6章10 『美味しくないとか、そういう次元の話じゃなくて』
「……そっか。大変だったな」
他の人に言われたら、無神経な一言だと少しイラっとしたかもしれない。
けれどもソアラの言い方は本当にわたしを気遣って、労るような調子で心の底からほっとした。
この人に優しくされた、甘やかされたい。
心がぐらつく。
でも警鐘の名残が心に残り、迷いが生じていた。
この人はヤバい。
それと疑念――この人は、本当にソアラなのか……と。
「話してくれてありがとな」
ソアラがふわりと微笑んでお礼を言ってくれた。
目が合った瞬間、体温が燃え上がるように一気に上昇した。チロチロと頭の中で火が音を立てて着いたせいか。おそらく燃料は理性とか、落ち着きじゃないだろうか。
わたしは高鳴る胸を押さえ、言った。
「お礼言われるようなことなんて、してない」
「そうか? 俺はアイスの思ってること聞けて、嬉しかったけどな」
やめて……、心の中で叫ぶ。
あなたに優しくされるとわたし、どんどんおかしくなっていって……、何も考えられなくなっちゃう。
そう思うのに、合わさった目を逸らすことができなかった。
「少しは楽になったか?」
「うん」
「そうか、よかった」
ソアラは湯呑みを手に取って、お茶を飲んだ。
わたしもつられるように器を手に取り、初めて口をつける。
好きな人の淹れてくれたお茶……。わたしはそれだけで、飲む前から幸福に浸ることができた。
しかし一口含んだ瞬間――
吹き出しそうになった。
……………………マッズゥ。
吐き気が込み上げてきて、口を押える。
なんというか、渋みと酸味がケンカし合って微妙な苦味が生まれているというか。強烈な臭気が、口中でもわぁんと広がっていくというか。それが鼻へと上ってくるのだから堪ったものではない。
こんなに酷いお茶を飲んだのは生まれて初めてかもしれない。1000年の恋もこの一杯で冷めてしまうんじゃないだろうか、っていうぐらい。
「どうしたんだ?」
「う、ううん」
わたしは慌てて――でもなるべく三半規管を刺激しないよう――かぶりを振り、どうにか飲もうとする。
しかし口をつけるのも躊躇われる……。
もしかしたらソアラって、お茶を淹れるのが……ものすごく下手?
あ、でもクッキーを焦がしたことがあるとか聞いたかも。じゃあ、抜けてるところがあるのかもしれない。
もしくはお茶を淹れるのがものすごく下手、とか。
いずれにせよ、わたしはこのお茶に対するある決断を下さなければいけない。
残すか、飲み切るか――。
瘴気でも入ってるのかっていうこんなお茶をあえて飲むのは、はっきり言って狂気の沙汰である。頭おかしいんじゃないのって他人事なら思う。
でも……。
わたしはお茶から顔を上げて、ソアラの顔を見やった。
彼は不安そうな表情でこちらをじっと窺っていた。
「……なあ。お茶、美味しくなかったか?」
「ううん、そんなことない」
生まれて初めてかもしれない、自分の表情が素っ気ないものでよかったと思ったのは。
わたしは深呼吸をして自分の気持ちを落ち着ける。
一旦、落ち着こう。
冷静になって、慎重に考えよう。
迂闊な判断は戦場でも、日常生活でも時に命取りになる。
このクッッッソマズイお茶がいかにして生まれたか。飲んでも平気なものなのか。
味の正体はまったくわからない。毒なんて今まで口にしたことないけど、それでももう少しマシなテイストをしてると思う。そうでないと毒殺なんて言葉がここまで普及することはなかっただろう。
そもそもソアラが毒物を持っているはずがない。アジトに連れ込む際に身体検査をしたし、基地内のことだってまだわかっていないはずだ。譲渡は禁じられているし、持ち出しにはわたしか幹部クラスの人の許可が必要なのだから。
まあ、それはさて置いて。
飲んでも平気なのか……。これが一番怪しい。
間違っても玉露じゃないし、普通のお茶でもない。
口に含むなり吐き気と涙が出そうになるこれが、まともなものだとは思えない。
だがソアラだって同じものを飲んでいるのだ。しかも平気な顔で。
つまりこれは彼にとってはごく普通の飲料だということ。すでに一杯飲み終えているけど、特に変わった様子はない。
……ものすごく疑わしくはあるけど、飲んでも大丈夫なのだろう。
わたしは恐る恐る器に口をつける。
さっきの吐き気が蘇り、体が硬直しそうになる。
なんか体が冷え込んで、お腹の下辺りが冷え込んできた。
逃げたい。今すぐこんなお茶なんて捨て置いて、部屋を飛び出して口直しにどこかへ美味しいものを食べに行きたい。いやまあ、食欲なんて今のところはないから、さっぱりしたものでも……。
そう思いつつも、わたしの口は地獄を凝縮させたようなお茶を迎え入れ始める。ソアラを悲しませたくない一心で。
一歩誤ったら昇天しそうな激マズテイストが心身を蝕み始める。
苦しむなら、一瞬で――!
わたしは拒否反応する身体に鞭打って、一気にお茶を飲み下した。
意識が、霞んでいく――。
麻痺し始めた舌、痺れだす唇。
涙が出そうになったが堪えた。汗は止めようがないが……。
そのままわたしは吐き気と激闘を繰り広げどうにか勝利し、器を空けることができたのだった。
……できることなら、もう一生飲みたくない。