二章14 『奇襲と蘇りし記憶』
……いや、違う。
スクリーンとかそういうのじゃない。この夢の外、現実からだ――!
俺はまどろみを吹っ飛ばして意識を覚醒させ、布団を跳ねのけ立ち上がった。
眠る前と部屋の様相が変わっていた。
窓の前に割れたガラスが散乱し、そこに黒い影が立っていた。
今の俺よりもかなりデカいうえに、ガタイもよさそうだ。
人型だし、本当はただの人間なのだろう。しかし同じ人間とはいえ、時に猛獣と同様の存在として目に映ることがある。
たとえばそう、こちらに対しての敵意、あるいは殺意を抱いていると視認した時だ。
ヤツの手には月光を受けて光る鋭利な刃があった。かなり刃の厚そうな、明らかに肉を斬ることを目的とした凶器だ。
そしてその奇襲者の数歩前には、尻もちをついたティアがいた。彼女は震え上がってただソイツを見上げていた。ショックで動けなくなっているのだろう。
奇襲者はゆらりと波間を漂うように体を動かし、ティアへと近づいていく。そして刃を手にした腕を少しずつ持ち上げていく。まるでどのぐらいの強さで振り下ろせばティアを刺し殺せるかを測っているかのように。
「――やっ、やめろぉおおおおおッ!!」
俺はベッドから転げ落ちそうになりながらも体勢を立て直し、体を丸めるような格好で奇襲者に体当たりを仕掛けた。
ヤツはそれを予期していたかのようにひらりと身を翻して躱しやがった。その直後、刃の切っ先が俺目掛けて迫ってきた。カウンターだ。
だがそれこそ予想の範疇。
身長差があるし、この女の体で力負けしないかという懸念事項はあるが、やるしかない。
俺は刺突を狙う刃の前に両手を構え。
タイミングを見計らって、左右からプレスするかのごとき勢いで手を合わせる。
対ナイフ用・白刃取りだ。
本当は刀と違って刺突に対しては押し切られる可能性が高く悪手中の悪手ではあるのだが、この状況下で攻撃に転ずる他の方法が瞬時に思いつかなかったのだから、仕方がない。
一か八かの賭けには、どうにか勝つことができた。刃の接近は俺の手によって完全に押さえ込まれていた。
完全に予想外だったのだろう、奇襲者の顔は――白いマスクのようなもので隠されていて見えなかったが、力任せにナイフを俺の手から引き抜こうとしているあたりから、完全に冷静さを失っていることが窺える。
「――武器に執着するなら、最初から安易な攻撃は控えるべきだったな」
そう俺は奇襲者に告げて、跳躍。ナイフに完全に目が行っていた奇襲者は間抜けにも俺の動作を目で追っている。
戦闘慣れしていないのか、あるいはさっき完全に決まったと思った攻撃を防がれたせいで調子が狂っているのか――それはわからない。
だが俺にとっては好都合だ。
足を振り上げ、そのまま。
「っラァッ!!」
ヤツのドタマ目掛けて、踵を打ち下ろす。
ガンっといい手応え――ではなく足応え。
奇襲者は打撃を食らった頭を押さえてよろよろと退いていく。
「見た目で油断したか? だが残念だったな。俺の学校じゃあ、体術関係の戦闘訓練は必須科目なんだよ」
女子の体になっても、鍛えた身体能力はそのままだったようだ。むしろ以前より身軽に動けてかつ、身体が柔軟になっている気がする。まあ、握力とかは落ちているかもしれないが、少なくともこの奇襲者には負ける気がしない。
「どうした、その図体は見掛け倒しかよ?」
挑発するも、奇襲者からはもう殺気は感じられない。
それでも気を緩めずに出方を窺っていると、ふいにヤツは身を反して窓の外へと飛び出していった。
「……逃げた、か」
体から力を抜く。
遅れて恐怖がやってきた。
下手したら俺は、眠りこけたままナイフで刺し殺されていたかもしれない。ティアが悲鳴を上げてくれなければ――
そうだ、ティアは?
見やると同時に。
「うっ、ああぁあああああッ!」
盛大に泣き声を上げた彼女に、ぎゅっと抱きしめられていた。
「お、おいおい。苦しいって」
「っ、うぅううっ、こっ、怖かったですぅっ……!」
ああ、ああ。ったく、こんな子の前で、俺が弱い姿を、見せるわけにはいかないな。
俺はティアの背中に手を回して、彼女の頭を撫でてやった。
「……大丈夫だ。もう、大丈夫だからな」
「はい、……はいっ」
返事の割には、肩に落ちてくる冷たい雫が一向に止む気配はない。
俺は彼女が泣き止むまで、ずっとそうしてやっていた。
やがて落ち着いた彼女は、俺の耳元で囁くように言った。
「……また、守ってくださいましたね」
「また、っていうのは?」
「小さかった頃……」
懐かしむような声で、ティアは言った。
「公園でいじめられていたわたくしを、天神さまが助けてくださったんですよ」
そう言われた途端、ふっと記憶のフィルムが音を立てた。
『お、お前等……。い、いじめはよくないんだぞッ!』
ほそっちょろくてチビだったガキの俺が、少女を庇うように立っている。
すでに服は泥だらけで、体は擦り傷や痣だらけだ。
膝は恐怖でガタガタと震えてやがる。
それでもなお俺は、大勢の男を睨みつけて戦意を捨てようとはしなかった。
『も、もういいです。もういいですから……』
背後から震えた涙声がして、俺に訴える。
その声に振り向き、俺は言い放った。
『いいわけないだろ。俺は可愛い女の子は絶対に見捨てないって決めてんだ!』
視線の先にいたのは、ああ――間違いない。
白髪に碧眼の、どんな筆でさえ到底表現できぬ愛らしい女の子。
その少女こそが、ティアだったのか。




