『邂逅』03
「そういえば自己紹介がまだだったね、私はバーナード・アーキン。バーナードでも何でも、名前の方なら好きに呼んでくれて構わない。苗字で呼ばれるのはあまり慣れてなくてね」
私の要望を聞き終えると彼はすぐにエイミーの治療に取り掛かってくれた。彼女の傷に障らないように身体を抱えて重さを計り、近場の枝を拾って地面に数式を書き出す。ほんの少しブツブツと何かを呟いていたが、ひとしきり書き終えたのか枝を放り捨ててケースの中から瓶の一つを取り出した。
「医療において最も重要なのは『適切な処置』と『徹底した衛生管理』だ」
彼はそう言うと瓶の中身を少し両手にかけた。鼻をつくようなツンとした酒に似た匂いがする。
「戦場で傷を負った者が死ぬのは、往々にしてこれらの要素が満たされていないからだ。衛生管理を怠れば適切な処置を施しても別な要因がその命を奪う。また逆も然り」
鞄から取り出した綿を先程の液体に浸らせてエイミーの身体を拭き取ると、バーナードは注射器を用意して側にあった瓶の薬液を充填する。
「本来なら時間も掛けるし専用の器具が必要だが致し方ない。先も言ったが荒療治になるぞ。フレデリカ君、君はこの子が暴れないように頭を撫でるなり怪我してない方の前足を握るなりしてやってくれ。なんなら頬擦りしてくれても構わない。消毒した箇所にさえ触らなければね」
バーナードはそう言うとシリンジから空気を追い出した。私はエイミーの頭を撫でて話し掛ける。
「怖がらないで。大丈夫、きっと大丈夫だから……」
針が皮膚に刺さると同時に少しだけ顔が強張る。痛みが少なかったのか特に暴れるような事はなく注射器の中は空っぽになった。
「ここからは時間との勝負になるよ」
そう口にする彼の声は真剣そのものだった。出血を最小限に抑える為に傷近くにある血管を締めながらエイミーが眠りに落ちるまで待つ。どうにも麻酔を入れたとの事らしい。
すっかり眠りに落ちたエイミーを見て彼は素早く針と糸、ピンセットを取り出す。彼は傷を開いて内部を確認し「運がいい」と口にした。
「どっちも鏃の鋭さが幸いしたな。血管は切れてるが吹き飛んだ部分はそうない。ちょいと引っ張って繋げるだけで済む」
「大丈夫なんですか?」
「本格的にこれで治そうって訳じゃあない、私の本職はこの後にやろうとしてる方なのでね。その下準備として死なないようにしなきゃあならないんだ、麻酔もその一環さ。何せ私がやろうとしてる事はとんでもない痛みを伴うからな」
その一言に私は顔を引攣らせるが、彼はこちらの両目を見て窘めるように話し続ける。
「いいかい? 道理に無茶を通そうっていうんだ、言わずもがな代償は覚悟してもらう。怪我を治すのは確約するが痛くしないだの何だのっていうような約束は出来ない。私は神じゃあないんでね」
「ええ、分かってます……」
「……麻酔は効いてるから直接痛みを感じるって事は余程の事がなければありえない。脅かすように言って申し訳ないが、都合よく治せる訳じゃないって事を理解してもらいたかったんだ」
血管や皮膚を次々と縫い合わせていくバーナード。時折傷に滲む血を清潔なガーゼに吸わせて拭き取り、鮮やかな手付きで処置を終わらせていく。ついに二つの傷を縫合し終えた彼は手の血を払って顔を拭う。
「これで良し」
「本当に、ありがとうございます」
「礼を言うのは早いよ、こっからが本職だと言ったろう?」
バーナードはケースの中から膨らんだ皮袋を取り出してエイミーの周囲を歩く。時折その手の中にある袋から象牙色の粉を足元に零しながら。
「何をしてるんですか?」
「これからやろうとする事の準備さ。何を隠そう私は魔法使いでね。とっておきの魔法というのを見せてあげよう」
────魔法。
私自身詳しい訳ではないが知識の上では知っていた。私達を取り巻く環境や人体、魂に含まれた魔力という元素を用いて超常の力を行使する手段。
何もない所から火や雷を呼び起こし、傷の治りを早め、時には肉体の朽ちた魂に仮初めの身体を与えて使役する事も出来るという。人々はそれを修めた者を魔法使いと呼んだ。
何故そんな便利なものが根付いていないのかと言えば、魔法使いがその技術を伝えるのを拒んでいるからだ。原理や効能が広まれば魔法の価値を下げるし対策も研究される。だからこそ彼等は己の内にそれを秘める。自分達が持ち得る優位性を保つ為に。
「魔法にはいくつか種類がある」
バーナードは作業を進めながら言葉を紡ぐ。
「ひとつ、世界に干渉するもの。火を生み、雷を呼び、冷気を放ち、大気を司る『妖術』」
エイミーを囲うように先程の粉末で大きな円が地に描かれた。
「ふたつ、意思に触るもの。人の思考に靄を掛け、心に忍び込み、記憶を覗き、ありもしない幻を見せる『呪術』」
再び円が描かれる。今度は先程のものよりも一回り小さく。
「みっつ、魂に呼び掛けるもの。生命力を吹き込んで肉体の再生を早め、魂のみの存在に仮初めの肉体を与え、命そのものを捕らえ、時としてその熱を奪う『巫術』」
立ち止まった彼の足元から金色の輝きが生じる。それに応じたように二つの円は光を帯び、その中には見慣れない記号が湧いたように生じた。目の前の光景にも件の記号にも理解が及ばないが、暖かい力がその場を満たすような感触を覚える。これが魔力というものなのだろう。
「よっつ、物のあり方を変えるもの。物体を解し、構造を組み替え、望むままに彫刻し、変質させる『造術』。私が最も得意とする魔法だ」
エイミーの傷と周囲の皮膚が同質の輝きを帯びると彼女を包むように光の粒となって飛び交った。背と腹の一部、右前足は鋭利な刃物で丁寧に切り取られたようで、断面から流れ出る血液も光の粒となって後を追う。
そんな事も束の間、今度は粒が断面へと集合していく。付着したそれが光を失うと共に肉や骨がそこに構築され、宙を舞っていた最後の光が孔を埋めるとエイミーの身体は完治していた。
「これで終わりさ、あとは目を覚ますまで待とうじゃないか」