第二話:ヘンリー・ヒュースケン
※※ 02 ※※
何処をどう通って、ここまで来たのか、さっぱりわからないが、視界が開けた川岸が見えると、春明は安堵の色を見せ、足を休ませた。
日はすでにとっぷりと暮れている。月明かりが水面を照らし、周囲が僅かに桃白い。
「まあ、ここまでくれば、心配あるめい」
春明は息を整え、周囲を見回す。仮に追いつかれ、囲まれても、こうも明るく、広く、そして隔てる物もないとくれば、斬り合いになっても造作もないことだ。
ふと連れてきた異国人を見る。くすんだ赤銅色の髪がくしゃくしゃに沸き立て、大きな体躯を折り曲げて、肩で息をしている。春明の視線に気が付いたのか、橋の欄干に肘をつき、満面の笑みを湛える。
「おめえさん、名前は?」
春明は、周囲を警戒しつつ、腰の大小を整え、改めて異国人を見た。
人なつっこそうで、子供のように無邪気な碧い瞳。さっきまで無頼漢に襲われていたというのに、まるで警戒心のない瞳。
日本語は通じないのか……。
思わず春明は嘆息する。
「ヒップ、ヒップ、オレー!!」
突如、異国人はもろ手を挙げ、そう叫ぶと、異国人は春明に抱きついてきた。
「すばらしいですっ! 日本の侍こんなに小さいのにグレイトでストロング!!」
「んなっ!? 離せ!!」
大きな毛むくじゃらの腕を振りほどく春明。異国人はおどけた笑顔で離れた。
「言葉がわかるってなら、話ははえぇ。名前は何ってんだい?」
「私の名前はヘンリクス・コンラドゥス・ヨアンネス・ヘウスケンです」
「へ…へんへん??」
鳩が豆鉄砲をくらったような春明を見た異国人は肩をすくめる。初めて耳にする異国語に戸惑いを隠せないのも仕方がない。
「ちっとも変ではないですねェ。……ヘンリー・ヒュースケンでよいですね」
改めて異国人はそう名乗った。
「い、いやすまねぇ…。へへ、へい、塀塗風介。お前さんの家は左官屋なのかい?」
春明の質問に、今度はヒュースケンが当惑する。
「言ってる意味わかりません……。それよりお侍さんの名前きいてもいいですか?」
「ああ、おいらは井瀬春明ってんだ」
ヒュースケンは、不思議そうな顔をして、いきなり考え込むが、ハッとした顔になる。
「イノーセハラキリ!! よろしくハラキリ!」
「ハラキリじゃねェ! 春明だぁ!!」
突然、ヒュースケンの腹が鳴る。
「ハラキリ、何か食べたいね」
「ったく…」
憮然と顔をしかめる春明。が、春明も旅籠を決めて、早く落ち着きたかった。
「…しかし、まあ」
自分の旅の砂埃で汚れた姿と、ヒュースケンの薄汚れた姿を見て、
「飯もだが、まずは風呂だな……。下田には温泉があるって話だが」
「フロ!? オンセン!? イイねェ」
春明は、後ろ頭を掻きつつ
「…んじゃ、付いてきな風介」
春明は異国人を伴って、再び旅籠の立ち並ぶ街道を目指した。