第9話 ミッドガルドの長い夜 2
街の近くまで降りてくると、もう陽も落ちて薄ぐれの闇が迫っていた。
買い物帰りのおばさんや、仕事帰りのOLも増え始める時間になってきていた。
蒼は、路地から少し顔を出して様子を伺ってみた。
よし、今なら大丈夫だと思う。
蒼は、とり合えず家まで戻って考えようと思っていた。
沢山の人が居るが、それだけ目立たない可能性がある――――。蒼の考えた家までのコースでどうしても通らなければ行けないのが、この商店街だったのである。他を通るとだいぶ遠回りで、それだけ他の人の目に触れる機会も増やし兼ねないと考えた結果であった。
「よし、ここからはあまり人と目を合わせず、自然に振舞っていてくださいね……」
「はい」
そうブリュンヒルデに言いきかせ、意を決して路地に出て歩き出した。
それに続いてブリュンヒルデも歩き出した。
誰も何も言わない。
「うん、やはり空であんな事が有って、物凄い炎が上がったりしたけど、そうそう皆が皆それをはっきり見てるとは限らないのだ。ましてやブリュンヒルデがその当事者の一人だって分かった人も少ない筈なんだ。彼女の顔を見て分かる人が居るなんて考えすぎだったみたいだ……」
蒼は自分の考えすぎに一人反省して街を進んで居ると、以外にも自分の後ろにみんなの視線が集まってることに気付いたのだ。
「あのお嬢さんまた凄い衣装着てるな……」
「何かのコスプレじゃない? しっかし美人を連れてるな、あの兄ちゃんは……」
え? 何か僕の事話してるっぽい?
なんか彼女がヴァルキュリアって分かる感じにしてたのかな、僕? ―――― 蒼は、みんなと視線を合わせないようにして、額から流れ落ちる汗を必至に誤魔化そうとしていた。
すると、前方からいつも雑誌を買いに行く本屋『ザ・マーヴェル』の主人であるアイアン男さんが歩いてきた。
アイアン男さんはあだ名だが、いつも映画『アイアンメーン』な自作した衣装をコスプレしていて、蒼達の学校の人気者だった。
しかし、長くこの商店街で営業してる筈なのだが、その素顔を見た人は居ないと言われる謎の多い店主であった。
「おー蒼くん、こんばんわ。どうしたんだい、こんな方向から歩いてきて?」
蒼の家には学校からは来ない道だったのだ。
その事を言われたので、少しぎょっとした。
「あっ、あの、今日は用事があって……」
しどろもどろにも程が有る!――と、自分に突っ込みたくなるほどに情けない返事を返してしまった。
その返事にアイアン男さんは自慢のアンアンスーツからホバーを出しながら、蒼の後ろに視線を伸ばしておもむろに聞いてきた。
「用事って……、その後ろのイカス装備の女史とどこかのイベントにでも行ってたのかな? かなり良い感じだけど、もし良かったら今度うちに連れてきてくれたまえ……」
そう言葉をかけられて笑いながら手を振られた。
「後ろ?」
そう思って後ろを振り返ると、そこでは鎧に身を包んだブリュンヒルデが、自分の後ろを歩いて居るのであった。
「あっ!」
先ほど路地を出るまではよく見もしなかったが、よく考えれば鎧をつけてあるく女の人っていったい?
気付いて見れば、蒼の視界から切れた辺りにはブリュンヒルデに手を振ってる人も居て、その挨拶へとブリュンヒルデも手を振り替えしてるのだった。
「あ、手は振らないで良いですっ!」
ブリュンヒルデの手を下ろして、蒼は走って路地をサッと曲がって姿を隠すのであった。
路地裏に隠れて顔を出して通りを付けて来ないか確認する蒼。
「あ……済みませんでした」――――蒼は肩で息をしながらブリュンヒルデに言った。
「しかし、自然に振舞って下さいと言ったのに……。僕が悪かったのですが、鎧に兜は目立ちすぎなので、どうにか成りませんか、女神様?」
「目立ちすぎ。……鎧がまずかったですか?」
ブリュンヒルデは自分の胸当てを指差して蒼にたずねてくる。
「はい。ここでは今、そうゆう鎧をつけて生活する事は、もう無いので……」
困り顔でブリュンヒルデに説明した。
実際、それがいつの時代の鎧なのかは蒼にも分からないが、シルバーの胸当てと兜に白い服も珍しいのだ。それに、自分は背中に剣を背負っているのだから、より目立つ。
「分かりました。ならば、鎧は戻しましょう。ここでも下の衣服だけで良ければそうします」
下の衣服……?
そうか、鎧の下には服を着てるからそれだけに成れば? ―――― 蒼も合点がいったのか、それで良いと指を立ててOKサインを出した。
すると、またブリュンヒルデが目を閉じて下を向きながら少し呪文を唱えると、少量の光の粒がブリュンヒルデの身体を包み込むのであった。
「はい。これで良いですか?」
光の粒の風が止んでブリュンヒルデの声に蒼が見ると、頭に被った兜と鎧がもうそこには無くなっているのであった。例の魔法かなと蒼はその時思った。
だがしかし――――。
蒼が良く見ると、鎧が無くなったのは良いのだが、その後の白い服の下がどうも透けて見えているのであった。なまめかしい姿が蒼の目に入ってしまった。
おまけに、白い足や手や下着もみんな見えてしまってるような……。
「そ、そ……その格好ではもっとダメですっ! 何か、もっとしっかりした透けない服はないですか!? ――早く着て下さい!」
ブリュンヒルデは蒼の慌てぶりに少し首を傾げる。
しかし、数瞬考えて思い当たったのか、また呪文を唱えた。
「これなら大丈夫でしょうか……?」
後ろを向いて見ない様にしていた蒼がその声に振り返った。
見れば、色は乳白色の長い裾の広がった服に、色鮮やかな刺繍が入った物を着ていた。裾にも同じ刺繍がしてある品のある素敵な服だった。
「あ、そうです。それなら、誰が見ても驚かないです!」
しかし、それを見るとまた蒼はブリュンヒルデの姿に見とれてしまっている自分にふと気がついた。さっきからそうなのである。少し気を抜くとブリュンヒルデに見とれてしまう魔力に取り付かれたかのようであった。
自分のその行動に蒼は自分で怖くなった。
「それでは、このまま行きましょうか?」
蒼はやっとその姿をまともに見れるようになったのだが、そのまま見ずに少し前を歩いて進んで行った。
あまり見ると自分の気持ちがブリュンヒルデに知られそうで怖かったのである。
しかし、少し歩くとチラと見る蒼の目がブリュンヒルデと合ってしまう。
慌てて前を向く蒼。
「?」
顔を見ずに話す蒼に少し首を傾げるブリュンヒルデが、また蒼の後をついて歩いて行くのであった……。
家に前の路地差し掛かった時が最後のミッションであった。
ここを通過すれば、無事誰かに怪しまれずに今日を乗り切ることが出来るのだ――。
蒼は誰に言うまでも無く、闇夜の中であたりを素早く確認した。
「今ですっ!」
サッと短く叫ぶと、ブリュンヒルデを自分の家のドアを空けて素早く中に入るのであった。
後ろでにドアを閉めて、さらに鍵もササッと閉めていた。我ながら、完璧!
蒼は密かにガッツポーズを取って泣いていた。
その横で、ブリュンヒルデが蒼の姿に少し引いて見つめてる。
「蒼ちゃん、やっと帰ったの~?」
すると、奥から母親の有風の声が聞いてきた。
まずい!
蒼はこうなる事は分かっていたが、やはり、近所の暗闇からの自分の家に帰ることばかりに気をとられていて、家に彼女を連れてくる理由をどうするか全く考えて居なかったのだ。
街の商店街の人の目から逃れる事に全神経を集中していた為、そんな理由を考える暇が無かったのである。
そのまま理由を言ってもまさか信じられる物では無いので、どうするか考えて置く筈だっただが……。
今更ながらに、自分の無計画さに嫌気が差して来てしまう。
「あ、どうしよう……」
急に頭を抱えた蒼の横で、ブリュンヒルデが心配そうに蒼を見下ろしている。
「どうしたの?……」―――― 奥から有風がスリッパの音をさせて近づいて来た。「……って、あれ、蒼ちゃん、お客さん?」
「うん。そうなんだけどね。色々有って……」
蒼は全く思いつかない自分に苛立ってブリュンヒルデを見ながら頭を掻いた。
「こんばんわ。そうなの? ま、上がって下さいね。あれ、外国の人?」そこまで言うと、有風は少し考えて、口を開いた。「ないすてゅーみーてゅ~、かしらね?」
キョトンとしているブリュンヒルデが頭を下げて困ったように有風を見て答える。
「こんばんわ……」
申し訳無さそうに言うと、その言葉に有風は驚いた。
「あれ、留学生の方で無かったの、蒼ちゃん? てっきりそうだと思ってから……」そう言って笑うのであった。
! ―――― その言葉に蒼が閃いた!
蒼はすかさず有風に向き直り、その今飛び出した言葉に同意するのだった。
「そうだよ、留学生のブリュンヒルデさん。今度、クラスに編入するんだけど留学先の家が火事に有って、困ってるだろうかと思ったから話し合って、今日は急遽家に泊めてあげたいと連れてきたんだ。ごめん、黙ってて!」
我ながら冴えてると心でガッツポーズの二回目をする。
「それはなんて可哀想な事になったわね? 家には、連絡済んでるの、荷物は? あ、そうだご飯まだでしょ? もうウチのは出来てるから、さ、上がって上がって……」
それを聞くと、母親の有風はすっかりブリュンヒルデが可哀想になったみたいで、直ぐ様ブリュンヒルデを連れて家に上げてしまった。
ブリュンヒルデはびっくりして蒼の顔を見たが、蒼は有風に連れて行かれる後ろ姿に祈るようなポーズでブリュンヒルデを見るのであった。