第7話
マルダー村の入り口へと通じる土橋を、フィオレ姫は軍馬で悠々と闊歩していく。
橋の向こうには武装した村人たちが大挙して待ち構えている。ざっと五、六十人はいるだろう。その気になれば一瞬で姫を殺せる。
だがフィオレ姫はそんなものは眼中にもなさそうだ。なんだか危なっかしいが、その胆力は凄いと思う。俺なんか小刻みに震えている。
「マルダーの者たちよ、道を開けよ! 我こそはシュテンファーレン家が長女、フィオレである!」
ぽかんと口を開ける村人たち。そりゃそうだろう。
「フィオレ……姫様?」
「本物か?」
村人たちは鎌やら鍬やらを握りしめたまま、互いに顔を見合わせている。
今のうちに補足しておくか。
「王女殿下はマルダー村の住民たちが代官と揉めていると聞き、事情を聞きにわざわざお越しになられた。かような慈悲はユナトの歴史でも滅多にないことだ。くれぐれも非礼は謹んでくれ」
なるべく穏便に頼むよ。武力衝突になれば俺たちに勝ち目はない。なんせ人数で圧倒的に負けている。
するとフィオレ姫はこう告げる。
「で、どいつの首を差し出すのだ?」
今なんて?
姫の一言で、その場の空気が明らかにザラついてくる。
「姫、何を……」
「領主の任じた代官を追い出すということは、領主に対する反逆だぞ。首を差し出すのが当然であろうが」
完全に本気の口調でフィオレ姫はそう言い、さらに続けた。
「ま、長老衆の首を三つか四つも差し出せば父上も納得されるであろう。爺の首なんぞ他に使い道もないゆえ、惜しむこともあるまい」
何を言ってくれちゃってるの!?
村人たちは無言で視線を交わすと、村の入り口の柵を閉じた。
「姫様、人質になってもらいますぜ」
ほらみろ。手勢も連れずに恫喝するから、農民たちの態度を硬化させちゃったじゃないか。
「無礼者め!」
腰の剣に手を掛けた姫を、俺は素早く制する。
「姫、お待ちを。こういう交渉は紋章官の仕事です」
「ならぬ、かくなる上は剣を以て臨むより他に……」
まだグダグダ言っているフィオレ姫に馬を寄せ、俺は威圧感をこめつつ静かに言った。
「お静かに」
「……むう」
普段と違うことに気づいたのだろう、フィオレ姫がしぶしぶ剣の柄から手を放す。
「ええい、勝手にせよ」
「はい、では勝手にいたします」
俺は恭しく一礼し、それから村人たちに向き直った。
「安心しろ、姫とて本気でお前たちの首を差し出せと言っている訳ではない」
「いやどう見ても本気の口調だったぞ!?」
「そうだそうだ!」
村人たちは納得していない様子だが、ここは勢いで押し切る。
「明日になれば国王陛下が正式に軍を派遣してこの村を制圧するだろう。そうなれば姫の仰る通り、誰かの首が飛ぶことになる。代官への暴行や脅迫は犯罪だからな」
かなり荒っぽい世界なので、暴力にはそれ以上の暴力をぶつけるのが一番確実なやり方だ。そのため割とポンポン首が飛ぶ。
だが俺はそういうのがちょっと苦手なので、穏当な方向に舵を切ろうとする。
「だが姫は軍を率いている訳でもないし、王命を帯びている訳でもない。あくまでもお前たちを案じて、お忍びで村を訪れているだけだ」
「お忍びの割には向こうに兵隊がいるようだが……」
野暮なツッコミが入ったので、俺はわざとらしく肩をすくめてみせる。
「王女殿下が護衛もつけずにその辺をうろうろする訳がないだろう? それによく見ろ、兵には警杖しか持たせていない。姫にはお前たちを傷つけるつもりなど、元よりないんだよ」
自分でもよくまあ適当なことが言えるもんだと感心するが、異世界転生してから今に至るまで、俺を守ってくれているのはこの弁舌だ。今回もフル活用させてもらうぞ。
「いいか、これはお前たちにとって最高のチャンスだ。お望み通りに代官を追い出せた上に、処罰も軽くしてもらえるかもしれない。この好機をうまく利用しろ」
俺の説得がどこまで通じているかはわからないが、村人たちは顔を見合わせる。
「だとよ」
「確かにここで暴れても軍隊が来りゃ俺たちは皆殺しだ。勝ち目がねえ」
「ってことは王様の裁定を受け入れるしかねえが、そんときゃやっぱり首が飛ぶってことだな?」
「あのクソ代官のせいで殺されるのはまっぴらだぜ。姫を人質にすれば……」
「逆に王様を怒らせちまうぞ」
わいわいと議論が始まるのを、俺は片手を挙げて制止する。
「待て待て、そういうのはこの俺に任せておけ。俺はフィオレ姫付の王室紋章官だ。ユナトの法に通じているし、国王陛下に直接意見することもできる」
懸命の味方アピールに、村人たちは少しだけ態度を軟化させたようだ。
「あんた、俺たちに味方してくれるのか?」
「もちろんだ。実は俺も農民出身でな。リンネン村の生まれだ」
「知らん村だな……」
狭い領内でも少し離れるともう全く未知の世界だ。農民はほとんど移動しないので、へんぴな山奥にある村のことなんか知るはずもない。
まあそれはいい。
「農民の苦労なら俺もよくわかる。それと同時に代官や国王陛下の理屈もわかる。うまいこと折り合いをつけて、こんなアホらしい騒動はさっさと終わらせよう。俺は城に帰って早く寝たいんだ」
「ははは、なるほどな!」
どっと笑う村人たち。いいぞ、この調子で懐に潜り込め。
フィオレ姫はというと、馬上で頬杖をついていた。
「おぬし、よく口が回るのう……」
「口の回らない紋章官なんか召し抱えてもしょうがないでしょう」
「ふふっ、確かにな。おぬし、口は回って肝は据わっておるな」
こちらも笑顔になった。よしよし、双方が笑っているなら折り合いのつけようもある。
だが問題はユナトの法律だ。こっちは厳格なので一ミリも笑ってくれない。
「代官を追い出してしまった以上、どうしても罪に問われる。一番いいのは『実は追い出してませんでした』とうやむやにしてしまうことだが……」
「そりゃ無理だ、棍棒で頭どついて蹴り出しちまったもん」
なんでそんな無茶なことするの。
すると村人たちは口々にこう言い出す。
「あの代官、仕事はきっちりやるんだがな、とにかく女癖が悪すぎるんだ」
「うちの嫁にちょっかいをかけたと思えば、今度は隣の家の娘に手をつけてやがる。信じられねえ」
「俺の妹も屋敷に連れ込まれそうになったぞ。若い娘なら見境無しかよ」
あー……そういう感じの人? いるよな、仕事はまともなのに私生活が終わってる人。人間ってちょうどいいバランスで生きていくのが結構難しい。
俺は軽く咳払いをする。
「それならそれで代官の素行の悪さを陛下に訴えるのが筋だ。直轄領の領民からの訴えなら、陛下も無碍にはなさるまい」
「つってもなあ……王様がここに来ることなんかねえだろ?」
「だったら城まで使いを出せ。すぐそこだろ」
暴力は最後の手段だと思うんだが、最初の手段にする人が多いんだよな。これは貴族も平民も変わらない。法治が徹底されていないせいでもある。
俺は頭の中で法典をパラパラめくり、それから溜息をついた。
「村人側にも言い分があるのはわかった。それなら申し開きのしようもあるだろう。この件、俺に預からせてくれないか」
「ダメダメ、役人の若造なんかに任せられるか」
「そうだそうだ! お前も代官と同じようなもんだろうが!」
うーん、信用がない。王女付の紋章官といっても、村の代官と同じ「お上の人間」という点では同じようなものらしい。その気持ちはわかる。
俺は困ってフィオレ姫を見る。
「と、この者たちが申しております」
「ええい、結局私がどうにかせねばならんのであろうが!」
腕組みをしてフンと鼻を鳴らしたフィオレ姫だったが、出番が来てちょっと嬉しそうでもある。俺が活躍したんじゃ姫の手柄にならないもんな。
フィオレ姫は胸を張る。
「ではこの件、フィオレ王女が預かろう! 国王の実子たる私が取り持つのであれば文句はあるまい?」
嫌そうな顔をしている村人たち。
「でも国王の子って言っても女じゃなあ……」
「おまけに子供だし」
村人たちの不安はわかる。この世界はかなり男尊女卑の傾向が強いし、子供の権利なんてものも存在していない。
しかし姫はお怒りだ。
「だーっ! つべこべ抜かすでないわ! 自分たちがやらかしたことの重大さがわかっておらんのか!」
それを言うなら、姫もだいぶやらかしてるんだけどな。
心の中で溜息をついた俺は、不意にギョッとする。
気づいたらこんな状況になっているが、よく考えたらこれはまずい。
マルダー村の村人たちは代官を追い出して、国王に反逆している。
そしてフィオレ姫は王太子の言いつけに背いて、国王の直轄領で勝手なことをしている。
立場は違うが、どっちも王家に対する反逆という点では同じだ。
このままだとこの場にいる全員が重い罰を受けることになってしまう。もちろん俺も無事では済まないだろう。
それに気づいていないのか、フィオレ姫と村人たちは激しい口論を繰り広げている。
「このクソ平民どもめが!」
「あぁん!? 親の脛かじってるだけのガキが偉そうに!」
「そっちこそ父上の庇護がなければ、こんな村あっという間に滅びておるわ!」
あぁん、揉めないで反逆者ども。今それどころじゃないんだから。
俺はどうすべきか必死に考え、そして口を開く。
「揉めてる場合じゃありませんよ、姫。それとマルダー村の皆さん。双方とも、自分たちがどういう状況かわかってますか?」
俺の口調が強かったのか、微かに動揺する村人たちと姫。
「な、何だ急に? なあおい姫様、こいつどうしたんだ?」
「よくわからんが、こいつはときどきおかしいから私も怖いのだ」
おいこら、俺を悪者にするな。




