第五話 沖田総司は、淡い粥を食って「生」を知った
第五のお客様は、新選組一番隊組長・沖田総司。
幕末最強の剣客でありながら、最も「死」の影に愛された青年です。
降りしきる京の雨の中、彼が求めたのは、一振りの刀ではなく一杯の粥でした。
激動の時代に消えゆく、最も儚い「生」の記録をお読みください。
京という町は、雨が降ると、途端に匂いが変わる。
土と木と、どこか血の気配が混じる。
幕末の雨は、ただの雨ではない。
誰かの足跡を消し、誰かの命を奪い、誰かの運命を変える雨であった。
その夜、酔月屋の暖簾をくぐったのは、白皙の青年であった。
透き通るような肌に、どこか影を帯びた瞳。
新選組一番隊組長、沖田総司である。
「……何か、お腹に優しいものを」
声は驚くほど柔らかかった。
だが、その直後に漏れた咳が、彼の身体の内側で何が起きているかを物語っていた。
白い指に添えられた懐紙が、わずかに赤く染まるのを私は見逃さなかった。
私は頷き、厨房へ向かった。
娘たちは奥で皿を拭いていたが、沖田の咳に気づき、不安げに顔を見合わせていた。
「お父はん、あの人……大丈夫かな」
「ええ、奥にいなさい」
私は、京野菜を刻み、白粥を炊き始めた。
ただの粥ではない。
利尻の昆布と削りたての鰹節の香りが、雨の湿り気を押し返していく。
身体の芯から温まるように、出汁を丁寧に含ませる。
沖田のような男には、熱すぎてもいけない。
病の身体は、熱に敏感である。
私は、粥の温度を確かめながら、静かに火を落とした。
店の片隅には、不逞浪士の気配があった。
沖田を狙っているのだろう。
だが、私は騒がなかった。
この夜ばかりは、沖田が「剣を忘れられる」空間を作りたかった。
粥を盆に乗せ、沖田の前に置いた。
「……どうぞ。淡い味ですが、身体にはよろしいかと」
沖田は、しばらく粥を見つめていた。
やがて、匙を取り、一口啜った。
その瞬間、彼の表情がふっと緩んだ。
「……生きてる味がします」
その言葉は、雨音よりも静かで、しかし胸に深く響いた。
余談だが、沖田総司という男は、天才であった。
剣を握れば、誰よりも速く、誰よりも美しく、誰よりも冷たかった。
だが、その冷たさは生まれつきではない。
天才とは、神に愛されると同時に、短命という代償を払わされる存在である。
沖田の無垢さは、その代償の一部であった。
粥を啜る沖田の姿は、剣の天才ではなく、ただの若者であった。
雨に濡れ、病に怯え、仲間の死に心を削られた、一人の青年。
店の外の殺気が、ふっと引いた。
……これほど無垢な粥の香りを前にしては、抜く刀も重くなったのだろう。
娘の一人――次女が、そっと近づいた。
「おにいちゃん……おいしい?」
沖田は、微笑んだ。
「ええ。とても」
その微笑みは、あまりに儚く、あまりに美しかった。
やがて沖田は立ち上がり、雨上がりの夜空を見上げた。
「……明日も、またこの粥を食べに来られるでしょうか」
私は答えず、ただ言った。
「お待ちしております」
沖田は、静かに頷き、雨の匂いを残して去っていった。
私は、空になった椀を片付けながら思った。
生とは、刀の先にあるものではない。
温かい粥の一匙に宿ることもある。
名もなき町人の私には、天才の孤独は測れぬ。
ただ、あの夜、酔月屋の灯りは、
沖田総司という男が「生」を確かに味わった瞬間を照らしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
沖田総司という人物を書くとき、どうしても「強さ」よりもその「若さ」と「脆さ」に惹かれてしまいます。
【読者の皆様へ】
おかげさまで、多くの方に『酔月屋』を訪れていただけるようになりました。
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次回は……あの「維新の三傑」の最後の一人、あるいは「幕臣の怪物」が登場するかもしれません。




