8 一石三鳥
「ニュイ! 朝ですよ」
早朝。ニュクスの宿泊する部屋に、陽気な少女の声が飛び込んできた。
栗色髪のポニーテール娘――イリスだ。
イリスは現在11歳。町で唯一の宿を経営するオネット夫妻の一人娘で、明るく活発的な少女だ。
絵描きのニュイが町にやってきて以来彼に夢中で、絵画教室や他所の土地の話を、いつも最前列で熱心に聞いている。
ニュクスが宿に宿泊して今日で4日目。
宿泊客に朝を告げるのがイリスの役目なのだが、ニュクスはいつも早起きで、イリスが声をかける頃には全ての身支度を終えている。
負けず嫌いのきらいがあるイリスは、何とかニュクスを自分の手で起こしてやろうと対抗意識を燃やし、毎朝さり気なく、部屋を訪れる時間を少しずつ早めていっている。
今のところ全敗だが、今日の結果はというと――
「やあイリス。今日も早いな」
「やっぱりもう起きてたんだ」
「残念だったな。俺を起こせなくて」
宥めるように言い、ニュクスはイリスの頭を優しく撫でてやった。
ニュクスを起こせなかったことに不満気だったイリスも、頭を撫でられた途端、満面の笑みを浮かべる。
兄弟のいないイリスは6歳年上のニュクスに対し、兄と過ごすような感覚を抱いており、毎日とても楽しそうにしている。
「今日の朝食はハムエッグにするって」
「知らせてくれてありがとう。画材の手入れが終わり次第、食堂に降りるよ」
「今日もお絵かき?」
「ああ、今日は高台の方に写生に行こうと思ってる」
「私も行きたいな」
「連れていってもいいけど、ご両親の許可はちゃんと取るんだぞ」
「ありがとう。早速お父さんとお母さんに聞いてくる!」
笑顔の花を咲かせると、イリスは駆け足でニュクスの部屋を飛び出していった。
「やれやれ、元気がいいな」
イリスの姿が見えなくなっても、ニュクスの表情は温和な青年そのものだ。
子供の笑顔は嫌いではない。アサシンなどという血生臭い立場に身を置いているが、子供達の笑顔はこの世で最も尊い物の一つだと、ニュクスは素直にそう思っている。
仕事以外の場で人を殺めたことは無い。
暗殺者としてのニュクスも、絵描きとしてのニュクスも、作り物ではない本物の姿だ。
しっかりとそう自覚しているからこそ、二つの顔を使いこなせる。
――暗殺計画の方も進めないとな。
今日は高台から見下ろした町並みを写生する予定だが、実際には近くに居を構えるルミエール家の屋敷やその周辺の下見を兼ねている。
あの場所から見える景色を描いてみたいと、町を訪れた当初から思っていた。同時に仕事の下見も出来るのだから一石二鳥だ。
「ニュイ。お母さんが一緒に行ってもいいよって。お弁当も作ってくれるって」
「それはありがたい」
「今から楽しみだな。早く行こうよ」
「流石にまだ早いって」
どうやら一石三鳥のようだ。
ピクニック気分で胸を躍らせているイリスを見て、ニュクスはそう思った。