第6話
「フィオレ様が城を抜け出されたぞ!」
俺は大声で叫び、背後に従う小者たち二十人ほどに命じる。
「ただちに姫を連れ戻すのだ! 紋章官である私に続け!」
「は……はい」
「しょ、承知しました」
もう少しハキハキしゃべれよ。怪しまれるだろ。
俺は借り物の軍馬にまたがり、警杖と鉄兜で武装した小者たちをぞろぞろ連れて城を飛び出す。
「そんなに早く走らなくていいぞ。マルダー村に着くまでは体力を温存しておけ」
「あ、はい」
時刻は昼前。マルダー村までは徒歩で二時間ほどだろう。途中で昼食休憩でも挟むか。
そんなことを考えながら軍馬をカッポカッポ歩かせていると、後ろから乗用馬でついてくるメステスが声をかけてくる。
「いいのかい、こんな方法で?」
「他に方法がなかったんだ」
何をどうやっても外出許可が取れなかったので、フィオレ姫に軍馬で強行突破してもらった。我々はあくまでも「姫を連れ戻すための捜索隊」として出発する。
そのついでに一揆を鎮圧するようなこともあるかもしれない。知らんけど。
「護衛にカナティエ殿がついているし、まあ大丈夫だろ」
「彼女は女官だよ?」
呆れ顔のメステスに俺は説明してやる。
「あの子、たぶん俺よりもだいぶ強いぞ」
「そんな風には見えなかったけど……」
「少なくとも俺は、甲冑を着たまま補助なしで軍馬に飛び乗るなんてことはできないな」
それぐらいできないのかと言われると恥ずかしいが、前世でも今世でもそんな訓練は受けていない。農民出身の紋章官に武勇を求められても困る。
「他の所作を見ても武術の修練は相当に積んでいる。槍も弓も持ってるし、手勢の中じゃ最強なのは間違いないよ」
俺は帯剣してるが鎧は着ていないし、メステスに至っては完全な丸腰だ。
俺は馬をのんびり進めつつ続ける。
「マルダー村は平地にあるが、土塁と柵で守られているそうだ。そして年貢台帳の戸数は五十三。最低でも五十三人の納税者、つまり働き手がいることになる。実際には百人以上いるだろう。全員が農具で武装すれば、警杖の小者二十人で攻め落とすのは不可能だ」
そこまで言った後、俺は少し考えた。
一般的に砦や城を攻め落とすには、防御側の三倍の兵力が必要だと言われている。力押しが不可能なことはフィオレ姫も理解しているはずだ。あの子は軍学の素人ではない。
となると交渉での解決になるのだが、その交渉役を担うのが他ならぬ紋章官だ。つまり俺である。
「姫が紋章官の俺をどう使うつもりなのか、あるいは使わないつもりなのか、それが読めない」
「農民相手の交渉なら僕も少しは力になれるよ」
「ありがとう、頼りにさせてもらう」
正神官というのは小さな神殿なら神殿長、つまり住職になれる聖職者だ。大きな神殿だと何らかの役職を与えられることが多い。
問題はメステスの年齢では正神官に見えないことで、おそらく一般人は法衣の違いもわからないだろう。一階級下の助神官とは細かい部分で違うのだが、正直俺もよくわからない。
うーん、やっぱりフィオレ配下の幕僚が手薄だな。もっと増やさないと。
そんなことを考えていると、向こうからフィオレ姫が軍馬で駆けてきた。背後には完全武装のカナティエがピタリと馬を寄せている。
「これジュナン、さっさと追いつかぬか!」
「御自身が追われてる身だという自覚はありますか?」
「ええい、そのような建前などどうでも良いわ。早くマルダー村に行かねば日が暮れてしまうぞ。日が落ちた後では何をするにも埒があかぬ」
街灯のない世界だから日没後は真っ暗で、兵を率いての行動はかなり難しくなる。交渉するにしてもやりづらい。何より姫の身辺警護が大変だ。
姫は俺の軍馬をビシリと指差す。
「だいたい何なのだ、その樽と大袋は!」
「果実酒と黒パンですが」
「近くの村まで行くのに、そんな大層な兵糧は必要なかろう!?」
「心配しなくてもすぐになくなりますよ」
先が思いやられるな。
俺としては道中で日が暮れるぐらいの方がありがたかったのだが、主君直々の催促とあってはどうしようもない。
「今回の手勢は城勤めの小者たちで、行軍の訓練を受けておりません。あまり急がせると疲弊して動けなくなります」
「むう……それは気の毒であるな。仕方あるまい、おぬしの判断で適宜休息を取らせよ」
妙なところで優しい。
ついでなので姫のプランを聞いておく。
「現地に到着するのは日が西に傾いてからになります。どのように対処なさるおつもりですか?」
「出たとこ勝負に決まっておろう」
ダメだこいつ、早くなんとかしないと。
縛ってでも連れて帰ろうかと思ったとき、フィオレ姫がにっこり笑う。
「……と言いたいところではあるがの、まずは農民どもの申し開きを聞いてやるつもりだ。その上で王族として判断する」
とてもまともなことを言っているので、彼女が王族として判断することを許されていない身なのは忘れることにした。
いざとなったらふん縛ってでも連れて帰ろう。
そして二時間ほど行軍と小休止を繰り返して、俺たちはようやくマルダー村に到着した。時計がないので時刻がわからないが、日没まではまだ二時間ほどありそうだ。帰り大丈夫かな?
「おお、あれが反乱軍の牙城か!」
村の柵を見た瞬間にフィオレ姫が物騒なことを言い始めたので、俺は少し慌てる。
「反乱軍でも牙城でもありません。農民たちの集落です」
「ええい、気分が出ぬであろうが」
ぷんすか怒っているフィオレ姫と、その背後で力強くうなずいているカナティエ。あいつも問題児だ。
「姫様、まずはこのカナティエにお任せを。賊徒どもを蹴散らして参ります」
「おお、よいぞ」
よくねえよ。俺は割って入る。
「農民たちの申し開きはいつ聞くんですか?」
「そうだな、まずはそれが先決であろう。えーと……」
カナティエ、メステス、そして俺と、順番に見ていくフィオレ姫。
「まあよいか、私が直接聞いてくる」
「なんでそうなるんだよ!?」
びっくりしすぎて敬語忘れちゃった。
しかしフィオレ姫は気にする様子もなく、当然のように答える。
「こういうのはな、王族が直接聞いてやることに意味があるのだ。わからぬか?」
「わかるけどダメですよ!? そのまま捕まったらどうするんです!?」
フィオレ姫は十四歳だが、年齢の割にはかなり小柄だ。現代日本だったら小学生用の女児服がジャストサイズだろう。
「私は王族だぞ? 武芸にも覚えはある。農民ごときに負けると思うてか」
「たぶん負けますよ。農民を舐めないでください」
農作業で鍛えた農民たちは決して弱くない。農民たちは畑や家畜小屋を荒らす獣とも戦うし、場合によっては盗賊や他の農民とも戦う。
俺が農民の肩を持つので、フィオレ姫は不満そうだ。
「ええい、ならばおぬしもついて参れ」
「俺もですか?」
「おぬし、紋章官じゃろ。それに農民出身のおぬしならば、農民の考えも酌めるであろう」
「それは確かに」
ところどころに名君の片鱗が感じられるので、俺もつい期待してしまう。しょうがない、給料分は付き合うか。
「ではお供いたします」
「うむうむ」
俺がフィオレ姫と共に馬を進めると、カナティエもついてきた。
だが俺はそれを制止する。
「姫、カナティエ殿はここで待機してもらった方が良いかと」
「なぜですか!? 主君をお守りするのが武家に生まれた者の務めですよ!?」
心外そうなカナティエ。悪いけど君、トラブルを起こしそうで怖いんだよ。
しかしそれを言うと気の毒なので、俺は適当に言いくるめる。
「連れてきた小者たちの指揮をお任せしたいのです。紋章官の俺はそういうのは専門外なので、武家のカナティエ殿が適任でしょう」
「ふむ、それもそうであるな。カナ、任せたぞ」
「は、はい!」
よかった、喜んでる。
小者たちは警杖に寄りかかってぐでぐでしており、あんまり戦える雰囲気ではない。
道中で果実酒を飲ませすぎたかもしれないが、こうでもしないと士気が保てそうになかった。この人たち、年季奉公の平民だからな。
マルダー村の方は既に騒がしくなってきており、村の入り口付近には農具で武装した男たちが群がっている。士気には歴然の差があった。
「良い頃合いですな。参りましょうか、姫」
「そうだな。王族の威厳というものをおぬしにも見せてやろう」
自信たっぷりの様子で、フィオレ姫はニカッと笑った。




