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二章2 『朝風呂が気持ちいい理由は、科学的に証明されているのだろうか?』

 カポーン。

 そんな音を幻聴で聞きそうな場所である。

 ちなみにこの音は、洗面器や手桶をタイル張りの空間で裏返して置く時に鳴るらしい。

 日本人ってそういうの上手いよね、情緒的な場面の切り抜き方が。

『古池やかわず飛びこむ水の音』なんて名句が生まれるのも、この国だからだろう。

 心境的カメラマンが多いのかもしれない。


 さて。

 俺は今、椅子に座って背中をボディタオルで擦られていた。

「気持ちいいですか?」

 肩越しに背後を見やると、にこやかなティア。俺の背中を洗うのを楽しんでいるようだ。


「ああ。でも子供じゃないんだし、背中ぐらい自分で洗えるけど……」

「ダメです」

 なぜかややキツイ口調で却下された。

「天神さまはまだ、新しい体に慣れていらっしゃらないんですから。女の子の肌はデリケートで、強く擦ったりしちゃいけないんですよ?」


 そう言って俺は体中をティアに現れていた。

 泡に塗れた胸を見下ろすと、さっきのことが頭に浮かんできてかっと顔が熱くなる。

「じゃあ、次はお膝と、足と――」

「わっ、待て、待てっ!!」

 前に回ってこようとしたティアを俺は慌てて止めた。

「も、もう後は、自分でやるから!」

「ですが……」


 不満そうなティアに、俺は必死に訴え続ける。

「本当に、大丈夫だから! 今までティアがやってくれた感じはもう覚えたし!!」

「でもせっかくですし……」

「そこまで手をわずらわせるのも悪いしさ! ティアはゆっくり湯船にかって

てくれよ。何か俺が間違ってたら、教えてくれればいいから、な?」

「……わかりました」


 不承不承ふしょうぶしょうといった感じでティアは風呂に入っていく。

 俺は泡に塗れた胸に手をやり、ほっと撫で下ろした。いやまあ、実際はちょっと息を吐き出したって感じだけど。


 気を取り直して、俺はティアから受け取ったボディタオルで腰より下を洗い始める。

 誰かに見られながら体を洗うのは少し気恥はずかしくはあったが、中途半端だとティアが風呂から出てきて代わりに洗うと言い出しかねない。

 普段以上に念入りに隅々(すみずみ)まで、体を洗った。普段なら髪から足のつま先まで洗い終わってるぐらいの時間をかけて。


 シャワーの湯を浴びている時は、正直ほっとした。ティアは何も言ってこない。おそらく合格――とまではいかなくても、及第点には達していたということだろう。


 すっかり安心しきってシャワーヘッドを壁に掛け、浴室を出て行こうとすると。

「ちょっと待ってください」

 と背後からティアに呼び止められた。


「なんだ?」

「ちゃんと湯船に浸かってないじゃないですか」

「別に、入んなくてもいいだろ」

「ダメですせっかく沸かしたんですから、入ってください」


「……俺、風呂って入るとのぼせるタチでさ」

「今は違うかもしれませんよ? 体が変わったんですし」

「そうかなあ」

「ささ、どうぞ。隣空いてますよ?」

「電車の座席じゃないんだから……」


 結局押し切られる形で、俺は風呂に入ることになった。

 風呂は入浴剤でも入れたのか、白く濁っていた。そのせいで中に入っているティアの体はよく見えない。


 足のつま先から、ゆっくりと湯の中に入っていく。

 人肌という感じの水温で、とりあえず『アチッ!』と跳び跳ねずに済んだ。


 そのまま足首、膝、もう片方の足、腰、お腹に胸、幅の狭い肩と湯の中に入っていく。

「お、意外と気持ちいいな」

 肌に馴染む湯の温もりに、心までなごんでくる。


「ふふっ、よかったです」

「……すごいなんだか、のびのびーってして……ぽかぽか」

 語彙力が失われていく。人をダメにする○○ってシリーズがあるが、それに風呂も追加していいんじゃないだろうか。


「あ、髪は湯船につけちゃダメなので……、ちょっと向こうを向いていてください」

 言われた通りティアに背を向けると、スカーフの時のように両肩の上から手が回ってきて慣れた風にタオルを額の上で巻いて髪をまとめてくれた。

「はい、できました」

「おお、ありがとう」


「湯船に髪をつけると、汚れちゃいますからね。これからお風呂に入る時はこうしてまとめてください」

「なんか面倒臭いな……。いっそのこと、ばっさり切っちゃおうかな」


 そう言いながら振り向くと、ティアが暗い面持ちで俯いていた。

「……なんでお前が落ち込んでるんだよ?」

「すごくきれいな髪なのに……、もったいないなって」

「いやでも、別に髪を切ったからって死ぬわけじゃないだろ? ……まあ、髪は女の命とか言うけどさ」

「天神さま」


 きっ――と覚悟を決めた顔で、まっすぐに俺を見てくるティア。その得体の知れぬ迫力に俺は思わず背筋を伸ばしてしまった。

 なんだ、これ……。かつて戦場で武将たちが相見あいまみえた時に、こんな信条になったのだろうかってぐらいに、浴室の空気が一気に張り詰めたぞ。


「一つ、お願いがあります」

「お、おう、なんだ?」

 小さな手が、己が手をつかみ。

 ティアは顔を近づけてきて、俺の目を射抜くように視線を向けてきて言った。


「どうかわたしに、天神さまのお世話をさせてください」


「……うん?」

 予想の範疇を二歩も三歩も外れた一言。俺は自分の脳がエラーを起こして停止したのを感知した。

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