24 守れたもの
「……これは」
到着の数刻前に2体の飛翔種が降り立ったのは確認していた。
犠牲者が出ることは免れない、それでも1人でも多く救いたい。
そう覚悟を決め、沈痛な面持ちで林檎園へ乗り込んだクラージュであったが、目に飛び込んできたのは予想だにしない光景であった。
園内は血肉が飛び散り、辺り一面血の海。
ただし、転がっている死体は人間の物ではなく、頭を切り落とされた2体の飛翔種の物であった。
近くの作業小屋からは一人の農夫が状況を伺うべく顔を覗かせている。どうやら農園にいた人々はみな、作業小屋の中に避難しているようだ。
「……貴様がこれをやったのか?」
血の海の中心には、灰髪を返り血に染めたニュクスが佇んでいた。
右手にはククリナイフを握り、服の左袖で顔の血を拭っている。
「まあな。昔、東の山岳地帯で飛翔種と戦った経験が役に立った」
体を伝う血液は全て返り血であり、ニュクス自身はまったくの無傷だ。
飛翔種は飛行している時こそ厄介だが、攻撃時には必ず降下してくるため、戦い慣れしている者なら対処は比較的容易だ。
ニュクスもその例に漏れず、非戦闘員を小屋の中へと逃した後、あえて木々の生えていない開けた空間に無防備に姿を晒して飛翔種の注意を引き、攻撃のために降下してきたタイミングを狙い、カウンターで首を刎ねてやった。
飛行種には大して学習能力は無いので、残るもう一体も同様の方法で仕留めることが出来た。
「どうしてここに?」
「魔物は街道沿いに出たって話だったが、森林に近くて人の出入りの多いこの林檎園も危ないんじゃないかと思ってな。メイドさんに道を教えてもらって、念のため待機しておいた。悪いな、屋敷にいろっていうあんたの言いつけは破らせてもらった」
「咎めるものか……心より感謝する」
あれだけ厳しい目を向けていたニュクスに、クラージュは深々と頭を垂れた。
もう駄目だと思った。領民に犠牲者を出してしまうという、最悪の事態を想像した。
そんな窮地を救ってくれた相手だ。礼をしてもしたりない。
「……私が軽率だった。異なる場所に魔物が出現する可能性を考えずに、単騎で飛び出すなど」
「街道は土地と土地を結ぶ経済の生命線だ。真っ先に安全確保に向かったあんたの判断は正しいよ」
「……最善とは程遠い。我が領は戦力不足。だからこそソレイユ様は賊であるお前を招き入れたのというのに……私はお前の力を借りることを感情的に拒んでしまった。感情よりも大切な物があったはずなのに」
「犠牲者は出なかったんだ。それでいいじゃないか」
「……私の判断が誤っていた事実は変わらない。お前がここに駆け付けてくれなかったらと思うとゾッとする」
「反省は大いに結構だが、あまり表情を強張らせるなよ」
苦笑しながらクラージュの肩に触れると、ニュクスは作業小屋の方を見やり、クラージュの視線を誘導する。
作業小屋の方には不安気に二人の様子を伺う子供達の姿が見える。今日は収穫の手伝いで、多くの町の子供達もこの場を訪れていた。
「せっかく魔物がいなくなったのに、領の平和を守る騎士様が怖い顔をしてたら、子供達が安心出来ないだろう」
ニュクスの言葉にクラージュはハッとした。
平和を脅かす脅威から領民を守ることがクラージュの使命だが、それは何も物理的なことだけではない。不安を抱える領民たちに安心感を与えることもまた、守り手としての大事な役目だ。
「もう大丈夫だって言ってやれよ。これは余所者の俺ではなく、領民たちから信頼されているあんたが言ってこそ意味のある言葉だ」
「……そうだな」
強く背中を押され、クラージュは大きく息を吸い込んだ。
「魔物は討伐された! みんな、もう大丈夫だ!」
力強く、かつ優しさに溢れたクラージュの勝利宣言。
これを受けて大人達は安堵の溜息をつき、笑顔の戻った子供達はいっせいに作業小屋を飛び出して来た。
「怖かったよー!」
真っ先に作業小屋を飛び出して来たイリスが、勢いそのままにニュクスに抱き付いてきた。
「もう大丈夫だぞ」
ニュクスはイリスの頭を撫でてやろうとしたが、魔物の返り血で手がベットリしていることに気づき咄嗟に思い留まった。
「凄い血! だ、大丈夫?」
イリスが一気に青ざめたが、ニュクスは力こぶを作り健在ぶりをアピールする。
「俺の血じゃないから安心しろ。全部魔物の返り血だ」
本人の口からそうきいてイリスも安心したらしい。
安心したことで、心配は好奇心へと変わる。
「ニュクスって強いんだね。ビックリしちゃった」
「前にも言っただろ。絵描きってのはタフなんだよ」
「かっこいい!」
「ありがとさん」
絵描きのお兄さんから、武闘派の絵描きのお兄さんへとランクアップ。イリスの熱い尊敬の眼差しを浴び、ニュクスは思わず苦笑する。
「改めて礼を言う。お前のおかげで犠牲を出さずに済んだ」
領民たちの安否を確認できたことで、クラージュも肩の荷が下りたらしい。
上半身の鎧を脱いで地面に腰を下ろすと、隣に座るようにとニュクスを手招きした。
「一つ聞ききたいことがある」
「何だ?」
「気を悪くせずに聞いてもらいたいのだが……どうしてこの場に駆け付けた? 感情的だったとはいえ、私が屋敷で待機していろと言った以上、手を貸す義理は無かっただろうに」
「理由か」
ニュクスは穏やかな表情を浮かべ、イリスや町の子供達の方へと視線を向ける。
「笑顔を失わせたくなったから。それじゃ駄目か?」
思わぬ回答に、クラージュは鳩が豆鉄砲喰らったような顔となったが、次第に表情は穏やかになっていった。
「いや、十分に納得のいく理由だ」
大きく頷くと、クラージュはニュクスに顔を近づけ小声で囁きかけた。領民たちには聞こえないようにという彼なりの配慮だ。
「ソレイユ様の命を狙ったお前を、私は絶対に信用しない……だが――」
「だが?」
「少なくともお前は、目の前の危機を見過ごすような外道ではないようだ。もしかしたらソレイユ様は、そこまで見越したうえでお前を招き入れたのかもしれないな」
「俺ごときじゃ、あのお嬢さんの考えていることは分からないよ」
「安心しろ。長年使える私でも、あのお方の考えには理解が及ばぬことは多い。日の浅いお前ではそれも当然だ」
愉快そうに笑うと、クラージュは再び声を張り上げ、その場にいる領民たちに問いかける。
「今から魔物の骸を片付けるが、生憎と屋敷の者だけでは手が足りぬ。申し訳ないが、皆にも手伝ってほしい」
「もちろんですよ、クラージュ様」
「助け合ってこそのルミエール領ですよ」
提案に誰も反発などしない。これまでに領主のフォルスや娘のソレイユ、クラージュたち臣下が領民たちとの間に築き上げてきた絆の証明だ。
「客人。お前にも手伝ってもらうぞ」
「お安いご用で」
軽い口調で頷きながら、ニュクスはふと気がつく。
「客人ね」
客人と呼ぶ。それは、クラージュなりの敬意の表れであった。
かくして、ソレイユ不在のルミエール領を襲った飛翔種襲撃は、一人の騎士と一人の絵描きの活躍により、一人の犠牲者も出すことなく決着した。