7章8 『あの子』
遺体安置室――ここは普段なら使われることのない部屋である。
メイオウはまだ大々的な活動はしていない。
先代の頃もメンバーを集めたり組織外の協力者を探したりしていたぐらいで、アクションと呼べるものは起こしていない。
ゆえにこそ、施設こそ整ってはいたが滅多に利用はしてこなかった。
「覚悟はよろしいですかな?」
ドアの前に立ったボルトが今一度といった様子で問うてきた。
「ええ。ソアラは?」
見やると、彼は緊張した面持ちでうなずく。
ボルトは胸ポケットからカードキーを取り出し、スキャナーに読み込ませる。
すぐに反応を示し、ドアが開いた。
中は教室の机みたいに縦横そろえて整然と並べられたベッドと、壁を覆うように建てられた円柱の水槽みたいなものがあった。
ベットには空きがなくなるぐらいたくさんの人が寝かせられ、水槽の中にも人の体が黄緑色の液体――ホルマリンに浸かり入っていた。
心の準備はしていたはずだった。
それでも想像を超える目の前の光景に、わたしは眩暈のようなものを感じ気分が悪くなってきた。
「……大丈夫ですかな、王?」
「平気。それより……」
ボルトはうなずき、あくまでも事務的な口調で言った。
「……めぐる様のことですな?」
「そう」
「かしこまりました。こちらでございます」
歩き出したボルトにわたしとソアラは続く。
三つの足音が静寂の中に各々(おのおの)の響き方をする。それは水の中で聞こえた音のようにイヤにだぶついて聞こえた。
一歩一歩が妙にふわついている。
段々と自信がなくなってくる。
ここは現実なのだろうか? もしかしたらわたし達は、夢の中を歩いているのではないだろうか……と。しかもその夢はわたしが見ているものではなく……。
ぐるっと周囲を見やる。
ベッドの上、水槽の中にある人体は、生きた人間のものではない。
部屋の名の通り、全て死体である。
白い布をかぶせられたりしか隠されているが、ほとんどが壊れた人形のような無残な姿をさらしているはずだ。
水槽の方を見やれば、よくわかるだろう。
手足が取れたり、腹がえぐれたり、顔が半壊したりしている。中には脳みそが一つ入っているだけのものもある。
ソアラはハンカチで口を押えて、しかし首を巡らせてそんな死体を眺めていた。
「この部屋に初めて入った人は、みんなそんな反応をする」
知らず言葉が口を衝いて出ていた。
ソアラがなんだろうとこちらを見やってくる。
別にこんなことを聞いてもらったところで、何がどうとなるわけでもない――にもかかわらず、わたしの口は勝手に動き続ける。
「死に魅入られて、心を奪われたような……そんな顔」
「いや、まさか。魅入られるだなんて、そんな……」
「でも、それぐらい精神が狂わないと生きていけない」
わたしは立ち止まり、ソアラの方を振り返って言った。
「今回の戦いでもそうだったと思う。戦いというのは、必然的に幾多の死を目の当たりにすることになる。わたし達はそれに耐えうる心を求められる」
「だ、だからって……、死に魅入られるなんて、そんな……」
「おかしいと思う、わかってる。だけど」
自身の着ている、メイオウの長の装束――黒い上着を握り、わたしは先を続ける。
「先代はそれを推奨している。死と隣り合わせであれ。命潰えた器を神のごとく敬い、神秘性を見出せ。それこそが長き戦いを乗り越える、唯一無二の手段である――と」
ソアラは眉間に皺を寄せ、大きくかぶりを振った。
「俺にはよくわからない」
「そんなことはない。現にさっき、この部屋の死体に向ける眼に忌避や嫌悪の念はなかった。それに」
わたしは彼へと迫っていき、驚きで開き大きくなった黒い瞳を覗き込むようにして言った。
「あなたは身機としてたくさんの女の子を意図せずいたぶっていた時、快楽を抱いていた。生死を彷徨う彼女達の姿に。それはつまるところ、元から死体に対して並ならぬ屈折した好意的感情を抱いているのと同意」
「ちっ、ちが……」
「違わない」
わたしは青くなりかけたソアラの顔に手を伸ばし、そっと柔らかな頬を撫でた。それだけで彼の顔は血色を取り戻し、頬が赤くなっていく。
まるでソアラの今まで培ってきた現実を打ち壊し、わたし色に染めていってるようで、ゾクゾクとする。
少しずつ彼の頭の中を塗り替えていく。メイオウの副リーダーとしてふさわしいように。
そしてあの子のことを意識の外にやるように……。
――あれ?
わたしの思考が一瞬、ぴたりとフリーズする。
それから己に問うた。
あの子って誰?
わたしは今、何を思い出そうとしたのだろう?
何か大事なことを忘れているような気がした。
そもそもわたしに死体を愛でるような性癖なんてあっただろうか?
もっと普通に、純粋に可愛い女の子が好きだったような……。
自分が揺らいでいるのがわかった。
アイス……わたしは、アイス?
いや、そうだろう。目の前にソアラがいるのだから……。
でも、忘れてしまったあの子は……。
「おい、アイス」
ソアラに名を呼ばれ、わたしははっと我に返った。
「どうしたんだよ、アイス?」
彼に名を呼ばれている内に心の揺らぎは治まっていく。
そうだ、何を考えているのだ。
わたしはアイス。メイオウの長で、ソアラに恋心を抱いている。
でも、一度生まれた引っ掛かり……。あの子の存在は消えてなくなってはくれなかった。