大出力の放水にした後、手でその強さを確かめる。
それから出力を調整しほどよいあん馬にし、いざ試みんとした。
その時、背後でコンコンと固い響きが聞こえて、俺はギョッと肩を跳ねさせた。
「ソアラ?」
「な、なんだ、アイス!?」
答えた声は酷く裏返っていた。
不自然に思われないかとビクビクしていたが、アイスはいつも通りの調子で先を続けた。
「着替え、籠の中に置いておいた」
「あ、ありがとう」
沈黙、しかし静寂ではない。
心臓の収縮音が耳の奥で絶えず転がっていた。
やがてアイスはこちらを探るような調子で言った。
「一緒に、入ってもいい?」
それは暗にあることを示しているような気がした。
自身のなさは、昨日のことを冷静に思い返したからだろうか。
でも俺はもう自分の本心――本性かもしれない――に気付いており、答えは決まっていた。
こちらの思いをあえて婉曲に伝えるように、俺は返した。
「……ああ。入ってきてほしいって思ってる」
やっぱり俺は以前とは変わったのかもしれない。男であるとか、女であるとかいう表層的な話ではなくて、もっと本質的な――核の部分が。




