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5 ソレイユ・ルミエール

「おやおや、旅のお方かい。ゆっくりしておいきよ」

「絵描きさんとは珍しいね」


 余所者であるニュクスに対しても領民たちの反応は暖かく、その正体を警戒している者は誰一人いない。目の前の人畜無害そうな旅人が、自分達の敬愛するソレイユ様の命を狙っているなどと、夢にも思っていないのだろう。


 ――平和ボケだ。


 アサシンとして命のやり取りに身を投じているニュクスにとって、リアンの町全体を包む雰囲気は異質なものであった。

 決して平和をうとましく思うわけではないし、暢気のんきな村人たちを侮蔑ぶべつするつもりもない。ただ、身を置く世界が違い過ぎるだけだ。

 

 ――この平和な日常を、俺が壊すわけか。


 これまでの領民たちとのやり取りで、ソレイユの存在がどれだけ大きいのかは、よく理解出来た。

 彼女は領の象徴であり、希望であり、大きな柱だ。

 それを失った時、この町から平和の二文字は消え去ってしまうだろう。


 決して精神的な問題だけではない。実利としても、ソレイユの死による損失は大きい。

 事前に得た情報によると、ソレイユはその類まれなる剣術の才とカリスマ性より、臣下達と共に周辺地域の魔物討伐を行い、平和維持に努めている。

 自然が豊かな土地には魔物が出現しやすい。それはルミエール領も例外では無いが、ソレイユ達の活躍により、魔物による人的被害は最小限に抑えられており、領民たちは安心して農業に精を出すことが出来る。

 そういった面から見ても、ソレイユの存在が喪われるのは大きな問題だろう。


 ――まあ、後のことなんて俺には関係ない。


 ニュクスが人の良さそうな笑みを浮かべながらそんなことを考えていると、町の中心部に位置する大きな噴水が特徴的な広場へと出た。


 ――英雄の血を引く娘。どのような面構えかな?


 町の入り口で出会った農夫の男性の話では、今日はソレイユがこの広場に街の子供達を集めて、童話の読み聞かせを行っているはずだ。


「その時、騎士様は、こうおっしゃいました――」


 ニュクスの耳元に届く、透き通るような女性の美声。

 声の方へ視線を向けると、一人の乙女が、目を輝かせる子供達の輪の中心で、この大陸では比較的ポピュラーな英雄伝説を朗読していた。


 藍色のショートボブに気品のある銀色のカチューシャ。色白の肌は初雪のようで髪色とのコントラストが美しい。まどあどけなさは残るが、凛とした顔立ちは力強い魅力に溢れており、絵画の乙女が現実世界に顔を出したのではと錯覚させるようだ。


 事前に得ていた外見の情報と一致する。彼女こそがニュクスの標的であるルミエール領主の娘――ソレイユ・ルミエールだ。


 服装は純白のブラウスに紺色のロングスカートいう気取らないもので、子供達と共に石畳の地面に腰を下ろし、晴れやかな笑みで共に過ごす時間を楽しんでいる。

 民の目線に立つ心優しき貴族令嬢。領民たちの評価は間違ってはいないようだ。


 ソレイユの側には付き人と思われる、セミロングの亜麻色の髪と丸眼鏡が特徴的な小柄な少女が一人佇んでいる。ソレイユ同様に気取らない恰好をしており、膝丈の白いワンピースの上に、深緑色のフード付きのローブを羽織っている。歳の頃はソレイユよりも少し幼く見えるので、13~15歳くらいだろうか?


 ――英雄の血を引く少女か。


 一見すると、ソレイユは慈愛に満ちた可憐な乙女のようだが、その印象をそのまま受け入れる程、ニュクスは愚かではない。

 英雄の血を色濃く体現した強者。クルヴィ司祭が優秀なアサシンであるニュクスを遣わし、無期限任務を与える程の危険人物。

 これだけの要素を含んだ者が、ただの可憐な乙女で終わるはずがない。


「――英雄と呼ばれた騎士様は、こうして平和な世を築かれたのです」


 ソレイユの朗読が終わり、周囲の子供達や、遠巻きに観覧していた大人達から割れんばかりの拍手が巻き起こる。

 ソレイユの美声と豊な表現力によって語られる物語は、朗読の枠を超え、まるで一つの舞台のようであった。


「私、ソレイユ様のお話し大好き!」

「ありがとう」


 弾けんばかりの笑顔を見せる幼い少女の頭を、ソレイユは優しく撫でてやった。


 ――見事なものだ。


 素直に感心し、ニュクスも大衆に混じり、細やかな拍手を送った。

 そんなニュクスの姿は、ソレイユの目にも留まったようで、


「あなたは、旅の方ですね」


 表情には出さないが、ニュクスは微かに緊張した。

 現時点で警戒されるような要素は無いが、標的の印象に残ってしまうのは少し都合が悪い。


「私が旅の人間だと、よくお分かりになりましたね」

「町の方の顔は、全て記憶していますから」


 領民の顔を全て覚えている貴族などそう多くはない。ソレイユの人柄があってこそのことだ。


「申し遅れました。私は旅の絵描き、ニュイと申します。この地へは、風景画を描くべく訪れました」

 

 名前から身バレする可能性は限りなくゼロに近いが、念のため偽名を名乗っておく。

 

「私はルミエール領主、フォルス・ルミエールの嫡女ちゃくじょ、ソレイユ・ルミエールと申します。以後お見知りおきを」


 礼節を重んじるその姿勢は、本人の容姿と相まってとても美しい。


「お兄さん。絵描きさんなの?」


 旅人のニュイ――ニュクスが身分を明かしたことで、子供達から好奇の目が注がれる。

 農夫が言っていたように、娯楽の少ないこの町では、絵描きという人種は物珍しいようだ。


「ねえねえ、絵を見せて」

「僕も見たい」

「私も」

「駄目よ。旅のお方をあまり困らせては」

「構いませんよ、ソレイユ様」


 ソレイユが子供達をなだめようとするが、ニュクスは穏やかな笑みでそれを制し、背負ったリュックから数枚の絵を取り出してその場に広げて見せた。

 子供達と交流することは、実は嫌いではない。

 アサシンとしてのニュクス以外に、絵描きとしてのニュクスは確かに存在するのだから。


「あまり期待はしないでくれよ」


 苦笑してそう前置きすると、ニュクスは子供達に数枚の絵を手渡した。


「凄い」

「本物のお山みたい」


 写実的な絵の数々に、子供達は興奮気味に見入っている。

 ルミエール領を出たことのない領民も多く、各地の風景を描いたニュクスの絵は、よりいっそう興味を引くものであった。

 

「ソレイユ様。このお兄ちゃんの絵。凄いよ」

「綺麗……」


 貴族の少女は、年相応のあどけなさを見せた。ニュクスの絵に心から感心しているようだ。


「これは、西の港町の風景ですね」

「ご存じなのですか?」

「はい。数年前に、父と共に一度だけ訪れたことがあります。美しい夕焼けを、今でも鮮明に覚えています」

「はい。海に沈むのあの夕日は宝です」


 絵描きとしてのニュクスが、ソレイユの問い掛けに声を弾ませた。

 殺しの仕事で訪れた地で、心打たれるような自然の美しさを絵という形で描き止める。絵に関わっている間こそが、ニュクスにとって最も充実した時間だ。


「とても美しい絵です。これから着色されるのですか?」

「いえ。私の絵はそれで完成です」

「それが、あなたの表現の形なのですね」

「そういうことになります」

「素敵だと思います」


 ニュクスの絵が素直に褒められたのは、随分と久しぶりのことだった。

 写実的なニュクスの鉛筆画を見て素晴らしいという者は多いが、どうしてもその後に色があればなお良いだの、勿体ないだのという評価を付け加えられることが多い。ありのままの絵を評価してもらえることは珍しかった。


「町にはしばらく滞在されるのですか?」

「はい。この地域の自然を主題に、何作か絵を描き上げたいと思っています」


 まさか、「滞在期間は、あなたを殺すまでです」とは口にしない。


「もしよかったら、時々覗きにいってもよろしいですか? 絵を描く工程には興味があります」

「何時でもおいでください。歓迎します」


 予期せず殺しのターゲットに近づくことが叶い、ニュクスは心の中で任務成功の確率は上がったと確信する。油断するつもりはないが、当初の予定よりも順調に事が進んでいるのは間違いない。


「どのような絵が出来上がるか、楽しみ――」

「ソレイユ様! 大変です」


 穏やかな空気の流れる町の中に突如として響く男性の声。

 息を切らせながら、一人の中年の農夫が広場へと飛び込んできた。


「どうしました?」

「農園に魔物が出現しました! 幸いまだ被害は出ていませんが、数人が農園に取り残されています」


 報告を受けた瞬間、ソレイユの顔色が変わった。

 淑女の顔が、戦士の顔つきへと変わったのだ。


「直ぐに向かいます。リスあなたも一緒に」

「はい。ソレイユ様の命とあらばどこまでも」


 ソレイユは傍らに控えるリスという名の少女から鞘に収まった大きなの刀剣らしき武器を受け取り、ブラウスの袖を捲った。


「ニュイさんと申しましたね。また後でお会いしましょう」

「ソレイユ様自ら魔物退治に?」

「もちろんです。なるべくなら他の者に危険な目に遭ってほしくありませんから」


 立ち去り際に、ソレイユはニュクスにそう言い残した。



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