『邂逅』02
「お前、央国の騎士か?」
付着した汚れを外套の裾で拭い、鞘へ剣を収めて剣士は私へと言葉を掛ける。
「は、はい」
私の返答に「そうか」とだけ返すと辺りに散らばった山賊達の剣や弓を拾い集め、一つの場所にまとめあげる剣士。黙々と作業を続ける彼から傍に横たわる愛馬へ視線を移す。
私にこそ目立つ怪我が無かったがエイミーの方は重傷だ、息も荒く出血も酷い。このまま放っておけばそう長くはない。加えて彼女はあの隻眼が言っていた通り馬として致命傷を負っていた。
「……」
右前足の骨折。人であればたかが骨折と言えなくはないそれも、四足で身体を支え続ける馬にとっては命にも関わる怪我。
馬の足は人のそれより走る事に長けた独自の形状をしている。しかし掛かる負担は相応に大きいのだ。一本でも使えない足があるとなればその負担は他の足に掛かり、様々な病気を併発してしまう。足の折れた馬はおおよそそうなって死ぬ、その病か痛みのショックによって。
「……ごめんね」
鞘を杖代わり立ち上がる。ふらつきはするものの先ほどと比べれば幾分か良くなっていた。
「エイミー」
剣を握る手が震えている、涙が止まらない。彼女も現状を理解したのか目を閉じて死を受け入れようとしていた。自分の無力さに歯噛みする。
どこに行くにもその背を見続けて来た愛馬との今生の別れに、今までの思い出が頭の中に巡る。しかし、いつまでもそれに浸っているわけにはいかない。息を整えてその首に狙いを定める。苦しませぬように一撃で落とすと意を固めて私は剣を振りかざした。
「おい」
剣士が私の手をがっちりと掴む。痛みはないが強い力で手を締められており、今の私では振りほどく事が出来なかった。
「離して……!」
「断る。この馬はお前のだろう、何故殺す必要があるんだ?」
「私だって殺したくなんかない! でも、でも……」
治療も出来ず、今助かったとしても待っているのは苦痛に塗れた日々。これが正しい、こうするしかないと自身に言い聞かせていた。例えそんな事になったとしても長生きして欲しいと願うのは彼女のこの先を省みない自分のエゴだからだ。
「お願いします、離して下さ──」
「あー、お取り込み中の所申し訳ない。病状の方を伺っても構わないかね?」
私の言葉を遮る声。街道の方角からひとりの男性が姿を現わす。
「おっさん、来たのか」
「『来たのか』じゃあないよ全く。君に置いてかれたからこっちから来たんだろう」
呆れたように応答し、溜息混じりに顔をしかめるとこちらに近付いて来る男。鞣された皮の貼られた木製のケースを携えているのが伺えた。
距離が詰まると共にその全貌が明らかとなった。整えられた長い金髪。やや細身の体格ではあるが背は高く、落ち着き払った様子からは年季が感じられるがその顔は若々しい。
「エルフ」
男の風体に思わず言葉が溢れる。
「央国では珍しくもないと思うのだがね」
「それはそうですが……」
彼の言うように私達の国では他種族は珍しくもなんともない。というのも私達の国は元々、東西南北にある四つの国の人々が往来する為の中継点に過ぎなかった。それがいつしか各国の人々が住み着くようになり、商いが始まると更に人口が増加していき、独自の文化が形成されて今のセンタリウルが成立したという。とはいえ、初代国王が行方を眩ましてから北と東の二国とは交流が途絶えているのだが。
「っと、先ずは怪我の治療が先だ。剣は危ないから下ろしてくれたまえよ。君の方は目立つ怪我はしてないみたいだが顔も青いし震えもあるね。病か毒か……いずれにせよ症状は軽い、そこに座りなさい」
速やかに指示に従うと彼は目を細めて笑った。
「素直で宜しい」
「動物の治療が出来たとは初耳だが」
「犬とか猫なら経験はある、勿論人もね。馬を診るのは初めてだが要領は変わらんさ」
男はエイミーの側に屈み混むとケースを地面に拡げる。内部は立体的な構造をしており、瓶に入った見慣れない液体や膨らんだ皮袋が綺麗に敷き詰められていた。そのまま彼女の全身を隈なく眺めると、彼は小さく咳を一つ吐いて言葉を続ける。
「三歳前半くらいか、身体の出来上がったいい時期だ。えー……そこの君、名前は?」
「エイミーです」
「馬じゃない、おっさんの聞いてるのはお前の名前の方だ」
「あっ、あっ、失礼しました! フレデリカです!」
考えてみれば初対面で相手の馬の名前を尋ねる者はいないだろう。立て続けに色々な事が起こったせいで冷静さを失っていたらしい。顔から火が出そうな程の羞恥に顔を伏せる。剣士は私達に背を向けて山賊の亡骸を片付け始めており、様々なものが入り混じった液体が粘質の音を立てていた。
「ははは、余程この子の事が心配だったんだね。取り敢えず先に言っておくが心配はないようだ」
「本当ですか?」
「矢は筋の深い所まで刺さってるが内臓まで届いてはないし、通り抜けた部分は腹の脂肪が詰まってる部分だ。出血こそ酷いがそれさえ抑えれば死に至る程ではない。あとは体力次第だが問題はないだろう」
微かに差した希望に安堵の溜息を吐く。しかし彼の言う『心配ない傷』は矢によるものだけ。
「あの、その子の右の前足が折れてしまっているんです。そちらの方はどうなのでしょうか……」
「あー、うん、そうだな……」
男は言葉を濁す。結局そちらをなんとかしない限りはどうにもならないのだ。とはいえ人が処置出来る怪我には限度もある。そんな現実を前にして心に暗い気持ちが立ち込めていく。
「荒療治になるよこいつは」
だが彼の言葉は思いも寄らぬものだった。
「治せるのですか?」
「まぁね」
私の言葉に彼は頷いた。
「君は随分と落ち込んでいたが、足を折った馬がどうなるか理解しているんだろう?」
「はい……」
「言わんとする事は分かる。はっきり言ってしまえば並の医師なら匙を投げるだろう」
男は私の目を見ながら誇らしげに話し続ける。
「だが、生憎私は『並』じゃあない」
自身に満ちた笑みを浮かべてそう語る男に間髪入れず剣士が言葉を挟んだ。
「それどころか医師でもないだろ」
「え」
呆気に取られて声が出た。今までの話はなんだったのだという困惑、微かな希望を踏み荒らされたような悲哀と憤怒、更なる絶望。一度に押し寄せたそれをどう表現したらいいのか分からず表情が固まる。
「エルド、君はもう少し空気を読んで発言したまえよ。これじゃあ私がただの胡散臭いおっさんじゃあないか」
「胡散臭いのは元からだ」
「そうはいうがね、タイミングとかさぁ」
「治せるって、嘘、なんですか?」
私はもう何が何なのか分からなくなっていた。頭に残る疑問の内から最優先で聞くべきものを選抜し、二人の会話を割って問い掛ける。
「……分かった、正直に言おう。私は彼の言った通り医師ではない。しかし相応の知識は持ち得ているし、先に言った通り実際に医療に携わっていた経験があったのは本当だ。加えて言うならこの怪我を手っ取り早く治す手段も持っている」
「だったら何故」
「先入観を持つだろう? 今の君みたいに。私と君はほんのちょっと前に顔を合わせたばかりだ。そんな相手が『医師ではないが怪我を治せる』とか言っても信用出来るのかい?」
「それは、最初からそう言って下されば……」
「信用した」と私が言い切るよりも早く彼が言葉を被せる。
「かもしれないね、だがそれこそ保証がない。実際に君は冷静じゃあなかった。私の単純な質問にも間違った返答をしたし、彼が君を止めなければ今頃は愛馬を手に掛けていただろう」
「あ、う……」
何も言えない。彼の言うようにあの状況下でそんな事を言われても、見ず知らずの他人を本当に信用出来たのかどうか今となっては分からない。それを別にしても冷静でなかった事やエイミーを介錯していたであろうというのは事実なのだから。
「まぁ、それ以外にも個人的な理由があったのは否定しないさ。まずはそれらしい事を言って信用を得る。治療が全部終わってから本当の事を言えばいいし、結果が付いてれば相手も納得してくれる、嘘も方便だ。なのに君ってやつは……」
「騙るような事を言っておきながら信用なんぞどの口が言う」
「嘘は一言も吐いてないんだがね。しかしまぁ、そう言われると反論は出来ないな。あはははは」
「それと、フレデリカといったな」
男が困ったように目を細めて笑う最中、エルドと呼ばれていた剣士は鋭い目付きでこちらを見据えた。
「俺の質問にお前は騎士だと答えたが、はっきり言ってお前は向いてない」
「な、失礼にも程があります! 助けて頂いた事は感謝してますが、あなたにそのような謂れをされる理由はありません!」
「そう言われたくないなら自分の選択に後悔しない事だ。傷付いて悲しむ程大事な相手を戦いに巻き込むんじゃない」
「ぐっ……」
そんな言葉に私は言い返す事も出来ず、俯いて黙り込むしかなかった。
「まぁいい、言うべき事は全て言った」
そう告げて森の奥に向かおうとする剣士に対し、男は尋ねた。
「どこ行くんだい?」
「見回りと薪集めだ。さっきの奴が戻って来てるかもしれんし、何にせよ火は要るだろ」
「成る程ね、では任せよう」
彼を見送るように手を振り終えて私の方へ視線を戻す男。
「それではフレデリカ君、治療の件はどうするかね?」
あまり時間は残されていない。
「……お願いします」
私はこの人を信用する事にした。