三章4 『同級生のアイス』
時は遡り、春。
ティアがいなくなり、俺は女子になってから一人で学校に投稿していた。
本当なら、彼女が隣にいただろうに……。
悔やんだところで仕方ないと自らに言い聞かせるも、やはり気になってしまう。心にぽっかりと開いた穴からは、どうしても目を逸らすことができない。
女体化して体が縮んだことで、街は以前よりも大きく見えた。それゆえにか、心細くなってしまう
ぼっちだったのは、男の時と変わらない。
だけどあの日、学校からティアと一緒に帰った時は、町はもっと色づいて、輝いてさえ見えていたのだ。女の自分の目で見る世界も悪くないな――と。
もっとティアと一緒に、いろんな場所に行きたかった。あの子とたくさんやりたいことがあったのだ。
でもそれはもう、叶わない。
足取りは重く、学校へ行くのが億劫になってくる。
寂しいのと、不安で押し潰されそうだった。
一体俺はこれから、どんな顔をして生活していけばいいんだ?
女子になった俺を、みんなはどう思うのだろうか?
いや、どうだっていいか。
俺が女になったからって避けられたところで、以前と変わらないじゃないか。
そう、何も変わらない。どんな時も一人きりでいる――それが俺なのだ。
皆一様に恐れ、何人たりとも近寄らない。
……まあ、エンジュは別としてだ。
そのエンジュからも、ティアがいなくなってからはまったく連絡がこない。
ここ一週間ぐらいの話だ。
検査入院中、俺が会ったのは医者と看護婦、それと入院患者だけだ。
清潔な空間で規則正しい生活を送り、健康的な――美味くはないけど――三食を食べて。それで体の隅々まで調べられた。
それが四日間。
あとの三日は療養という名目で休むことができた。
ただ課題を届けられて、もっぱらそれにかかりきりだったが。
思い返している内に学校に着いた。
そこで俺の視線は校門から逸れていく。門柱の前に佇む、背丈の低い少女に釘付けになる。
視線に気づいたのか、彼女は手に持っていた文庫本から顔を上げ、こちらを見てきた。
「あ、ソアラ」
「……アイス」
長い黒髪の少女――アイスは、本をしまってこちらへ歩いてくる。
彼女は俺と同じ、制服を身に纏っていた。
可愛らしい着物風のデザインは、その黒髪によく似合っていた。
「その恰好は……?」
「今日から通うから」
「この学校に?」
「そう」
端的な返事と共にうなずいてくる。
「お前、聖霊領域の長なんだろ? わざわざこっちの学校に通わなくても……」
「聖霊領域の学校はそこまでレベルが高くないから」
「そうなのか」
「うん」
さっきと同じように首肯。一度うなずく度にさらりと艶やかな髪が揺れる。思わず触れたくなってしまう……いや、我慢我慢。
「でも自分の住んでる場所なんだろ? 地元じゃない場所に一人で来て、寂しくないか?」
「ティアもそうだった」
ジクッと心が痛む。
「どうしたの?」
「……いや、なんでも」
俺は慌ててかぶりを振った。アイスは真顔のまま首を傾げる。
「ともかく、ここに通うなら覚悟しとけよ。課題は山のように出るしテストはベリーハードモードかよってぐらいに難しい。あのエンジュが運営してるだけあって、そんじょそこらの学校だと思ってたら痛い目見るぞ」
「そう」
せっかく脅しているのに、まったく動じない。
内心でがっかりしつつ、ふと疑問が湧いて訊いた。
「なあ、門柱の前で何してたんだ?」
「待ってた」
「何を?」
「ソアラを」
「……まあ、一応顔見知りだもんな。気遣いありがとな」
「どういたしまして」
徹頭徹尾、感情の抜けた声によって返された。炭酸の抜けたメロンソーダよりはマシだがどこか寂しいものがある。
ふいに近くを通り過ぎた女子――そいつはクラスメイトだった――が、こちらに気付いて軽く手を振り挨拶してきた。
「おはよう、アイスさん」
挨拶を返そうとして、自分の名前でないことに気付く。
いやまあ、そうだよな。俺は女体化してるんだから見た目でわかるはずがないし、そもそも男だった時だって誰かに挨拶された覚えが――って。
「おはよう」
自然と挨拶を返してるアイス。
俺の頭上をくるくるとクエスチョン・マークが旋回し始める。
クラスメイトが去るなり、俺はアイスに訊いた。
「どうして俺のクラスのヤツとお前が顔見知りなんだよ?」
「わたしのクラスメイトでもあるから」
A=B、B=CはA=Cという数式が頭の中に浮かぶ。
「えっ? じゃあ、お前……」
「ソアラと一緒」
「クラスが?」
「そう」
もはや網膜に焼き付きそうな、うなずき。
徐々に謎が氷解していく。
俺は一週間ぐらい学校を休んでいたのだ。
その間にアイスが転校してきてて俺のクラスの一員になり、級友達と交友を深めていてもなんら不思議はない。
「……にしても、お前って意外と社交性あるのな」
「しゃこーせー?」
「いやだって、仲のいいヤツじゃないと挨拶ってしてこないだろう。アイツがアイスに挨拶してきたのは、それなりに親しみを覚えてるからじゃないか?」
「なるほど」
こくこく、首を縦に振るアイス。
「じゃあ、わたしが自分から挨拶したいって思ったのは、ソアラに親しみを感じてるから」
「ん? エンジュとかに言われたから、とかじゃないのか?」
「ううん。わたしがソアラに挨拶したかった。会いたかったから」
超速の直球、ど真ん中。
俺のハートを射抜いてくる。
「そ、そうか」
「……顔、真っ赤。風邪?」
「い、いや、なんでもない。それよりほら、早く教室行こう。遅刻するぞ」
「うん」
俺とアイスは並んで校門をくぐる。
手が触れそうなぐらい、お互いの距離は近かった。