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6章9 『背負いしもの』

 歩き慣れたはずの廊下が、今日は長い。自室が人類未踏の地にあるみたいにとんでもなく遠く感じた。

 アジトが際限なく広がる宇宙みたいに思える。

 身体が酷く重く、けれども踏み出した一歩が感覚というものをともなわず、着地が虚無的だった――踏みしめた瞬間、地面が消えてしまったかのように。そのままどこまでもどこまでも、落ちて行ってしまうような錯覚。

 そうだったらどんなによかっただろうと思ってしまう。


 メンタルが参っていた。自暴自棄になるぐらい。

 もしも今、眼前に華厳けごんの滝の崖があれば、迷わず飛び下りているだろう。青木ヶ原樹海だったら……少し迷うかもしれない。

 我ながら思い切りがよくないが、死ぬときぐらい一思いにきたいものだ。できれば愛した人と共に。太宰治みたく一人生き残るのは、勘弁してもらいたい。


 部屋に着いた頃には、ぐったりとしていた。

 一寝入りしたいが、睡魔はない――そういうタイプの厄介な疲労だった。

 部屋に入ったわたしの鼻を、いい香りがくすぐった。

 茶葉の香り……、玉露だろう。

 ソファに座ったソアラが持ったうつわからだ。わたしは鼻がいい、多少距離が離れていても匂い――もちろん臭いも――を捉えることができる。


 ソアラはこちらを見やり、「お帰り」と声をかけてくれた。わたしは「ただいま」といつものおそらくは仏頂面ぶっちょうづらで応じる。

「勝手に茶器を使っちゃったんだが……」

「構わない」

「そうか、よかった」


 胸を撫で下ろした彼はふと心配そうな顔で「何かあったのか?」といてきた。

「……顔に出てた?」

「いいや。でもなんとなくわかった」

「なんとなくって?」

「……雰囲気とかから。えーっと、……なんとなく」


 しばしうなった後「ごめん、上手く伝えられなくて」とソアラは頭を掻いて謝罪してきた。わたしはかぶりを振り「気にしない。ソアラは悪くない」と答えた。


「なあ、悩みとかあるならさ、話してくれよ」

「どうして?」

「うーん。解決……は難しくても、少しは胸のつかえとか取れるかもしれない。あと一緒に考えれば、妙案を思いつくことも、無きにしもあらず……ってさ」

 そう言ってソアラは軽く笑った。

 わたしはその顔を見るだけでも心が少し軽くなった。

 今日一日、色んなことがあったけどそれを見ると忘れられるような……。

 しかしなぜか心のどこかで警鐘が聞こえた気がした。

 その安堵に飲まれてはいけない、と。それで心を充足じゅうそくさせてはならない。

 完全に満たされては、自分が自分でなくなってしまう……。


 一体何を言ってるんだ? 我がことながら、まるでバカバカしいと一蹴いっしゅうしてしまいたくなった。

 わたしはソアラのことが好きだし、彼を見て――唇を振れあわせたり、肌を重ねたりして――幸せになることの何がいけないというのだろう?

 けれどもその警鐘がどうしても耳から離れず、歯の間に挟まったいちごの種のように完全には無視できなかった。

 すっきりとしないままではあったが、ソアラの好意を無下むげにはできず、わたしは語りだした。




 メイオウという巨大な組織を背負っている以上、わたしは勝手に死ぬわけにはいかない。

望むと望まざると関わらずに、この組織には数多くの人生がかかっているのだ。

 世界中に同士がいるとも聞いたことがあるし、大企業二けた分というスケールだとも耳にしたことがある。

仮にメイオウが壊滅したら、それだけの規模で路頭に迷う人が出ることになる。


 しかもメイオウは反社会秘密組織だ。ここでやっていけなくなったからといって、どこかから保証が出るわけじゃない。その上、誰からも――少なくとも表社会で真っ当に生きている人からは――同情すらしてもらえないだろう。

 もちろん兼業者もいるだろうが、めぐるみたいに全てを組織に捧げてくれている人もいる。メイオウという組織の中で生まれて、外の世界を知らずに生きている子もいるという。

 そこら辺のことはボルトが知っていて、いずれ教えてくれることになっているが、考えるだけで重責に押し潰されそうになる。


 聖霊の保護は、わたしもすべきだと思う。上杉謙信、酒吞童子を始めとした彼等には自我があるのだ。道具のようにあつかっていい存在じゃない。

 でもだからって、もうちょっとやり方はなかったのだろうか?

 わざわざ組織を作って、大勢の人の人生を歪めるようなやり方は間違ってもするべきじゃなかったのだ。リスクが大きすぎる。それは組織の大きさに比例してさらに悪化する。


 おそらく先代の手腕が無駄によかったのがいけなかったのだ。普通なら組織が大きくなる前にほころびが出て壊滅するし、文句なしに優れていれば一代で望みを叶えていただろう。それならいい。

 しかし中途半端だったせいで、わたしにまで面倒――なんて一言じゃ、とても済ませられない難題――を背負わされる羽目になった。

 志なかばで死ぬか、目標を達成してから子を産むという判断をしてくれ。自分の意志を継ぐためとかいう自分勝手なヤツは、間違っても子供を産むな。

 ゆえにわたしは生粋きっすいの無神論者である。おろかしい思想を持つ親に子供なんて与えるべきじゃないのだ。聖霊が道具でないように、人間とて自我を持った生き物である。損得勘定やおのが都合でどうこうしようなどと考えないでほしい。


 およそ組織のおさらしくない考え。

 いつもここまで思い巡らした後は、わたしは自己嫌悪におちいることになる。

 本当にイヤになる……。

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