共依存
兄さんは、いつも優しかった。いつも僕を助けてくれる、僕にそっくりな双子の兄。でもそっくりなのは顔だけで、活発で明るくて人懐こい兄さんと僕の性格は真逆だった。僕は病弱で、人見知りがひどく、友達はほとんどいない。最近は、身体中が痛くて学校に行くこともできない。そんな僕にとって、優しい兄さんは憧れであり、いなくてはならない存在だった。
ある日、兄さんは、僕の部屋へ来て、言った。
「ねぇ、もしもおまえを傷つけるような奴がいたら、みーんな僕が殺してあげるからね。」
殺すだなんて、野蛮な言葉を淡々と言う兄さんに身体が収縮するのを感じた。
『…そんな、大袈裟な』
「大袈裟じゃないよ。いっつも思ってたことさ。」
そう言った兄さんの顔を恐る恐る見上げると、いつもと変わらない笑顔が浮かんでいて、少し強張っていた身体の力が、少し緩むのがわかった。
『兄さん、』
自分よりも少し短い髪の毛を撫でる。ブラウンアッシュの色が少し落ちて、元の黒髪が徐々に毛先へ向かって侵食してきている。自分も兄さんと同じ時期に同じ色にそめたから、自分の頭も今、黒く侵食されているのだろう。いつ染めたんだっけな。また染め直さなきゃいけないな。そうぼんやりと考えてみる。
『兄さん、僕は兄さんがいれば大丈夫だよ。』
「…ほんとに?」
僕はうなずいた。が、兄さんは納得がいっていないようだった。唇を噛んでいる。兄さんが唇を噛んでいるときは、何か嫌なことや不満があるときだ。小さい頃からの癖だった。
『兄さん、どうしたの?』
「ねぇ、僕は本気だよ?」
僕の問いかけを無視して、兄さんは呟くように言った。兄さんは僕を見ていなくて、僕は何だか怖くなった。
「お前が一番大事だよ?たったひとりの家族だから。お前が辛いと僕も辛い。死にたいくらいに」
いつも明るくて元気な兄さんがこんなことを言うなんて思ってもいなかった。双子で、ずっと一緒だったとは言っても、僕らにはまだお互いに知らないことが多く、あるのかもしれない。僕が兄さんに隠していることがあるのと同じく、兄さんが僕に隠していることだってあるだろう。
『そんなこと言わないでよ。僕は本当に平気だよ?』
「お前はいつもそうやって自分を犠牲にするんだ。どう考えても悪いのはお前じゃないだろ?僕が殺してやるから、だから、だから」
『兄さん、』
「…わらってよ…」
兄さんは僕を抱き締めて、肩に顔を埋めた。じんわりと、肩が濡れていく。あったかい、と気持ちが落ち着くのと同時に、弱く震える兄さんを見て、ああ、兄さんにも弱いところはあるんだなぁ、と、他人事みたいに考えた。
わらって、と繰り返し呟く兄さん。口の端に力を入れてみるけど、口角が上がる様子はない。最後に笑ったのは、いつだっけ。笑うのって、どうやってやるんだっけ。笑うのって、どういうときにやるんだっけ。
『兄さん、どうやって笑うんだっけ?どういうときに笑うんだっけ?』
考えても分からなくて、肩の兄さんに質問すると、兄さんは顔を上げて僕を見た。その顔は、絶望に満ちているという表現がぴったりで、僕は何でそんな顔をするのかよく分からなかった。
『ちょっと忘れちゃったみたいで』
「ぁぁぁ…なんで、なんでこんな、」
兄さんはそういってからまた僕の肩に顔を埋めたが、さっきとは違って声を上げて泣いていた。抱き締める力が強くて、痛くて、でもあったかいことに変わりはなかった。
『兄さん、何で泣くのさ。泣かないでよ』
そういっても兄さんの泣き声は止まらない。苦しそうな声に、こっちまで苦しくなってくる。僕は笑えなくなったのと同時に涙も出なくなっていて、この苦しさを体外に出す術がなく、ただ、痛い胸と呼吸ができないような苦しさに必死で耐えるしかなかった。
お前が辛いと、僕も辛い。
そう言った兄さんの気持ちが痛いほどよくわかった。兄さんが辛いと僕も辛い。兄さんが楽しいと、僕も楽しい。兄さんは今まで僕に弱いところを見せていなかったから、分からなかったんだ。
ねぇ、もしもおまえを傷つけるような奴がいたら、みーんな僕が殺してあげるからね。
なんとなく分かるかもしれない。兄さんが、誰かのせいでこんな風に苦しむんなら、その原因は、綺麗に消してやりたいと、思うだろう。
今兄さんを苦しめてるのは、誰?
今兄さんを苦しめてるのは、僕?
僕がいなくなれば、兄さんは苦しまないかな?
ねぇ、もしもおまえを傷つけるような奴がいたら、みーんな僕が殺してあげるからね。
『ねぇ、兄さんを傷つけるような奴は、みーんな僕が殺してあげるからね』
兄さんは泣き声をぴたりと止め、また顔を上げてこっちを見る。兄さんは、泣きながら、笑っていた。いつもより目の色が翳っていて、底なしに暗くて、何回も何回も何回も殴られて蹴られて身体中にできた傷や痣が、忘れていた痛みをまた呼び戻した。
ああ、兄さんも同じなんだ。
僕も、少し、笑った。笑えた。
笑える。
くすくすくすくす。