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46 邪神封印の英雄

「何故避けようとしない?」


 ニュクスの持つナイフは、ソレイユの首の数センチ手前で静止していた。

 渋い顔で問い掛けるニュクスに対し、ソレイユはほがらかな笑みを浮かべ、優しい声色で答える。


「今のあなたからは、殺気が感じられませんでしたから」

「……隠しているだけかもしれないぞ?」

「現にこうして、ナイフは止まっているじゃありませんか」

「……単なるおどしだよ。まだ本調子じゃないしな」

「そうですか」


 ナイフを握るのは負傷していない右手の方なのに? とは、ソレイユはあえて口にしなかった。

 領を、領民を守るために死ぬわけにはいかない。ニュクスが本気で殺しにかかってきたのなら、ソレイユだって容赦ようしゃなく返り討ちにするだろう。ニュクスが殺気を持たぬ今は、その時ではなかったというだけのことだ。


「果物でもきましょうか。サンドイッチと一緒にソールが持たせてくれました」

「ほらよ」


 ニュクスの手から果物ナイフを受け取り、ソレイユはバスケットから取り出した地元産の林檎りんごの皮を剝いていく。


「伝承について、一つ聞いてもいいか?」

「何でしょうか?」


 ソレイユが剝いてくれた林檎を口にしながらニュクスが尋ねる。

 英雄騎士えいゆうきしアブニールの伝承について、確かめておきたい事柄ことがらが一つだけあった。


「邪神にとどめを刺したのは誰だったんだ?」


 アブニールの武勇の大半は仲間の六英雄の物。邪神封印の伝承に関しても、他の誰かの逸話いつわであると考えた方が自然だろう。


「伝承によると最後の一撃を加えたのは二人です。一人はアルジャンテ。もう一人は、宵闇よいやみ双剣そうけん使い――ウェスペルです」

「何となくそんな気はしていた」


 一人がアルジャンテだというのは想像がついていた。クルヴィ司祭がソレイユを警戒した真の理由もそれだろう。邪神を封印した張本人であるアルジャンテの血を色濃く受け接ぐ娘を、邪神復活を目論むアマルティア教団が危険視きけんししないわけがない。

 もう一人の英雄――ウェスペルの子孫に対する暗殺指令が下っていないのは、ウェスペル自身が子孫を残さなかったのか、あるいは500年の間で血筋が途絶えたのか。いずれにせよ、その血を引く者がこの世に存在しないということなのだろう。


「私からも一つ聞いてもいいですか? 答えられればで結構です」

「何だ?」

「あなたに指示を出した者は、どうして私の血筋について知っていたのでしょうか? 影の英雄のお話しはいわば裏の歴史。このことを知っているのはアルカンシエル王家と一部の王国騎士団関係者。私のような影の英雄の血筋とその関係者以外にはいないはずです。事情を知らぬ者からしたら、ルミエール家は地方の一領主いちりょうしゅにしか過ぎませんし」

「残念だがそれは俺にも分からない。俺の上司は耳聡みみざとい人だから、何らかの手段で情報を入手したのかもしれないな」


 これは嘘偽りのない真実だ。そもそもこうやってソレイユに指摘されるまで、どうしてクルヴィ司祭が影の英雄の存在について知っていたのか、疑問にさえ思わなかった。


「そうですか」


 短くそれだけ言うとソレイユも林檎を頬張ほおばり、その甘さに表情をほころばせる。


「甘くて美味しい」

「そうだな」


 素直に頷き、ニュクスも二つ目の林檎を口へと運ぼうとした、その時――


「た、大変です――きゃっ!」

「おっと」


 メイドのソールが血相けっそうを変えて湖畔こはんへと飛び込んできた。途中で石につまず転倒てんとうしそうになったが、素早く駆け寄ったニュクスが体を支えたことで痛い思いはしないで済んだ。


「あ、ありがとうございます」

「気を付けろよ」

「どうしたのソール。そんなに慌てて」

「たった今、王都から緊急の書簡しょかんが届きました。国境線付近で行われていた、シュトゥルム帝国の軍事演習に関してだそうです」

「緊急……まさか、帝国側と戦闘に発展した?」

「とにかく、一度お屋敷にお戻りください」

「分かったわ」


 神妙な面持ちで頷き、急ぎ屋敷へと戻った。


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