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6章8 『去り行く従者』

「時間があるかって?」

「いや、少しリーダーと話したいと思うてな。今はちょいと時間があるし」

 おそらく、今日の夜に話そうとしたことだ。そうわたしは直感した。

「できれば誰もいないところがええねんけど」

 目つきがいつもと違い、真剣なものになっていた。

 めぐるは一刻も早く、秘密裏にわたしに何かを伝えようとしている。


 わたしが応じようとすると、ボルトがやんわりとした調子で横から口を挟んできた。

「申し訳ありませんが、ワシが先約でしてな。出直していただけるとありがたいのですが」

 やや強引な印象を受けた。彼はわたしをおさとして立ててくれていて、こういう場合もいつもなら、まずはこちらに意見を求めてくれるのだけど……。


 めぐるは一度、ちらとこちらの様子をうかがってから言った。

「そか……、わかった。引き止めてしもうて、悪かったな」

「いえ。お仕事頑張ってください」

 ボルトは慣れた所作で礼をして、わたしを促して歩き始めた。

 途中で肩越しに後ろをうかがうと、めぐるはその場で立ち尽くしてじっとこちらに視線を向けてきていた。


   ○


 ボルトの話は特に大したものではなかった。

 現状の設備の状態と修繕箇所に関する報告で、今度の会議の議題にも上がる内容だ。その事前確認とのことだったが、別段こうして二人で話すようなことでもない。

セキュリティ設備に不具合が起きたとかならまだわかる。だが彼の報告はシャワールームの一部設備が不調で使用不可能な場所がある、程度のことだ。


「それだけのために、わざわざわたしを呼び出したの?」

「はい。至急しきゅう、お伝えした方がよろしいかと思いまして」

「そう」

 わたしはボルトの様子をまじまじと観察した。

 特にいつもと変わった様子は見受けられない。いたって平然としている。

 だがこのぬぐいきれない違和感はなんだろうか?

何か隠している。そんな気がしてならないが、正体はつかめない。


 もしかしたら勘違いかもしれないし、うたぐり続けるのもボルトに悪い。

 わたしは心中の疑念をすみに押しやり、真っさらな思いで彼に言った。

「報告ありがとう。今度の議題で取り上げてくれたら、修繕の許可を出す」

「ははっ。お心遣い、感謝いたします」

 わたしは彼の雪が解けかけているような白髪の頭を見やった。

 いつもその頭脳でメイオウを支えてくれていたボルトが……まさか。

 ……そんなことはあり得ない。きっと。

 生まれた時から彼は、ずっとわたしのことを可愛がり続けてくれていたのだ。何があっても絶対に最後まで味方をしてくれるはずだ。


 それでも完全に不安を払拭ふっしょくすることができず、わたしはそれを問いに変えてボルトに投げかけた。

「一つ訊きたいことがあるんだけど、いい?」

「はい、なんなりと」

「あなたはわたしを裏切らないわよね?」

 わたしは彼の目を真っ直ぐ見据えて返事を待った。

 しばしの間の後、ひげおおわれた口が開いた。

「それは王を、ということでよろしいですかな?」

 質問の意味がわからずわたしは眉をひそめた。今の問いをそれ以外にどう解釈できるというのだ?


 ボルトはじっとわたしの様子をうかがっている。冗談を口にした後のふざけた様子は見受けられない。真剣に発されたものだというの……、あの謎掛けみたいな問いは?

 光源のない迷宮の中に放り出されたような困惑に精神状態がおちいる。

 わたしは手さぐりで答えを求めるが、一向につかめる気配はない。たとえそんなものがあったとしても、気付くことすらできないだろう。

 喉のかわきを覚えた。いや、口の中まで。唾液が恋しくなるぐらいに。

わたしにしては今日はよく話したし、お昼にお茶をきり水分をまったく摂っていない。

 しかし第十三会議室の近くには食堂も給湯室もない。冷水機もない。


 この部屋はあらゆるものが乾燥している――そんな気がしてきた。まるで草木の一本すらない砂漠の中心みたいに。


 うるおいを失った頭の中から、あらゆる思いが蒸発していく。すうっと音もなく。

 喪失感が心にぽっかりと穴を開ける。世界が急に遠ざかっていくような気がした。


 ずっと求めていた手掛かりが、いつの前にか目の前に現れたような気がした。

 けれども触れるのに、躊躇ためらいを覚える。もしも真実を知ってしまったら、その途端に砂となって崩れて消えてしまうのではないか――。

 手の中だけが湿っていた。体中の水分が集中してしまっているのかもしれない。

 空気が薄くなってしまったように、上手く呼吸ができない。僅かに残った理性の欠片が次々と窒息死していくみたいだ。


「わた……わたし」

 喉が詰まったように言葉が出てこなかった。

 それが余計に焦りを生み、脇の下にも汗を感じた。

 唇が震える。

 おかしい。こんなのわたしじゃない。いつも感情を見ださず、何事にも淡々と対処していくのがアイスわたしのはずなのに。


 ふいにボルトが立ち上がり、頭を下げて言った。

「すみません。そろそろ次の予定がありますので、失礼いたします」

 彼はわたしに背を向け、すたすたとドアに向かって歩いていく。

 待って――そう呼び止めたかった。

 だけどまだ言葉出てきてくれなくて、ドアがボルトの姿を隠すのをただ見ていることしかできなかった。

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