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38 アクロバティックな外出

「眼鏡っ娘とは何かと縁があるようだな」

「私は満足ですよ。ニュクスは読書の邪魔になりませんから」


 コートを客室の壁のハンガーへとかけると、ニュクスはベッドの上で大きく伸びをした。同室となったリスは、備え付けの机の上に私物の小説を広げている。

 ニュクスたちへ用意された部屋は全部で3室。ソレイユは個室で、残りは本来なら男女別に一室ずつという内訳だったのだが、クラージュとウーが婚約者同士であることを知った屋敷側が気を利かせ、二人には同じ部屋が宛がわれることとなった。クラージュは任務中だから部屋は男女別でいいと言ったのだが、ウーがノリノリだったので結局は押し切られてしまった形だ。部屋数をこれ以上増やすのは屋敷側に迷惑だろうと考えたソレイユは、自分の部屋にリスも泊めようと考えたのだが、個室故にベッドの数が足りない。リスはニュクスと相部屋でも構わないと言い、ニュクス自身も、生真面目で口うるさいクラージュよりも、マイペースで人畜無害なリスの方が一緒にいて気楽なので、話はスムーズに決まった。もちろん、ニュクスはリスに変な感情を抱くようなことも無いので、その点も安心だ。


「この後は会食だって言っていたな」

「はい。貴族同士の交流の機会でもありますし、持て成しのための会食がもよおされるのは、当然の流れですね」

「会食とか柄じゃないんだよな。そもそも俺は臣下じゃないし」


 堅苦しい場はどうにも苦手だし、自分は場違いな人間だとニュクスは自覚している。

 暗殺に関する演技指導の一環で、テーブルマナーなども一通りは習得しているので粗相そそうは無いだろうが、食事くらいは気楽にしたいというのが本音だ。


 悪人らしく、ニュクスは自分の気持ちに正直になることにした。


「眼鏡っ娘、俺は会食を欠席だ。屋敷の人間には、旅の疲れで寝込んでいるとでも言っておいてくれ」

「確かにニュクスは臣下ではありませんし、ソレイユ様も出席を強要はしないでしょうが――」


 リスがそう返した時には、ニュクスはすでにコートを羽織り、出立の準備を整えていた。


「それじゃあ、行ってくる」

「ちょっと――」


 次の瞬間、ニュクスは客室の窓から飛び出し、軽い身のこなしで屋敷の庭へと着地した。


「随分とアクロバティックな外出ですね」


 いまさら驚くこともなく、リスはニュクスが飛び出していった窓を静かに閉めた。

 ニュクスのことだから、屋敷の人間に見つかることなく街へとくり出していくことだろう。自分も堅苦しい場は苦手なので、気軽に飛び出していけるニュクスのことが、リスは少しだけ羨ましかった。もちろん、ソレイユに迷惑をかけるのは嫌なので、そんな真似はしないけども。

 



 オッフェンバックきょうの屋敷を飛び出したニュクスは、適当な大衆食堂で夕食を済ませ、そのまま街へとくり出していた。観光するような性分ではないが、屋敷の方ではまだ会食が続いているだろうから、ある程度は時間を潰したかった。


「もう嫌!」

「何だ?」


 突然、若い女性の叫びが耳に止まり、ニュクスはとある薄暗い路地裏の前で立ち止まった。


「……いい加減にして。私はあなたの奴隷じゃない!」

「お前、誰のおかげで生活出来ていると思っているんだ! いいからさっさと行ってこい!」

「痛っ!」


 通りすがりのニュクスが路地裏を覗き込むと、小太りの中年男性が、胸元を強調した露出の多い衣装を身に着けた長い赤毛の女性の頬を叩きつけた。叩かれた女性は悔し涙を浮かべ、憎らし気に中年男性を睨み付けている。


「おっと、顔は不味かったな。先方には、自分で転んだとでも言っておけよ――」


 瞬間、ふと路地裏の入口の方を見た中年男性と、路地裏を除くニュクスの目が合った。


「見世物じゃねえぞ!」


 ニュクスへ向けて乱暴に言い放つと、中年男性は路地裏に面する裏口から自分の店へと戻っていった。


「大丈夫か、お姉さん?」

「……あなたには関係ないでしょう」


 一度もニュクスとは目を合わせず、女性はどこか諦めきった様子で、大通りの雑踏の中へと消えていった。


「まあ、俺は確かにただの通りすがりだけども」


 女性の言う通り、たまたま通りかかっただけのニュクスには何の関係もない。

 気を取り直し、ニュクスは街の中心部にある噴水広場の方へ歩き出した。


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