第8話 ミッドガルドの長い夜 1
目を開けると、蒼は草むらに寝ていた。
夕焼けの眩しい陽の光が思いがけず飛び込んで来て、急いで顔を背けた。
辺りに緑の草が風にそよいで気持ち良く顔をなでていく。
先ほど見たあれは、夢だったのかな……?
そんな考えが頭に浮かんだ。
福引をしたあの場所で不思議な剣を抜いてから、空には黒い雲が立ちこめ『世界の終末宣言』なる物があって、それは自分にしか聞こえなかった。
そうしたら空から『勝利の女神さま』が降りて来て、フェンリルという可愛い小さな女の子と対決したけど……。
よく考えたら、そんな事が現実にある訳がない。
世界の終末とか、空から女神さまが降りてくるとか……。
その証拠に、あの綺麗で優しく微笑んでいた美しい勝利の女神さまは何処にも居ないじゃないか。
フッ……と蒼は自分の見た夢に笑いが込み上げてきた。
そんな事を現実と思うなんて、最近疲れてるのかな――と少し笑う。
しかし、中々面白い夢を現実のように見る事はちょっと心配だな――と自分の傍にある黒焦げの大きな穴を見て、そこで止まった。
「!」
それは、あの鎧を着たヴェルキュリアが炎に包まれた時に出来た穴だった。
「なんで、夢に見た穴がここに有るんだ?」
立ち上がってそれを良く見ようとして、蒼がそこまで考えた時だった。
「あれ? まだ動いては行けないですよ……」――――不意に声がして頭をそちらに向けた。
しかし、さっきまで寝てたからか頭がふらついて後ろに勝手に身体が倒れていく。――――
自分ではどうしようもなく倒れてしまいそうになると、何かにぶつかってそこに止まった。
「ほら、言った通りじゃないですか……」
後ろから抱きとめてくれた人の声がした。
振り返るとそこにこの世のモノとは思えない程美しい女性が、自分の身体を支えていてくれてるのであった。
「え……?」
思わず目を疑った。
あの夢で見た女神様が自分の身体を支えてこちらを見て居るのである。それも優しく微笑みながら。
「貴方のおかげでフェンリルを撃退することが出来ました。凄い成果です! これで、暫くはこのミッドガルドも平和でしょう」
ブリュンヒルデは優しく微笑んだ。
蒼は目が飛び出そうになるくらい驚いた。
まさか、あの夢に見たと思った女神さまがここに居るなんて!? それも、今もこうして自分の傍で、自分を抱きとめて――。
……と、そこまで考えると背中に何かが当たっているのだが……? すると、気付いて蒼が慌てて飛びのく。
彼女の胸当てが蒼の背中に当たっているのであった。
「あわわわ、すみません! すみません! 何か、とにかくすみません!」
ブリュンヒルデが蒼のおかしな行動に、どうしたのかと言う顔をして彼を見つめると、蒼はしきりに謝るのであった。
彼女の胸があまりにも有るので、自分をしっかり抱きとめてる時に当たってたなんて、とても言えないよ……。
心の中でそう思っていたが、何も言えずにただブリュンヒルデを見るのであった。
しかし、改めて見るブリュンヒルデは本当に美しい女神であった。
流れる水のような薄蒼緑色の髪に、同じ色の瞳をしていた。頬は太陽のように暖かそうにうすもも色に輝き、やわらかそうな小さな唇がこちらを見て何かを言おうとしていた。
自分を真っ直ぐに見て笑っていてくれるその顔は、まさしくこの世の物でなく、最高の優美を称えてそこに集めたような姿で、蒼は一遍に心を奪われてしまったのだった。
「あの……、さっきの事は夢でなかったのでしょうか?」
蒼は、自分が何を言ってるのかあまり分からなかったが、それでも信じがたい自分の記憶について、目の前のブリュンヒルデに聞いてみた。
「はい。貴方のおかげでフェンリルをやっつけたのは、全て本当の事です!。そして、私はそのぉ……」―――― ブリュンヒルデはそう答えると、蒼に向き直って改めて言うのだった。
「あなたの戦女神なのも本当です!」
そう呟くと、蒼に向かってにっこり微笑むのであった。
可愛い……。
蒼はいきなり自分が走り出しそうになる衝動にかられて、恥ずかしくなって下を向いた。
しかし冷静になって思い直してみるとそうだった。彼女が、戦女神と言ったのだ。『戦女神』とはたしか『勝利の女神』の事だった筈――――。勇敢な戦士を勝利に導くのが仕事で、そして、その勇敢な戦士が死ぬと、戦死者の宮殿に連れて行くという女神だと何かで見たことがあった。
そのヴァルキュリアである彼女が、フェンリルという狼の杖を持った女の子を殴り飛ばして世界の終末の危機を救ったのだ。
けれど、蒼はそこまで考えてふと我に返った。
はて……? 自分はあの剣を抜いて英雄になると言われたが、何かそれらしい事をしたのだろうか……?
「あの……、それで、僕は何か役にたったのでしょうか? フェンリルとか言う女の子を斃したのも、貴方ですし。やっぱり僕は用なしだったですかね? あはは」―――― 蒼は情け無い声で彼女を見た。
すると、ブリュンヒルデは少し思案下に顔を上にあげて考えた。
「そうですね!」ブリュンヒルデはあっさりと答えをだした。
「そうですか……やっぱり」蒼ががっくりと肩を落とす。どうせ分かっていた事だよ、いつもこうなるのは分かってる。もう慣れっこだよ、僕なんか……と、いじけたような顔をしてうつむく蒼……。
だが、それでは蒼があまりにも可哀想なので、慌てて付け足して答えるのだった。
「しかし、あなたの力を使うまでも無く、フェンリルは斃せるくらい弱かったと言う事です! きっと、あなたが戦う程の相手ではなかったのですよ……」なんか、ヴァルキュリアの彼女が蒼のフォローまでする羽目になってる。
「本当でしょうか……」
しかし、ブリュンヒルデの気を使った言葉にも、相変わらずの蒼のマイナス思考は続いてるみたいだった。
「それにしても、ここもかなり凄いことになってしまいましたね。地上の皆さん少しビックリしますかね? ウチの『拘束炎』威力あるので……」
だが、話を変えようとブリュンヒルデが周りを見回して言うと、蒼もその大きく空いている穴を思い出した。
確かに、気付いてみるとこのままここに居るのは何かの騒ぎになって、困るだろう。
もしかしたら、騒ぎが大きくなって、そして彼女を連れて行くと言われるかも知れない。
大体、彼女の事聞かれてもなんと答えて良いか分からない。
それに――――彼女を連れて行かれるなんて、絶対に困る。
「そうですね……、すぐにここから離れないと、きっと大騒ぎになります。騒ぎになったら、僕が貴方を守りきれるか分からないから、そのぉ、とりあえず何処かへ移動しましょう」
蒼は不意にブリュンヒルデの言葉に、焦ってそう言って移動しようとする。
どこかに安全で彼女の事を隠せる場所へと……。
だが、移動しようとブリュンヒルデに促した筈だが、彼女はそこに留まってしまった。
「待ってください。このままにしなければ良いのですよね?」
そう呟くと、両手を開いて周りの野原に向けて何かの呪文のような物を言い始めるのであった。
「……!」
蒼が不思議に思って見ている傍で、焼け焦げた草木や、地面に空いてしまった大きな穴が、彼女の元から広がった光の風のような物に包まれると、見る見るうちに育って、元の姿に変わっていくのであった。
「私達の力で起こしてしまった物は、私でも大体は治せるのでそうして行きます。ただ、起こしてしまった事実は、変えられないですが……」
ブリュンヒルデは申し訳無さそうに、蒼に言った。
「凄い! 凄いですよ、さすが女神さまだ!」―――― 蒼は感激して、ブリュンヒルデに近づいてきた。「しかし、言うとおりですね。この場所からは離れましょう。きっと、見た人は大勢居るだろうから」
「はい!」
蒼はブリュンヒルデの力に興奮した。
やはり、この人は本当にヴァルキュリアなのだ。それも、魔法も使えて本物の女神様だと着てる。何か分からないが、凄い事になってきた。―――― やはり、いつもの事なのかまた運の悪いことに巻き込まれてるのだろうか?
しかし、そこまで考えてブリュンヒルデを振り返った。
そこで、ブリュンヒルデも自分を見つめる蒼を、不思議そうに見返した。
いいや、絶対に彼女に会えた事が、運が悪いなんて事が有るわけが無い。この女神さまにあった事が、悪いなんてある筈がないんだ!
蒼は彼女の顔をまじまじと見て、自分で納得したように、うん――と大きく頷いた。
すると、蒼はある事に気付いてもう一度走り出そうとしてまた足を止めた。
「あの、一つだけ聞いても良いでしょうか……女神さま?」
「はい」
蒼の言葉にブリュンヒルデは何事かと、問うような顔で答える。
「女神さまの名前は、なんと言うのですか?」―――― 蒼は静かに聴いて見た。
「!」
ブリュンヒルデは蒼の言葉に、直ぐに思い当たった。
そして、少し笑うようにそう答えるのだった。
「そうですね、失礼しました」……ブリュンヒルデは頭を少しだけ下げて蒼を上目遣いに見た。
「私の名はブリュンヒルデ。―――― だけど、二度目なのでもう忘れないで下さい、ね」
蒼は微笑みながら言ったブリュンヒルデの言葉の意味が分からないで、キョトンとした顔で彼女を見つめるのだった……。