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4 恋人

「これはどこ?」

「西の貿易港ぼうえきこうだ。色が無いから分かりにくいと思うけど、俺がこの絵を描いた時は祭の真っ最中で、街中が赤い布で装飾されていた」


 昼食後。ニュクスは自室で、これまでに旅先で描いてきた絵の一部をイリスへと見せていた。

 前々から見せてあげると約束していたのだが、度重なる魔物の出現で予定がずれ込んでしまっていた。


「凄いな。私もいつか行ってみたい」

「もう少し大人になったら、きっと行けるさ。色々と勉強しないといけないけどな」

「勉強って?」

「地図の見かたとか、旅先での値段交渉のノウハウとか」

「ちゃんと覚えられるかな?」

「イリスは賢いから大丈夫だよ」

「ニュクスがそう言ってくれるなら頑張る!」

「よし、その意気だ」

「その時は一緒に旅に行こう」

「……それは」


 弾けんばかりの笑顔を見せるイリスに、ニュクスは良い返事をしてあげることが出来なかった。

 ニュクスは領主の娘――ソレイユ・ルミエールの命を狙う暗殺者だ。リアンの町に留まるのは暗殺任務を達成するまでの間だけ。純粋な心を持つ子供に、果たしようのない無責任な約束をすることは出来ない。


「……私と旅をするのは嫌?」

「嫌じゃないよ。イリスと一緒に旅をするのはとても楽しいと思う。だけど俺は、いつまでもこの町にいられるわけじゃないから」

「ニュクスはこの町を出て行っちゃうの?」

「お嬢さんの勧めもあって、今は一時的に屋敷付きの絵師として客人の扱いを受けているが、俺は元々旅の絵描きだ。いずれここを離れる時はやってくる」


 もちろん真実は告げない。あくまでも旅の絵描きとしての立場から、ニュクスはイリスをさとしていく。


「私、ニュクスがいなくなっちゃうの嫌だよ」

「そう悲しい顔をするな。何も今すぐいなくなるわけじゃない」


 優しく微笑み、ニュクスはうつむくイリスの頭を優しく撫でてやった。

 慰めの言葉としては曖昧だが、少しでも長く今の生活を続けていたいのはニュクスの本心だ。


「……ずっとこの町にいてほしいけど、我儘わがまま言ってニュクスを困らせちゃうのも嫌だな」

「イリスは優しいな。代わりといったらなんだけど、俺がこの町にいる間は色々と我儘を聞いてやるよ」

「ありがとう」


 少しだけぎこちないがイリスはニュクスに笑いかけた。その顔を見て、ニュクスもほっと息を撫で下ろす。


「ねえ、他の絵も見せてよ」

「もちろんだ」


 笑顔のイリスのお願いに応え、ニュクスはさらに絵を広げていった。


「ニュクスって、風景以外の絵も描くんだね」

「ああ、その絵か」


 風景画の中に一枚だけ混ざった人物画を、イリスが興味深げに見つめた。

 人物画は長い髪の少女で、こちら側――ニュクスに対してとても穏やかな笑みを向けている。

 初期の作品なのか、他の絵に比べて技術面がやや粗いが、それでいて感情を、熱量を感じる不思議な絵だ。


綺麗きれいな人だね。笑顔が素敵」

「俺もそう思う」


 ニュクスの穏やかな語り口を聞き、幼いながらにイリスの女の勘が働く。


「この人は、ニュクスにとって大切な人?」

「そうだな。お互いの将来を本気で考えあう仲だった」

「恋人同士だったの?」

随分ずいぶんとませたことを言うな」

「女の子だって女性だからね」

「言うね」

「お母さんの受け売り」


 ニュクスは「なるほど」と言って苦笑し、穏やかな口調のまま言葉を続けていく。


「イリスの言う通り、俺はその女性――ロディアとは恋人同士……だった」

「だった?」

「ロディアはもういないんだ」

「……ごめん。私、変なこと聞いちゃったね」


 失言を悟り、イリスは申し訳なさそうに俯いた。兄のように慕うニュクスだからこそ、あからさまに声のトーンが下がったことを敏感に感じ取っていた。


「俺の方こそ誤解させるようなことを言ってすまない。ロディアは死んだわけじゃないんだ。今も元気に生活してる……ただ……」

「ただ?」

「もう、この頃のロディアはいないんだ」


 そう言って、ニュクスは静かに目を伏せた。


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