7章3 『開かずの戸は開かれる』
ソアラが解除に挑み始めてから、10分後。
わたしは目を疑うことになった。
『Passed through the first layer firewall.』
一層目のファイアーウォールが、突破された……?
メッセージウィンドウだけでなく、実際にプログラムの状況を確認したが、確かに突破されていた。
ファイアウォールは特定の端末以外からの通信をブロックするソフトであり、ただ単にパスワードを打ち込めば突破できる通常のセキュリティシステムとはその点が大きく違う。
あのカードキーに登録されているのはこのノートパソコンだけで、それ以外の端末でアクセスした場合は自動で弾くようになっている。
ファイアウォールを管理するプログラム自体もその中に放り込んでしまっている。つまり設定を変えるには唯一通信が可能なこのノートパソコンを使うしかない、ということだ。
しかしわたしはすでにアクセスしており、改めてウィンドウにその事実が表示されるのはおかしい。
バグでもおきているのだろうか?
あるいは。限りなくあり得ないことではあるが……。
わたしは胸中にヒヤリとしたものを感じながら、その可能性の真偽を推し量る。
すなわち“ソアラがたった十分やそこらで、わたしのノートパソコンの端末を偽装するプログラムを組み上げたのではないか?”ということだ。
ファイアウォールそのものをどうにかできない以上、その可能性しか考えられない。
例えるなら、指紋認証システムを突破するのに、認証登録されている者のクローン人間を作ろうというぶっ飛んだ発想である。
口で言うのは簡単だが、実際に為せるかというと話は別だ。
それにこのファイアウォールは端末情報以外に別のものも要求してくる。
三次元のプログラムで組まれた、『Yatanokagami』というデータだ。
ソアラがどれほどプログラミングについて知識があるかは知らない。
だけどわたしの想像が真であるなら、彼はこの部屋にいる内にパソコン内のデータを一度閲覧し、組まれていたプログラムを理解・丸暗記して、短時間でゼロから作り直した……ということになる。
そんなこと、わたしにだってできない。
端末のことも含めて、せめて三日は時間が欲しい。少なくともたった10分でできるようなことじゃない。
けれどもわたしは、偽りない現実を目の当たりにしている。
『Passed through the second layer firewall.』
ソアラが三次元のプログラムを理解しているという事実を。
ファイアウォールはあと一層ある。
阻止することもできる。ソアラの通信が繋がるより先に、ファイアウォールの設定を書き換えてしまうのだ。鍵となるデータを増やしたりすれば、ソアラの足を止めることができる。その間に別のファイアウォールを作ることで、守りは完璧なものになるだろう。
でも……。
動きかけたわたしの手はすぐに止まる。
本当にわたしは、ソアラを拒絶したいのだろうか?
あんなにボロボロになっているのに、わたしのことを心配して体に鞭打ってドアを開こうとしてくれている彼を……。
見るからに苦しそうなその姿を見ている内に、やるせなさが心中を占めていった。
手がぶらんと下がり、ため息が漏れた。
無機質な光を放つ蛍光灯が並列に並ぶ天井を見上げ、自身に問いかける。
わたしは一体、何をやっているのだろうか?
アジトの危機に眠りこけて大切な仲間を死なせてしまった上に、今は閉じこもってソアラに心配をかけている……。
段々、自分自身がもはや存在するだけで、誰かに不幸をもたらすような疫病神のように思えてきた。
最初から存在しなければよかった。生まれてこなければよかった。
胸の内がじわっと熱くなり、視界が揺らぎ始める。
頬に湿り気と、冷たいものを感じた。
堰が切れたかのように、目から幾多の水滴が流れ、膝の上の拳へ落涙した。
もう何もわからない。自分の胸中はぐっちゃぐちゃで、考えがまとまらない。
ただわかったのは、自分の涙がすごく冷たいということだけだった。
ドアが開く気配がした。
少し遠くから、焦った声が聞こえてきた。
「大丈夫か……、アイスッ!?」
駆け足の音が、どんどん近づいてくる。ソアラがわたしのことを心配してくれている……安堵の思いに胸の内が少し軽くなった。無論、そんな資格がないことは分かってはいるのだけど……。
「おい、アイス? 大丈夫か」
「うっ、うぅうう……」
ソアラの胸を前にしてわたしは我慢できず、救いを求めるような気持ちでそこに顔をうずめた。それだけでわたしの身体から強張りが取れていった。肩を微かに揺すり、ただただ泣き続ける。胸の内にある苦しみを全て流しだすために……。
少しして頭に柔らかな手の感触が置かれた。
「……安心しろ。もう、離れたりしないから」
「わたし、わたし……。もう、イヤなの。ここから出たくなくて……ッ。でも、あなたとは一緒にいたくてっ……」
「……そうか」
「もう、リーダーの資格なんてない。みんなに合わせる顔がないの……」
ぽろぽろと涙と共に、自身の思いが溢れてくる。わたしらしくもなく、やや饒舌に。
そんな涙と言葉を、この人は全て受け止めてくれる。わたしの愛しの人は。
「辛いなら、少しの間休めばいい。何もかも、投げ出してさ」
ソアラが認めてくれるなら……。
わたしは鼻をすすり、何も考えずに「うん」とうなずいていた。
ソアラはわたしの髪を梳くように、いつまでも頭と背とを撫で続けてくれていた。