第8話
* *
ユナト国王オルバ・シュテンファーレンの率いる三百の軍勢は、翌朝になってマルダー村に到着した。
「まったく、少し目を離すとすぐにこれだ……」
甲冑姿のオルバは溜息をつき、付き従う近衛騎士たちに愚痴を吐いた。
「やはりフィオレは少々甘やかしすぎたかもしれん」
「そちらの心配事でございますか、陛下」
「マルダー村の件など些事よ。代官が領民と揉めるなど珍しくもない」
この言葉に嘘はない。農民たちも決して従順とは言えず、法の抜け穴があればありとあらゆる方法ですり抜けようとするし、不満があればこうして反抗もする。
「帰ってきた小者たちの報告では、フィオレはわずか三人の側近だけでマルダー村に滞在しておる。不用心にも程があろう」
「はあ……」
騎士たちは顔を見合わせる。
(だからといって百倍の三百人の兵を集めよというのは……)
(陛下がこれだから姫がこんなことになるのでは?)
(陛下は王妃様に叱られるのを何よりも恐れておいでだからなあ)
ヒソヒソ声でささやき合う騎士たち。
「聞こえておるぞ」
オルバは渋い顔をして、腰に佩いた剣の鞘を軽く叩いた。
「農民どもめ、フィオレに狼藉でもあろうものなら根絶やしにしてくれるわ」
(結局それなんだよなあ)
(身内に甘すぎるのが陛下の欠点だが、そこが良い)
(我々の一族も手厚く遇してくださるしな)
「聞こえておるのを逆手に取っておべんちゃらを申すでない」
言いたい放題の騎士たちをじろりと睨んだオルバだったが、すぐにニヤリと笑う。
「軽口を叩く余裕があるようで結構。いざとなれば軽口を叩きながら暴れてもらうぞ」
その瞬間、騎士たちは背筋を伸ばしてスッと口調を改める。
「仰せのままに」
「うむ、よい」
完全なる統率と信頼関係。
これこそがユナト王オルバの力の源だった。
だからこそ、家臣団の統率と信頼関係にヒビが入るような真似は決して許さない。
「わしに楯突いた以上、農民どもには首の三つ四つは差し出してもらわねばな」
フィオレ姫が予想した通りの数が出てきたとき、オルバは軍馬の歩みを止める。
「全軍停止せよ。村の入り口に何かおるようだ」
ガチャガチャと馬具や甲冑の音を鳴らしていた軍勢が停止すると、微かに音楽が聞こえてくる。
「陛下、村の方から何やら……」
「うむ。戦支度という訳でもあるまいが、何か企んでおるのかもしれん。念のため両翼に兵を展開させろ」
「はっ!」
随伴していた長槍隊が、行軍用の縦隊から戦闘用の横隊へと陣形を変える。
それとほぼ同じタイミングで、村の入り口の柵が開いた。
「陛下、何か出てきます!」
「うむ……うむ?」
槍持ちの従卒から槍を受け取ったオルバは、目を丸くした。
「何をしとるんだ、あいつは!?」
* *
「ゆっくり、ゆっくり歩いてくれ。あと水平を保つように」
俺の指示で、八人の村人たちがそろりそろりと前進する。
村人たちが担いでいるのは、急造の輿だった。
村の大工が突貫作業で仕上げてくれたので、遠目にはなかなか立派になっている。近くで見ると粗が目立つが、贅沢を言っても仕方がない。
輿に乗っているのは、もちろんフィオレ姫だ。
「うわ、うわわわ……おい結構揺れるではないか、もう少しどうにかならんのか?」
「乗馬に比べれば遙かにマシでしょう」
「そうは申すがな、またがるのと立っておるのとでは訳が違う」
「だから座っててくださいと申し上げたはずですが……」
仁王立ちでグラついているフィオレ姫にはそのまま頑張ってもらうことにして、俺は他の人員を再確認する。
輿を担ぐ屈強な村人八人。左右に俺とカナティエ。カナティエは女官だから正式には文官だが、甲冑を着ているので武官っぽく見える。文武両官を配した感じだ。
先導は神官のメステス。さすがに聖職者にいきなり矢を射かけるような兵はいないはずなので、安全のために矢面に立ってもらった。
とはいえ王命なら矢を射かけてくるだろうから、かなり危ないポジションだ。
「言っておきますがね、僕がこんなことをしているのは姫のためではなくジュナンのためですからね」
「わかっておるわ、きりきり歩けぃ!」
仲がいいんだか悪いんだか。
そして後方には女性や老人たちの楽隊。どこの村でも警報用や祭礼用に楽器はいくつか置いてあるものなので、それを引っ張り出してきた。
おっと、大事なことを確認しておかないと。
「姫、土橋を渡ったら輿を降りてくださいね。輿は王国下馬法の適用外ですが、不敬と見なされるとまずいですから」
「ええい、それもわかっておる! 者ども、土橋を渡ったら輿を下ろすのだぞ! でも、そっとな! そっと下ろせ!」
グラつきながらも堂々と命じる姫。少し頼りないが、王者の風格がある……ような気がしなくもない。
幸い、国王の軍勢は様子を見ることにしてくれたようだ。長槍隊が左右に展開しているが、槍はまだ構えていない。弓や鉄砲の姿も見えない。
俺たちは土橋をしずしずと歩き、眼下の浅い溜め池を眺めながら無事に渡り終える。
この溜め池は農業用水や防火用水として使われているが、敵の侵入を防ぐ堀の役目も果たしている。土橋を渡り終えれば村の外だ。
若干グラついているフィオレ姫がサッと手を振ると、輿はピタリと停止した。そのままゆっくり輿が下ろされる。
「うわっとっと!? おっ、おい! もっと丁寧に下ろせ!」
姫が文句を言っているが、輿を担ぐのはみんな初めてなので仕方ない。これでも昨日かなり練習はしている。
「こけるかと思った……」
姫が胸を撫で下ろしながら、輿の前面からひらりと飛び降りた。
「姫、もうちょっとしずしずと降りて欲しかったのですが」
「終わったことをグチグチ申すでない。それよりもここからが本番であるぞ」
正面を見据えたままフィオレ姫が言ったとき、前方から伝令らしい騎兵が駈けてきた。少し手前で下馬すると、騎兵は片膝をついて礼をする。
「王女殿下に御注進! 国王陛下より『何をしておるのか』との御下問にございます!」
なんとなく王様も呆れてるっぽいが、とにかく交渉の入り口には立てたようだ。
フィオレ姫は胸を張り、堂々と告げる。
「シュテンファーレン家の直轄領たるマルダー村の領民たちが代官を放逐したと聞き、御不在だった陛下の露払いとして参上した! 陛下の御裁定の妨げにならぬよう、このフィオレが領民たちを屈服せしめた由! 陛下にお伝え申し上げよ!」
しゃべり方が完全に姫ではなくて王子のそれだ。
伝令の騎兵はしばらく口をポカンと開けていたが、ハッと我に返ったらしい。深々と一礼し、馬に飛び乗って本陣へと駆け戻る。
輿を担いでいた村人たちがヒソヒソ話をしている。
「なあ、本当に大丈夫なのか……?」
「わからんけど、何かあれば姫様が叱られてくれるんだろ?」
「そういう約束だもんな」
そう。マルダー村の村人たちは、代官を追い出した件を姫に取りなしてもらうつもりでいる。だからこんな輿も担いでいるのだ。農民なんて従順でも善良でもない。彼らは彼らで強かに乱世を生きている。
だがそんな強かな農民たちを統治するのが国王だ。だから強かさでは国王も負けていない。
ここからどう出てくるか。




