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25 オネット夫妻との別れ

「一カ月間、大変お世話になりました」

「……宿屋として旅人さんとのお別れには慣れているつもりだったけど……やっぱり寂しいものね。ニュクス君は特に、本当の家族のようだったから」

「女将さん。今日までありがとうございました。女将さんの作るご飯、とても美味しかったです」

「またいつでも食べに来てね」


 「はい」と即答したい心境ではあったが、これ以上無責任なことは言えないだろうと自らを律し、ニュクスはこれまでの感謝の意味を込めて、笑顔で女将さんの手を握るだけに留めた。気持ちに応えることが出来ないというのは辛いものだ。


「私たち家族は何時だって君を歓迎する。また会える日を楽しみにしているよ」

「旦那さん、お世話になりました」


 旦那さんの右手を両手で取り、ニュクスは深々と頭を下げた。

 言葉には出さないが、旦那さんはとても寂しそうな顔をしている。何時でも遊びに来てくれとは言っているが、元旅人としての勘から、これが今生の別れになる可能性が高いと直感しているのかもしれない。


「イリス! ニュクスくん、行ってしまうわよ。意地なんか張ってないで、下りていらっしゃい」


 女将さんが宿の二階へ向けて叫ぶが、イリスからの返答は無い。

 ニュクスがこのまま戻るつもりはないと告げてからの数日間、気まずい雰囲気が解消されることはなく、ニュクスとイリスはほとんど口をきかぬまま別れの朝を迎えてしまっていた。今日だって、ニュクスはイリスの顔を一度も見ていない。


「お別れの挨拶くらい――」


 見かねた女将さんがイリスを呼びに二階へ上がろうとしたが、ニュクスはそれを引き留めた。


「いいんです女将さん」

「だけど……」

「別れ際に顔を会わせなくても、イリスとの思い出が消えるわけじゃありません。顔を見たら別れが余計に辛くなるし、これでいいんです」

「ニュクスくん……」

「画材を部屋に置いておいたので、イリスに使わせてあげてください。俺に出来ることは少ないけど、せめてもの贈り物です」


 別れが何時になろうとも、旅立つ時はイリスのために画材を残していこうと決めていた。

 イリスが絵に興味を持ってくれたことは素直に嬉しかったし、勝手かもしれないが、思い出の証として何か残しておきたいという気持ちも少なからずあった。


「もうすぐで合流の時間なので、これで失礼します」


 名残惜しさを誤魔化すかのように、ニュクスは早足で宿を発とうとするが、


「ニュクスくん」


 旦那さんに呼びかけられ、ニュクスは歩みを止める。


「良き旅を」


 顔は見ずに無言で頷き、ニュクスはオネット夫妻の宿を後にした。

 

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