15 リス・ラルー・デフォルテューヌ(眼鏡っ娘)
「……あの世の天井は白いのか」
重たげに瞼を開けたニュクスが最初に目にしたのは、真っ白な天井であった。
もちろんニュクスはあの世の存在など信じてはいない。自身が生存していることに対する驚きから出た、一種のジョークだ。
ニュクスは、ルミエール家の客室のベッドに横たわっていた。
体は拘束されていないようだが、負傷した腹部を中心に全身が痛み、上体を起こす余力すらない。
どちらにせよ、自由に動き回ることは難しい。
「目を覚まされましたね」
「……ソレイユお付きの魔術師か」
ニュクスの顔を至近距離から覗き込んだのは、亜麻色の髪を持つ丸眼鏡の少女――リスであった。
主君を狙った暗殺者と対峙しているというのに、表情や声色に怒りや不快感は混じっていない。驚く程にナチュラルだ。
「可愛い顔して、とんでもない戦力がいたもんだ。どうやって詠唱無しで魔術を放った?」
「私、魔術に関しては天才ですから」
「天才ね。天災の間違いじゃないか」
「何か言いました?」
「いや、別に」
詠唱無しで魔術を放った絡繰りは気になるが、捕らえた賊相手にネタ晴らしをしてくれるとも思えないので、ニュクスは魔術の件に関してはこれ以上追及しなかった。
「あれからどれくらい経った?」
「あなたがソレイユ様を襲撃してから、今日で二日です」
「どうして俺は生きている?」
「あなたを生かすようにと、ソレイユ様から指示がありました。クラージュを始めとする、ほとんどの家臣たは猛反対していましたが」
「情報でも聞き出そうって魂胆か?」
賊を生かしておく理由があるとすれば、情報収集以外に考えられない。もちろんニュクスは絶対に口を割らないし、最終手段として自害によって永遠に口を紡ぐ覚悟もある。
ソレイユ側にとってニュクスを生かすという行為は、単なる徒労に終わることだろう。
「私にも真意は分かりませんが、ソレイユ様とても聡明なお方です。暗殺者から情報を得ようなどという、安易な考えは抱かないと思います」
「ますます分からないな」
「はい。私にも分かりません」
情報を得ること以外に、死にぞこないの賊に使い道などあるのか、ニュクスには疑問だった。
「それにしても、捕らえた賊に客室を宛がうなんて、この地域の作法は変わっているんだな」
「皮肉を言う元気があれば、とりあえずは大丈夫そうですね」
年齢に不釣り合いな大人びた微笑を浮かべて顔を離すと、リスはそのままニュクスに背を向けた。
「あなたが目覚めたことを、ソレイユ様に報告してきます」
「待ってくれ」
ドアノブに手をかけたリスを、ニュクスは呼び止める。
「名前は?」
「私のですか?」
「ここには俺と君しかいないだろう」
「それもそうですね」
ノリがいいのか天然なのか、納得した様子でリスはニュクスの方へと向き直る。
「リス・ラルー・デフォルテューヌ。ルミエール家に仕える魔術師です」
「リス・ラルー・デフォルテューヌ……長いな。眼鏡っ娘でいいか」
「名前を尋ねたのに、特徴で呼ぶんですか?」
「嫌か? 眼鏡っ娘」
「別に嫌ではありません。あなたがそう呼びたいのなら、どうぞご自由に」
「なら決まりだな」
同意? も得られたことで、リスの呼び名は眼鏡っ娘に決まる。
「そういうあなたの名前は?」
「絵描きのニュイ」
「それは偽名だと、ソレイユ様が申しておりましたが?」
「暗殺者なんでね。気軽に名は明かせない」
「面倒臭い人」
苦笑しながらリスは客室を後にした。