二章11 『運動不足はいけません。』
学園を出てすぐ、アイスは寮とは反対方向へ歩き出そうとした。
「おい、どこに行くんだよ?」
振り返ったアイスは淡白な声音で言った。
「今日は別のところを宿にする」
「……金はあるのか?」
「お役目がある」
「お役目って?」
「ここに住んでる聖霊領域出身者への挨拶」
言われるまですっかり忘れていたが、彼女は聖霊領域の次期統領なのだ。学園エリアにも聖霊領域の関係者はいるし、寮じゃなくたって泊まれる場所はいくらだってあるだろう。
「そうか……」
「……ソアラ、なんかがっかりしてる?」
「まあ、な。仲良く慣れたヤツがいなくなるのは、寂しいからな」
アイスは立ち止まって、自分の行こうとした先と俺とを交互に見やっていた。
「すまん、困らせるつもりはなかったんだ」
「……今日はダメでも、また泊まりに行く」
「ああ、そりゃいい。ティアもきっと歓迎してくれるさ」
「ん」
うなずいたアイスは爪先を行先の方へ向けた。
「じゃあ。また今度」
「ああ、またな」
アイスは俺に背を向けて歩き去っていく。
その小さな背中がますます小さくなるのを、俺はぼんやり突っ立って見送った。
すっかり見えなくなり、さあ俺も帰ろうと思った時。
「天神さまー!」
覚えのある声と共に、足音が聞こえてきた。
見やると予想通りティアが近づいてきていた。
「おお、ティア」
「はぁ、はぁ。よかったです、行き違いにならなくて」
「タイミングいいな。ちょうど出てきたところだったんだ」
「ふふ、じゃあラッキーでした。……あれ、アイスさまは?」
「聖霊領域の関係者へ挨拶に行くんだって、今しがた別れたところだ」
「……そうだったんですか」
少し寂しそうに眉尻を下げるティア。
この様子なら、またアイスが泊まりにきても歓迎してくれるだろう。その時がかなり楽しみになってきた。
「ティアはどうしてここに? 俺が出てくる時間がわかってたみたいだけど」
「所長に検査が終わったと聞いて、急いでお迎えにあがったんです」
「な、なるほど。でもわざわざ来なくてもよかったのに」
「いえっ! 天神さまがお疲れとあらば、どこへなりとも駆けつけて……」
そこでぴたっと言葉が止まってしまう。
「……駆けつけて、どうするんだ?」
「え、えーっと。駆けつけて……」
気まま舞う蝶を追うように視線をあっちこっちにやり、しばし沈黙した後。
「お、お手を拝借して歩きます!」
顔を真っ赤にして言いきった。
「……うん?」
俺の頭の中で三本締めが行われる。あの「いよー」って掛け声の後になんか手を叩くわけのわからんヤツだ。
「なあ、なぜに公道で手を叩かにゃならんのだ?」
「あっ、ちがっ、そういう意味じゃなくてですね、その……」
ぐるんぐるん目が回る回る、ナルトみたいに。見ている分にはかなり面白い。
「てっ、手をっ、手を……繋ぐんです」
「……ほう、手を繋ぐとな」
「はっっ、はいっ! 手をお繋ぎいたします……あぅっ!?」
実際にティアの手を握ってみた。手の甲の側から、包み込むように。途端、彼女の顔がぽっと赤く染まる。
「繋いでみたぞ」
「はっ、はいっ、繋いでます……」
指先が、彼女の手の平に触れる。幼子の手のように、ぷにぷにした触感。それに柔らかくて温かい。手の甲もつやつやすべすべ。大人の手にニスを塗ったって、こうはならない。
「それで、これからどうするんだ?」
「へっ!? そ、それはもちろん、寮へと参るわけですが……」
「ああ、俺の訊き方が悪かった。言い直そう」
俺は繋いだ手をよく見えるように持ち上げて言った。
「こうして今、手を繋いでいるわけだけど」
「ひゃつ、ひゃい!?」
「この先はどうするんだ?」
「そっ、それはもちろん、手を繋いだまま……」
「ふむ」
「あ、歩いて帰るんです」
今までの情報を口頭で整理してみる。
「俺とティアで手を繋いで、道行く人の目に触れながら帰る。というわけだな?」
「なっ、なんと簡潔明瞭に一言で……!?」
「いやまあ、別にそこまで情報量も多くなかったし」
「……えっと。でもこれじゃあわたくしの私利私欲を満たし……いっ、いえっ! 別にその天神さまに触れるのが天にも昇る嬉しさというわけではなくてむしろ星空の彼方まで飛んで行ってしまいそうなほどって、あ、その、そのっ……!」
俺にはよくわからんが、勝手に空回りしてるなあというのをなんとなく感じる。というかもはやティアの目がお星様になっている。
「落ち着け、ティア」
「ひゃっ、ひゃい!」
「深呼吸だ、深呼吸、ひっひっふー」
「は、はい。ひっひっふー」
言われた通りに深呼吸しだすティア。
その間に俺は考えた。
今朝一緒に風呂に入った時はこんなではなかった。むしろ俺の方が緊張していたような気がする。
状況の違いといえば、ティアが運動して披露していたということぐらいか。
「……もしかしてティアって、運動でバテると情緒不安定になるのか?」
「ほえ? あ、その気はあるかもです……」
まだ安定していない呼吸の中、彼女は答えてくる。
「お前さ、もうちょっと体力つけた方がいいぞ」
「が、頑張ります」
火照った顔のティアは可愛いし、このままでもいいような気がしたが。
「まあでも、なんか気が紛れたよ。ありがとな」
「え? あ、はい。どういたしましてです」
不思議そうな顔をしているティアの頭を、俺は空いている方の手でわしわしと撫でた。
さらに彼女の紅潮の度合いは増した。こんな純情な子は文字通り、レッドデータな女の子だろうな。




