第10話 ミッドガルドの長い夜 3
「そう、そうなの、でもうちのご飯で大丈夫だったかしらね? トンカツって言うのだけどね、ブリュンヒルデちゃんは食べれたかしら?」
蒼の家のキッチンの向かいにある、テーブルで3人で食卓を囲んでいた。
蒼の咄嗟の思いつきで言った留学生の話にすっかり同情した有風は、ブリュンヒルデの寒そうな姿に自分のカーディガンを与え、用意の終わった夕飯を勧めたのであった。
一瞬、蒼はご飯だと聞いてブリュンヒルデの顔を見た。
よく考えたがそもそも女神のブリュンヒルデが何を食べているのか知らなかったのである。
しかし、心配して顔を見た蒼にブリュンヒルデは何も言わずに頷いて見せるのであった。
「凄く美味しいです! この『とんかつ』って言う金色の中に入ってるお肉が凄く美味しいです!……」
ブリュンヒルデはとんかつを気に入って、そう言うのであった。
「あら、そう? それ、蒼ちゃんの大好物なのよ。これが日本の『とんかつ』なのよ。そんな事言うとまた蒼ちゃんのアレが出ちゃうかも知れないけど……」
ブリュンヒルデの言葉につい嬉しくなって、有風がにっこり笑って変な事を言って蒼を見た。
「?」―――― その言葉にブリュンヒルデも蒼の方を見た。
蒼が恥ずかしそうにしたが、急に声をシャガラせてそれを言うのだった。
「『その者金色の衣を纏いし、青い野のキャベツに降り立つべし。失われしお肉と絆を結び、ついに人々を極楽の地に導かん……』。古いいい伝えじゃ。いたわりと友愛の言葉じゃ……」
背の曲がった老人の真似をして、テーブルの端で何かの言葉を言うのだった。
それを見て、ブリュンヒルデが何をやったのかと、キョトンとした。
「これが、蒼ちゃんの唯一出来る物真似なのよ! いつも、何言ってるのかおばさんには分からないんだけどねっ!」
それを見てブリュンヒルデに有風が言って大声で笑う。
はっきり言って何がおかしいのか分からない。
「何度言ったら分かるんだ母さんは、これは『風の谷のナシウカ』って言う日本が世界に誇る名作の一場面なんだよ! ま、ちょっと”衣”と降り立つ”野”の色は変わってるんだけどね、『とんかつ』の衣の色に!」
蒼は大真面目に言っている。
笑っている有風の前で、蒼がブリュンヒルデに真面目にその前後の話をして衣と野の色について説明をする。
それを全部聞くと、ブリュンヒルデは少し声に出して笑いながら蒼に言うのだった。
「そうですね。――そうか、本当の言い伝えの色は、『青』い衣と『金色』の野なのですね、やっと分かりました……」
ブリュンヒルデが納得して笑うと、蒼も嬉しそうに頷くのだった。
それを黙って見ていた有風は、ご飯も何も文句は言わずに食べてくれるブリュンヒルデにすまなさそうに言うのだった。
「ごめんなさいね、お味噌汁もきっと食べたこと無いのに、外国には多分無いでしょうからね、大丈夫?」
それを聞くとブリュンヒルデはニッコリ笑って有風に頭を下げるのであった。
「はい。大丈夫です。凄く美味しいです。それに、この『お味噌汁』のお豆腐と、この白い『ご飯』がやわらかくて……。みんな美味しくて、私、今、感動して幸せなんです! 有難う御座います」
その言葉に有風は驚いて、思わず少し涙ぐんでしまった。
「遠い国から来たこんな若いお嬢さんが、こんなにも素敵な心を持っていてくれて、ましてやご飯を食べて有難うと言ってくれるなんて……」―――― 有風はブリュンヒルデのその気持ちの優しさに反対に感動してしまっていたのだった。
感動して、そこで不意に聞いてみた。
「有難うはこちらの方よ、ブリュンヒルデちゃん。ところで、そう言えばあなたの服は随分可愛いけど、そのぉ、何処の国の服なのかしら……?」
唐突な有風の言葉に、蒼は一瞬凍りついた。
有風に国の名前までは話して居なかったのだ。
何か適当な名前を言わないと、ブリュンヒルデが答えてしまったら変な名前を言ってしまうかも知れないから……?
「え~と。私の国はアースガル……」
ああ、なんで僕が言う前に、すぐブリュンヒルデが答えようとしてるのかーーーーっ!?
「えっとねー、彼女の国は、アー……イスランドの横のーーっ! ノルウェーとスウェーデンの間ぐらいの国だったよねー、確か。あれ、スウェーデンだったっけっ!?」
蒼の必至の国名連想大声当てゲームが突如、炸裂するのであった!
慌てて肩を強く握った蒼の顔を見て、ブリュンヒルデも何事かその殺気から察するのだった。
ウンウン頷くブリュンヒルデの前で、「確か交換留学で行ってるんだよね~、その人も。寒い国だから大変でね~? 僕だったらそれは耐えられないな~!」と、蒼は大声で誤魔化すように言うのだった。顔は汗びっしょりで何か可哀想。
「そう、そうなの? 交換留学って、ブリュンヒルデちゃんと交代で誰か向こうに行ったのね。その人も大変ね……」
それを聞くと、蒼の殺気だったフォローに、有風は何も気付いて無い様に相槌を打つのであった。
「…………」
するとそれを聞いた蒼が急に手を止めて、言うのだった。
「いや、交換留学と言っても別に誰も交換で行くわけじゃないから大丈夫だよ、お母さん」
交換留学とは、お互いの国の文化や、考え方を交流・交換する事で人の交換を決して指してる訳じゃ無いって授業で習ったばかりだったのである。
「あらそう? また母さんは、外国の人と人を交換する、言わば人○交換見たいな物かと思ったわよ……嫌だわ、恥ずかしい」
『恥ずかしいのは、こっちだよ』―――― 蒼は密かに心の中で天然の母に突っ込むのであった。
「あ、でも留学といえばこの子の妹も今外国に留学していて、父親と一緒に行ってるのよ。カナダって所だけどね。また帰ってくればブリュンヒルデちゃんも会えるわよ、楽しみにしててね」
蒼の心の突っ込みも聞くことも無く、有風はそうブリュンヒルデに話すのであった。
ブリュンヒルデはそんな風に話してくれる蒼の母親を見て、とても優しい気持ちになるのだった。
「でも何にしてもブリュンヒルデちゃんは凄い素敵な子ね。私が日本のお母さんになるから、心配しないでね」
ひとしきり話し終わると有風が急にブリュンヒルデに向き直ってそう言い始めた。
もうブリュンヒルデを気に入ったようで、明日からも居てくれと蒼に学校に言うようにブリュンヒルデにも言う始末。まったく面白い蒼の母親なのであった。
「それともう疲れただろうから、今日はゆっくり寝て、明日に備えてね」
そう言うと、喜ぶブリュンヒルデに優しく微笑むのであった。
ご飯が終わり、蒼とブリュンヒルデは下の台所から二階に上がる所だった。
その晩は、蒼の妹の部屋にブリュンヒルデは泊まれと言われ、蒼の向かい側の部屋に寝ることになった。
お風呂に入れとブリュンヒルデが言われた時には、蒼は慌てたが、何か襤褸が出ては困るとお風呂場の前に陣取っていたので、有風の変な質問も無く、上手く交わすことが出来たのだ。
ま、有風には「風呂の前で変体かーっ!?」……と言う指摘がだいぶあったが、風呂の使い方と、分からない事や言いにくいことも自分なら割と仲が良いので通訳の為に居るのだと言い張って事無きを得たのだった。
しかし、その風呂場で居る間中は、いろんな卑猥な妄想が渦巻きすぎて、もう少しで新しい宇宙が誕生しそうだったと、その日の日記に蒼が書いたのが、のちのち判明するのであった。
「お休み~」
「お休みなさいませ、有風お母さま」
蒼のそっけない言葉に続いた、ブリュンヒルデの丁寧な挨拶を聞いて有風は、凄い嬉しそうにブリュンヒルデを抱きしめて二階に送り出した。
「はは……」
あまりの態度の違いに、蒼もいささか食傷気味だったが、それでも仲が悪くて疑われるよりは未だマシと、それを横目で見てやり過ごすのであった。
「今日はすみませんでした。こんな家に突然連れてきて……」蒼は、二階の部屋に着くなり、小声でそう謝った。
「けれど、何処にも行くところが無いといけないと思ったので、つい……」
「何を言ってるのです。私はとっても楽しかったですよ。それも、事情が有って私が戻れないのも事実ですし……」
蒼の言葉にブリュンヒルデが喜んで嬉しそうに言ってくれるのが、蒼には堪らなく嬉しかった。
蒼はそんな嬉しい気持ちのせいで、ついそんな無茶な事もお願いしようと思ってしまうのであった。
「明日も居てくれますかね? 明日は、学校に僕と一緒に行って学校を案内したいと思うので……、どうでしょうか?」
このまま家には今のブリュンヒルデの状況では置いては行けないと、さっきお風呂に居る時に考えたのだ。
お風呂の中でも、いつ母親が変な質問をしてブリュンヒルデの正体がばれてしまうか心配で、三分で出てきたのだから、明日の学校くらい連れて行っても罰は当たらないと勝手に思って居たのだった。
それに、そう言う理由でも無ければ、女神さまがいつ帰るって言い出すか分からないのだから――――。
「はい。分かりました。それに私の方がお願いしたいぐらいですから……。有難う御座います。蒼さま」
その言葉を聞いて、蒼は急に恥ずかしくなって、お休みも上手く言えないまま、朝の起きる時間を言って部屋に入ってしまった。
一人、残されて首を傾げるブリュンヒルデも暫く閉じた蒼の部屋のドアを見ていたが、蒼の向かいの部屋に入るのであった。
向かいの妹の部屋のドアが閉まるのを、蒼は音で聞いていた。
ブリュンヒルデの顔を見ていると、どうしても心が落ち着かない。まるで、何キロも走って息が切れるマラソンをしてるような感じになるのだ。
考えると、またブリュンヒルデの愛らしい明るい顔が笑ってるのが浮かんできて、何か恥ずかしい気持ちになってくる。
なんだろう?
どうしてこんなにドキドキするのだろうか?
蒼は、なんどもその気持ちを考えていたのだった。
しかし、そんな事を考えてると、また、その気持ちが浮かんできてしまうのであった。
それは、蒼がフェンリルという女の子がブリュンヒルデにやっつけられてもう大丈夫だと言われた時に、ふと頭に浮かんだ事だったのだ。
何も無かったら、きっと女神様はまた天に帰ってしまうのだろう――――。
それは、おそらくその通りなのだろうと思っている。
きっと、戻ってもう会えなくなってしまう。
それが、怖くて家に連れてきてしまったのでは無いだろうか?
それが、怖くて、自分は明日も予定を告げないと行けないと思ったのではないだろうか?
蒼は、ブリュンヒルデの顔を思い出して、そんな想いを募らせるのだった……。
 




