二章13 『記憶のフィルム』
「……あの。一緒に寝てくださいませんか?」
とティアに頼まれたのが断れなくて、一緒のベッドで眠っていたせいだ。
女の子と、床を同じくして寝る。
加えて自分も女の子。
ごくごく普通のことのはずなのに、ずっと胸がドキドキしていた。
女の子の体になってから前より柔らかくなった気がする布団や枕の感触に慣れなくて。
首筋にかかる髪がくすぐったくて。
何より手を伸ばせば触れられる距離にティア――すごく可愛い女の子がいると考えると落ち着かなくて。
というか、その手が握られているのが、何よりも胸を高鳴らせた。
帰り道にもティアのお願いで繋いだが、今は状況が違う。
お風呂上がりで体が火照っているうえに、ベッドの上だ。どうしても意識してしまう――何がとは言わないけど。
握られている手の力はそこまで強くない。振りほどこうとすれば、できないこともない。
だけどそれは躊躇われた。
帰り道――ティアから握ってきた手の力は。
『そんなんで、手を繋いでるって言えるか?』
『でっ、でも、恥ずかしくて……』
とても弱かった。
けれども、抱きしめあったことで何か振り切れたのか。
こうして一緒のベッドで寝て、ちゃんと手の感触を感じるぐらい握り合うことができるようになったのだ。
それにちゃんと答えてあげたい、という思いと。
……彼女の素肌の感触を感じていたいという欲求とがあった。
ただその欲求を満たし続けるとどんどん目が冴えてきて眠れなくなり、睡魔に見放さていくという。
「……あの、起きてらっしゃいますか?」
ティアも同じ思いらしく、話しかけてきた。
すっかり寝たものと思っていたから、ちょっとビックリしてしまった。
「おっ、おう。なんだ?」
「なんだか、眠れなくて……」
と、こっちを向いた顔は。
暗闇でもわかるぐらい、真っ赤になっていて。
夜目にもはっきりと見てとれるぐらい、瞳が潤みカーテンの隙間から差し込む月光を受けてきらりと光っていた。
思わずごくりと唾を飲みこんでしまう。
可愛い――それだけじゃない。
なんだか、こう、……えっと、色っぽい?
意識した途端に体温が急激に上昇してきた。
「……天神さま」
なぜか軽く息を荒げたティアに名前を呼ばれ、胸がきゅっと締め付けられる。
「なっ、なんだ?」
「わたくし、その……。体が、とっても熱くて」
奇遇だな、という言葉が出かけたがどうにか飲みこんだ。口にしてしまったら、決定的に何かが変わってしまう――それは俺自身と、ティアとの関係――気がしたからだ。
ぼんやりと心の目で捉えたのは、現状とあるかもしれない可能性の境界線。
越えた先には何かが待っている。
それは俺にある種の幸福を与えてくれるだろう。
けれどもこの境界線は生半可な覚悟で越えてはいけない。きちんとティアのことを知って、一緒の時間を過ごして……どうしても越えたくなった時に、共に手を繋いだうえで行くべき場所に繋がっているのだ。そんな確証があった。
だから俺は、今は曖昧な返事で誤魔化す。
「……そうかな?」
「そうですよ。……天神さまも、同じ気持ちじゃないんですか?」
ぎゅっと強く手を握られる。
不思議だった。どうしてこの子は、こんなにも俺のことを求めてくるのだろうか?
俺はエンジュに聞いた名前しか知らないのに……。
「なあ、ティア」
「はっ、はい。なんでしょうか!?」
驚きと、微かに期待の混じった声だった。
一瞬、迷いに囚われた。
もしかしたら今から俺の発する言葉は、酷く彼女を傷つけるかもしれない。
そんな予感はあったが、どうしても気になった。
「俺とお前って、どこかで会ったことあったっけ?」
息を呑むのが聞こえた。
「……え?」
繋いだ手から、力が抜けていく。
さっきとは別の何かが乱暴に胸を締め上げてくる。
「……覚えて、いらっしゃらないんですか?」
「残念だが」
記憶の海は茫洋としていて、いくら眺め回しても彼女との思い出は氷山の一角すら見つけられなかった。
「……そう、ですか」
沈んだ声と、離れていく手。
どうしようと、焦りに似た何かが生まれた。
しかし。
ふいに波のように眠気が襲ってきた。
意識が攫われていく。手を伸ばしても、誰もつかんでくれない。
気が付けば俺は、眠りの底に沈んでいた。
夢を見ていた。
ここは……公園か?
ああ、そうだ。小さい頃に何度か遊びに来た公園だ。
その頃の俺は、まあ今よりも陰気だった。
ルートの前では心配をかけないように明るく振る舞っていた。友達も多くてよく外に出かける活発なヤツだと思わせようとしていた。
実の両親を失っても、全然元気だから。心配しないでくれ――と。
誰かに頼るということを知らない、ガキだったのだろう。
今も変わっていないのだろうか? ……少しは成長したと思うのだが。
記憶のフィルムは進んでいく、俺が視聴していようがいまいが構わず。
公園の隅で一人、地面をいじくっている俺。
周囲で遊んでいる子供達に混じろうとはしない。
勇気が出ないからか、それとも本気で一人で遊んでいたいのか……、それはわからない。
地面には意味もない曲線と、適当に積み上げた石ころ。
何をやりたいのか。こんなことをしていて何になるのか。
そんな合理性を求めようとする疑問が、頭の中でぐるぐる回っていたように思う。幼い子供らしくないなと苦笑が漏れる。今よりもよっぽど理知的だったかもしれない。このまま成長すれば、頭がよかったんだろうな。
そんな益体もないことを考えていた時だった。
「――ッキャァアアアアアッ!!」
スクリーンの外から切羽詰まった悲鳴が上がった。