第十話:花園
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春明とヒュースケンは赤鬼の宿の暖簾をくぐったところで、今かと待ち構えていた金平に腕を引かれて奥へと進んだ。
適当な部屋の襖を開き、春明をヒュースケンを座らせると、女中が三人分の麦湯を運んできた。春明は湯呑を掴んで口に運ぶ間に赤鬼は一気に飲み干した。そして、大きく息を整え、
「あやしい奴、あやしかった奴…かたっぱしから調べやしてね、いやはや苦労したんでさー」
笑いながら後ろ頭をかく赤鬼。春明は口に運ぶ麦湯の湯呑を一瞬ためらい、無言で赤鬼に渡す。赤鬼はそれを受け取り再度飲み干した。春明は眼を細めつつ、腰からキセルを出し紫煙を燻らせた。
「そいつは面倒かけたね、で、どうだったい?」
赤鬼は、たたずまいを整え、真面目な顔になる。
「へえ、寝姿山ふもとのにある、とある部落の寺に…今は廃寺なんすけど、約3~4年前に岳鏡と呼ばれた大男の坊主がいたらしいでさ」
再び、大きく息を吸い、神妙な声でいざり寄る。
「……で、その岳鏡は異人だったんでさ」
春明はキセルをたたき、草を落した。ヒュースケンの言の信憑性が高くなると同時に、自身でも驚愕している現実を受け止めかねていた。
「どうして、わかったんだい?」
赤鬼は懐からヒュースケンの友人が描いたという富士の絵を出した。
「風介の旦那から借りたこれでやす。これを見た村長がすべて語ってくれたんでさァ。そうしたら、こんまもんまで出てきやした」
赤鬼は柏を打つと、若衆の1人が風呂敷を持って現れた。無言のまま赤鬼の傍に置き、深々を頭を下げて去って行った。赤鬼は春明とヒュースケンの前で風呂敷を広げる。中から似たような絵画が数点現れた。
田植えの風景画。裏には「platteland」と書かれている。
その中にきっと日本の風景ではないであろうお花畑の風景画があった。
流し見しつつ、春明はヒュースケンに渡す。
「まちがいないね!!」
「なんでも神奈川沖で異人の商船が難破して浜辺に打ち上げられていたのを、寺の住職が介抱したという話ですがね……」
感涙にむせるヒュースケンを気にしながら、赤鬼は春明に続けて言う。
「動けるようになっても公儀を憚って寺男として居座り続けたそうでさ。しかし天保の大飢饉で住職も寺男もころりと逝っちまって、いまでは廃寺になっちまったってわけでさ」
しかし、顛末を聞いたヒュースケンは、途端に消沈する。さもありなん、とばかりに春明は、キセルに草を詰め、火をつけた。
しばし、静寂の中、ヒュースケンが絞り出すような声で赤鬼に問う。
「お墓に行くことできるね?」
「それは……調べやしんで、案内できやす」
と、赤鬼。それを聞いた春明はおもむろに立ち上がり、愛刀の加州一文字兼祐を腰に落とした。
「んじゃ、行ってみるかい」
満面の笑顔の春明に、赤鬼は大きく頷いた。
「お共しやす」
赤鬼一家が動き出した。
海防掛並の春明を先頭に、毛むくじゃらの南蛮人を従え、さらにその後ろに赤鬼一家が追従している一団は下田の田舎でも大いに目立った。とある部落では、お役人が紅毛人と無頼者を処刑するために山に入っただの、逆に赤鬼一家が義賊に目覚めて、開国派の役人と夷荻に天誅を下すのだという噂が持ち上がった。すぐさま奉行の井上が箝口令を下したので、大きな騒ぎにはならなかったが……、後日、春明は井上に弁明を余儀なくされる。
寝姿山を登り、見晴がよい荒れ地にでると、海が見えた。かつて寺があったという場所らしいが、山門らしき敷居の跡を抜けると、双山ほど石が積んであった。なるほど、これがここの部落民が立てたと言われる墓らしい。
今回は村の長老が、奇天烈な一向に不精不精参加して案内してくれたのだった。
「本名は知りませなんだが、異人だということは皆知っておりました。住職から口止めされてましたし……なにより子供たちに優しいひとでしたよ」
ヒュースケンは墓の前で膝をつき両手を組む。それを見つつ、周囲を見渡し、
「それにしても、ずいぶんさびしい場所だな」
と、春明は零した。
「本人の希望で遠く海が見えて、富士山が見える場所はここしかなかったんで……お寺の跡地ということと、人目に晒されないということもあり……」
長老の後ろ髪を引かれているような物言いも気にせず、春明は海を眺めた。
「ここからだと西の方角。ずっとむこうにはわれらが祖国オランダがあるね」
隣に立ったヒュースケンが独り言のようにつぶやいた。思わずその横顔を見る春明は、ヒュースケンの寂しげな笑顔に望郷の念を見たのだった。
「風介の国ってどんなとこよ?」
努めて明るく問う春明。
「お花が一面に咲いてる綺麗なとこね」
ライトブルーの瞳が潤んでいたが、いつも通りの無邪気なヒュースケンの笑顔だった。春明は、いつか見た一つの絵を思い出す。
「おいらが一花活けてやろう」
あたりを見回し、殺風景な墓石の前に土ごと掬った野花一輪を植える。きっと名のある花であろうが春明にはわからない。ましてヒュースケンの国に存在する花なのかも。あの絵に描かれた一面の花がどんな花であったのかも……。春明にはわからないことだらけであったが、そうしたかった。
薄桃色の小さな花。花事態は頼りないけれど、墓石の前に咲く姿は何故が心が和んだ。知らずに春明は墓前で合唱していた。そして、直弼の言葉を思い出していた。「一輪一輪の花の美しさと生命が融合し調和しやしたとき、世界が広がり感動を受けるもんや」
顔を上げ、ヒュースケンを見ると涙と鼻水でぐじゃぐじゃになりながら号泣していた。赤鬼の子分が狼狽して懐から鼻紙を出し困惑している。
あれは日本霊異記だったか、宇治拾遺だったか、とにかく何の物語だったか忘れたが、人は時が流れ、場所が変わろうとも、浮世を生きる姿は変わらぬ、と。
遠い海の向こうにある国々にも日ノ本と等しく人の営みがあるということを春明は知った。
「金平」
春明は海に視線を置いたまま、呼ぶ。
「へい、旦那」
「ここいら中、すべて花だらけにするぜ。どんな種類でもいい。ありったけの花を集めな」
春明は振り向き、ヒュースケン、赤鬼金平、そしてその手下達。村の長老も。全員の顔をみて言う。
「この異人を故郷に返してやるのさ」