7章4 『完璧な守備など存在しない』
右手に熱を感じる。
柔らかくて、わたしより少しだけ大きい女の子――ソアラの手。
握られていると、それだけでほっとする。
目の前には一枚のドア。
この向こうにはもう二度と行かないと思っていた。
わたしはこの部屋で人生を終えようと思っていた。
だけど――この人がいてくれるなら。ソアラの隣にいられるなら。
まだ不安はあるけど、わたしは一歩を踏み出すことができる。
手に力を込めると、ソアラも握り返してくれる。
「わたし……、怖い。みんなにどう思われているか」
弱音を吐くと、彼はこちらに微笑みを見せてそっと頭を撫でてくれた。
「大丈夫。俺が傍にいるよ」
「ソアラ……」
不安に占められていた胸中が、ふっと軽くなる。
とくん、とくんと心臓が揺れ動いて体がポカポカしてくる。
「行こう。きっとみんなアイスのことを待ってる」
「うん」
わたしはカードキーを読みこませてドアを開き、まだ残る不安に竦みかけた足をソアラの微笑()ほほえみで治してもらい。
廊下へ一歩、足を踏み出した。
出てすぐのところは、特に変わった様子はなかった。
この周辺は王の間と呼ばれており、アジトの中でも最奥部だ。辿り着かれた時点でチェックメイト、メイオウの終わりである。
この辺りが無傷であることに、ひとまずほっとする。
しかしメイオウから少なくない死者を出したということは、相当な曲者だったということだ。
「襲撃者って、どんな感じだった?」
「……俺はまだロクに戦場も知らない一知半解の学生だから、迂闊なことは言えないけど」
そう前置きしてちょっと考え込んでからソアラは言った。
「あまり連携とか気にしてない、野良の集団みたいな感じだったように思う」
「え、野良?」
意外な単語にわたしは思わずオウム返しに尋ねていた。
「ああ。各々(おのおの)好き勝手に暴れるっていう、寄せ集めのならず者っていう表現が当てはまるようなヤツ等だ」
「ちょっと待って」
わたしは我慢ならずに制止して、彼の目を見据えて言った。
「メイオウの戦闘員は、常日頃から訓練を積んでる精鋭。そこら辺にいるような野良に負けるような鍛え方はしてない」
ソアラは顎に手をやり、しばし難しい顔で何か考え込んでいた。
「そういえば……、俺の思い込みかもしれないけど」
「なに?」
「アイツ等、メイオウの弱点を突くような攻め方をしてきてたような気がしたんだ」
わたしは言葉を失い、アジトをぐるりと見やった。
ここを受け継いでから、ずっと防衛を固めることには注力していた。いつ何時、誰に責められても耐えられるように。
ボルトや元軍人の人とも相談して。
「……弱点なんて、ないはず」
発した呟きに、ソアラはちょっと気まずそうに言った。
「すまない、アイスを責めるつもりじゃないんだ」
「ううん、別に気にしてない。話を続けて」
「あ、ああ」
ソアラは気を取り直したように話を再開した。
「アジトの防衛自体には俺も問題はなかったと思う。ただ、どれだけ完璧な守備を敷いたとしても、何かしら突破口は残ってしまう」
ついさっきソアラにカードキーのリーダーをハッキングされたことを思い出した。三重のファイアウォールに、三次元のプログラムという絶対に突破されないはずの構築にしていたはずだった。にもかかわらず彼は30分もかからずに全て打ち破ってみせた。
王の間と通常フロアを隔てるドアの前で立ち止まり、ソアラは人指し指を立てて言った。
「突破口を見つける方法は三つある。一つは運に頼って突撃して、たまたま見つけるというもの。力尽くもこれに含まれるだろうな」
「でもメイオウの戦闘員は……」
「ああ、わかってる。野良程度に力量差で負けるわけないよな」
ソアラは二本目、中指を伸ばして説明調で続けた。
「二つ目。相手のことを研究してから、対策を立てて挑むこと」
「研究って?」
「何度も挑戦するとか、噂から推測するとか。そんな感じだろう」
「それもあり得ない」
わたしは間髪入れずに意見を一蹴した。
「アジトの防衛に限らず、メイオウに関する情報は外部に漏れないように徹底してる。みんなにはきつく言い聞かせてるし、裏切りの可能性がある人は牢に閉じ込めて決して出さない」
会話が途切れ、少し息苦しい沈黙がわたし達の間に流れた。
ソアラが眉をひそめて、こちらへ目を向けてくる。だが視線は定まらず、まるで何かを迷うかのように泳いでいた。
「……どうしたの?」
わたしが問うと、彼はゆっくりと息を吐いてかぶりを振った。
「すまないけどアイス、俺はそれを信じることはできない」
「えっ……?」
なんの冗談かとまじまじと見やったが、ソアラに嘘をついている様子はなかった。
次に発したわたしの声は不安が色濃く滲んでおり、寒空の下にいるかのように震えていた。
「……なんで?」
「だって、お前は一度裏切る可能性の高いヤツを外に出してるだろ?」
「そんなこと、したことない」
わたしは表情には出さずとも、自信を持って言った。
何度もメイオウの長――王であることには辟易としたことがあったが、それでも責任感を持って勤めていた。
今日になるまでは一度だって、みんなに顔向けできないような失態はしたことがない。
それなのに、まだメイオウの存在を知ったばかりであるソアラがミスを指摘するというのは正直納得がいかなかった。
「わたしが過ちを犯したっていうなら、言ってみて」
「……いいのか?」
わたしは迷いなくうなずいた。
彼はなおも惑い気味ではあったが、一度ごくりと唾を飲みこみ。
真っ直ぐに目を向けてきて言った。
「アイスの過ちは――」