二章1 『おはようございます、と可愛い女の子に言われたら?』
意識がすうっと持ち上がってくる。
マシな目覚め方だ。頭の中に霞が残ったような目覚め方や、風邪気味で頭痛がするよりも断然。
チュンチュンという、小鳥の鳴き声が聞こえる。
昨日のあの戦いが嘘のように思えるぐらい、のどかな響き。心が安らいでくる。
このまま二度寝したくなったが、誰かが動いている気配を感じるなり、睡魔は潮のように引いていった。
ゆっくりと瞼を持ち上げて見やると、天井の木目が目についた。
デザインは同じだ。なのにどことなく、いつもと違う気がする。
起き上がると、そこは昨日までとは違う部屋だった。
なんかものの配置が違うし、自分の私物じゃないものもある。
そして自分以外の、女の子。
くるりと振り向いた、白髪ツーサイドアップの女の子。
サファイアの碧い瞳が細められ、笑窪を作る。
「おはようございます、天神さま」
「……ああ、ティアか。おはよう」
「はい!」
ぱあっと輝く笑み。太陽よりも眩しいのに、見惚れてしまう。
その笑顔のおかげか、昨日の記憶がたちどころに戻ってくる。
確か俺は、女の子になって、ティアと一緒に住むことになって、アイスと……。
そういえば部屋の中に、アイスの姿がない。
きょろきょろと見回し、俺は訊いた。
「なあ、アイスはどうしたんだ?」
「アイスさまなら、もう食堂に行かれました」
「ショクドー?」
意図せず慣れぬ日本語を発した外国人みたいな口調になってしまった。
「はい、お一人で食堂へ」
「だ、大丈夫なのか? アイツ一人で……」
「そんなに心配されなくても……。寮の皆さまも、見慣れぬ方がいたからと言って取って食べたりはされませんよ」
くすくすと笑われてしまった。
「いやまあ、そりゃ百も承知だけど。でもアイスが一人、か……」
いきなり空気読めないこと言って誰かの気分を害す、とかのトラブルぐらいは平気で起こしそうだ。
それになんだか、その……。
もやもやする。
アイスが自分に何も言わず、一人でどこかに行ってしまった。よくわからないけど、すごく腹立たしい。
不安と苛立ちが混じって悶々としていると、ティアがいきなりひょい顔の前にやってきて、じっと目を覗きこんできた。
「なっ、なんだよ?」
「……臭います」
「に、臭うって!?」
まさか俺の考えてることが、読まれた――!?
緊張に身を固くしていると、なぜかアイスは顔を身体の方へ近づけていき。
「……いい臭いです」
「いい、臭い……?」
「はい。汗の臭いです」
言葉の前後の繋がりに、引っ掛かりを覚えた。
「……いい臭いなのに、汗なのか?」
「はい。おっしゃる通りです」
大きくうなずくティア。混乱はますます迷宮を突っ走る。
「なあ、ティア。お前、連想ゲームって知ってるか?」
「はい、もちろんです。林檎と言えば赤、赤と言ったら日の丸、日の丸と言ったらお弁当ですよね!」
「……なんだろう、スケールがAの屋根部分……というか√の跳ねをなくして左右反転させた感じだな」
「ほえ?」
「いや、なんでもない。ともかく、俺から汗の臭いがするんだな?」
「はい、昨日……というか、今日の午前2時過ぎに帰ってきた時はもうお疲れで、部屋に入るなり夢遊病者のような足取りでベッドに行かれましたからね」
「……徹夜とか、そういう名は苦手なんだよ」
「うーん、わたしは割に夜更かししちゃうタイプですけど」
そう言ったティアの頭を見下ろし、胸に目をやってしまったが、慌てて目を逸らした。
人には触れられたくない部分がある。そういうことをあらかじめ察して、あえて突っ込まないのが、大人の流儀というヤツだ。
「……なんか今、遠回しに侮辱を受けた気がします」
至近距離からのジト目。それに対して俺は、心のマイルを0にするだろう素の笑みこと、スマイルを浮かべてかぶりを振る。
「まさか。俺は断じて、ティアをバカにするつもりはないよ」
「……本当ですか?」
「もちろん。天地神明に誓っても構わない」
「じゃあ、天神さまの信仰してる神様を教えていただけますか?」
「……アダム如来?」
「天神さまのそういう、嘘が下手なところは素敵だなあって思いますよ?」
「いやあ、シスター服とかってティアによく似合うと思うんだ! あと巫女服も。なんだか神秘的って感じがするし!」
「あと話の逸らし方も不得手なんですね」
「じゃあ、神様はやめて、ジッチャンにするよ」
「天神さまのお爺様は尊敬できる、偉大なお方なのですか?」
「……ティアはサブカル方面の知識に疎いよな」
「えっ、え? どういうことでしょうか」
「つまるところ、今のネタは一部界隈では有名ってことだよ。生きるか死ぬかそれが問題だ、敵は本能寺にあり、みたいな」
「えっ、そ、それって名作と、日本人なら誰もが知ってる英雄……の敵役のお方の言葉じゃないですか!?」
「まあな」
ティアの注意は完全に逸れていた。どうやら未知の情報に触れると我を忘れるタイプのようだ。
俺は頭は悪いが、諦めも悪い。
一度ダメだったからと言って、そう簡単に引き下がるタチじゃない。
……まあ、泥臭さが前面に出てカッコ悪い感じがするから、黙っているが。
「臭いといえば……俺、風呂に入ってないんだよな。ちょっとシャワーでも浴びてくるか」
と立ち上がり、浴室に行きかけた途端。
服が後ろに引かれた。
見やると、ティアがぎゅっと裾をつかんでいた。
「なんだ?」
「えっ、あ……」
ティアはもじもじとした様子で黙り込み、しばらく躊躇していたようだったが、やがて覚悟を決めた表情で俺の目を真っ直ぐに捉えて言った。
「おっ、おっ、……お背中、お流ししましょうか!?」
「……え?」