お父さんとの別れ
お父さんは立ち上がってムウに手を振った。するとムウはケンを従えて走ってきた。
「お父さんは寂しくないの?」
「最後にハルカと沢山話が出来てお父さんは幸せだったよ。それにこれからもムウが一緒に行ってくれるし、ケンとも仲良くなれた。大丈夫お父さんは楽しくやっていける」
「ムウ、頼む」
「よろしいのですか?」
お父さんは頷いた。
「ハルカ様、失礼します」
ムウは私の手を取った。
「お父さん!私やっぱり」
「ハルカ。ありがとう」
お父さんは私の言葉にかぶせるように言うと右手を上げた。同時にムウは私の手首のミサンガを引きちぎった。私の意識は何かに吸い込まれるように消えた。
眩しい。目を閉じているのに瞼の先がやけに明るく感じる。
「...カ」
誰かに肩を掴まれ体をユサユサと揺らされる。
「ハルカ!ハルカ!」
お母さんの声が聞こえる。
私はゆっくりと目を開ける。視界には白い天井。私のことを覗き込むお母さんの顔。
「おか、あ、さん...」
声にならない声で呼びかける。こんなにまともにお母さんの顔を見るのは久しぶりのような気がする。
お母さんの目に涙が溢れそうになっている。目尻に小じわ発見。前髪にポツポツ白髪が見える。これ言ったら絶対お母さんの機嫌が悪くなるやつ。
ここは病院?
パタパタと複数の足音がして、白衣を着た男の人と看護師さんが現れた。
男の人はお医者さんなんだろう私の瞼をめくったり、首に手を当てたり、聴診器を当てたりする。
うん、やっぱり病院。
お父さんよりも若くて、だけどお兄さんて程でもないお医者さん。
「どこか痛いところとか、重たいところはない?」
私は布団から右手を出してグーパーしてみる。
「ない」
掠れた小さな声で答える。
お医者さんは少し笑ってから、お母さんの方を見て言う。
「検査の結果は異状がなかったので、明日まで様子を見て何事もなかったら退院でいいですよ」
「ありがとうございます」
お母さんがお医者さんに頭を下げる。
まだぼんやりした頭で考える。
私、さっきまでお父さんと一緒にいた。
でも今は病院で寝てる。
左腕には点滴。
お医者さんが部屋を出た後、看護師さんが話しかけてくる。
「ハルカちゃん、気分はどう?気分が悪かったら遠慮しないで言ってね」
看護師さんは私の点滴を見る。
「あと少しだから、これが終わったら外しましょうね。食欲はどうかな?お腹が空いてたらお母さんに売店で何か買ってきてもらってもいいからね」
ニコニコと話が好きそうなお姉さん。
「10日も寝てたからまだボーとしてるかな?6時には夕食が出るからね。じゃあまた点滴が終わる頃来るね」
看護師さんて忙しそうだなぁ、とぼんやり考える。私10日も寝てたのか。じゃあ、あのお父さんと一緒にいたのは夢だったのかも。うん、きっと夢だ。
あんなにお父さんと話しをしたのが、最初で最後でしかも夢落ちだなんて。
でも夢ってことは、もう少ししたらひょっこり現れたりするのかも。
天井と点滴を眺めながら考える。
「ねえ、お母さん、お父さんは何時くらいになったら来てくれるの?」
私はお母さんを見た。お母さんは私の右手を両手で握りダバダバと涙を流しだした。
「ごめんね。ハルカごめんね」
お母さんはゴメンを繰り返しとうとう鼻水まで垂らしだした。
「あの時、お母さんが行かさなければ、ハルカもお父さんもいつも通りでいられたのに」
嗚咽しながら絞り出したお母さんの言葉に、もうお父さんには会えないことを理解した。
「謝らなくていいよ」
でもでも、と泣き続けるお母さんにどうしていいかわからず、とりあえずベッド横にあったティッシュをなんとか左手を伸ばして取って、お母さんの目の前に突き出した。
しばらくお母さんは泣いて、鼻をかんで小さくため息をついた。
目の周りと鼻が真っ赤になっている。気まずい。そのタイミングで看護師さんがワゴンを押して部屋に入ってきた。
「ハルカちゃん、点滴抜きますよ」
看護師さんは手際よく腕に貼られたテープをはがして針を抜き、止血のコットンをテープで強めに貼った。
「恥ずかしいかもしれないけど、下の管も抜くね」
看護師さんは布団の下半分をめくった。
「やだ、何これ」
「どうしたんですか?」
少し頭を上げて覗き込むと、看護師さんの指には黒いひも状のものが摘ままれていた。
「それ!ください!私のです」
看護師さんはちょっと驚いた顔をしたけどすぐに笑顔になり渡してくれた。それを両手で受け取りちゃんと見る。間違いない。ムウに引きちぎられたミサンガだ。気が付くと頬を涙が伝っていた。
ミサンガを握り額に当てる。
「お父さん...」
思わず言葉にした。
看護師さんが部屋を出た後、お母さんに話かけた。
「お母さん。信じてもらえないかもしれないけど、お母さんに話したいことがあるの」
「何?」
お母さんは真っ直ぐ私を見る。
「あのね、私、10日間眠ってたって言われたけど、その間ずっとお父さんと一緒だったんだ」
お母さんの目が大きく見開かれる。
「あんまりお父さんと話しをすることなかったけど、一緒にいる間は沢山いろんな話をしたんだ」
「そっか、ハルカはずっと長い夢をみていたんだね」
「夢、そうかもしれない。私も最初はそう思った。でもコレ」
私はミサンガをお母さんに見せる。
「何これ?」
「コレを手首に巻いている間は一緒にいられたんだけど、ムウに引きちぎられて戻ってきたの」
「ムウ?ムウって紫?」
「そう」
「じゃあコレを付ければお父さんと会えるの?」
お母さんが縋るような目で見る。私は首を振った。
「多分もう無理だと思う」
お母さんは明らかに落胆していた。こんな話きっと信じてもらえないと思ってた。きっとこの10日間にお母さんは心も体も疲弊したんだろう。藁にも縋る思いっていうんだろうか、せめて最後にお父さんと話しをしたかったのかもしれない。
「お父さん、きっと怒ってたよね。私があの時行くように言ったから...」
お母さんは寂しそうに笑った。そしてツイっと首だけで後ろを向き空を見上げた。
「お母さん。お父さんは全然怒ってなんかいなかったよ」
私はお母さんの服を引っ張てこっちを向いてもらった。
「お父さんがね、言ってたの。きっとお母さんはあの日のことを後悔してるって。お父さんは今まで幸せだったって、今度はムウと新しい仲間と楽しくやるんだって」
お母さんは両手で顔を覆いじっと動かなくなってしまった。それでも私は話を続ける。
「あとね、お父さんがお母さんに大好きだって伝えてって言ってた。お母さんの笑ってる顔が好きなんだって」
お母さんは顔を覆ったまま肩を震わせている。そのままじっと動かなくなってしまったんで、ベットに横たわる。
「...あいつはぁ...」
絞り出すような声で言うと、お母さんは笑い出した。思わず驚いて起き上がる。恐る恐る覆っていた手を取るとお父さんが好きだって言ってた大笑いの顔で笑っていて、頬には涙が伝っていた。お母さんはティッシュの箱を抱え、涙を拭き、鼻を噛み、独り言を言いだした。
「何が楽しくやるだ、残されたこっちは大変だっつーの。だいたい仕事は完璧にするくせに、ウチじゃいつもツメが甘いんだから...」
やばい、お母さんになんかスイッチが入ってしまった。私はミサンガを握り閉め、布団を頭まで掛けて潜り込んだ。
次回は閑話でムウのお話になります。




