第5話
メステスのフルネルソンから解放されたフィオレ姫は、肩や首を「あー痛い」とぐりぐり回してからクッションの山によじ登る。
「よいか、私の考えはこうだ」
「はい」
俺とメステスとカナティエが同時にうなずく。どんな考えがあるのか、傾聴させてもらおう。
「農民どもの反乱といえば、どうせ年貢のことに決まっておる。私は王女ゆえ、多少なら父上に進言もできよう。そう言えば農民どもも私の話を聞く気になるであろう」
「ふむふむ」
「そう言って油断させてバーン! 皆殺しだ!」
クッションを殴る姫。
顔を見合わせる俺とメステス。
「聞いたか?」
「聞くだけ時間の無駄だったね。お茶にしないかい?」
スルーされて怒る姫。
「こら待て! 今の作戦のどこに不備があるというのだ!」
「不備しかありませんよ、姫」
俺が言うより早く、メステスが呆れた顔で答える。
「まず姫には手勢がいませんから、『バーン!』できません」
「むう」
「それと農民相手に嘘をつくなんて王族の恥ですよね?」
「むむう」
「そもそも農民を皆殺しにしたら誰が年貢を納めるんです? 姫ですか?」
「むーむむー」
変なうなり声だな。
完全に沈黙した姫を見て、俺はフッと笑う。
「ですが、功を焦るお気持ちはわかります。俺としても主君の発言力は強い方がありがたいですしね」
「なんじゃ、もったいをつけおって……その口ぶりだと、何かしてくれるのか?」
期待するようなまなざしを正面から受け止めて、俺はしっかりうなずく。
「はい。まずは詳しい情報を集めてきましょう。策を講じるにはまず、正しい情報を多く集めるところからです」
「それは確かにそうであるな。兵法の基本であった。いかんいかん」
ぺちんとおでこを叩き、おっさんみたいな仕草で笑う姫。可愛いんだか可愛くないんだかわからないが、ちょっと可愛い気がする。
俺は情報収集のために立ち上がり、カナティエとメステスに他の仕事を頼む。
「カナティエ殿、姫の命令で動かせそうな兵や武具を調べておいてください」
「承知つかまつりました」
「メステスは姫を見張っておいてくれ。多少手荒なことをしても構わない」
「君の頼みなら喜んで」
二人がうなずくが、姫は不満そうだ。
「なんで私が厄介者みたいな扱いになっておるのだ」
「今はまだ姫の出番ではありません。ここは臣下にお任せを」
俺はそう言って廊下に出つつ、さて誰に聞こうかと思案を巡らせた。
「反乱が起きた村がわかりました、この王城のすぐ近くにあるマルダー村です」
戻った俺は姫に報告する。
「年貢台帳に登録されているのは五十三戸。兵役の割り当ては三人ですので、成人男性は六十人ほど。人口は二百から三百といったところでしょう」
農村の働き手はほぼ全て農民なので、兵役で引き抜いた分だけ農業生産……つまり年貢が減る。そのため兵役の割り当て数には上限があり、それを見れば労働人口はおおよそ把握できた。
ほほうという顔をしているのはカナティエだ。
「そんなことまでわかるのですか」
意外にもフィオレ姫は当然のような顔をして嘆息している。
「カナよ、それぐらいは覚えておけ。おぬし、兵法以外の知識が抜け落ちておるぞ」
「も、申し訳ありません」
平伏する自称女騎士を尻目に、俺は報告を続ける。
「マルダー村の代官はヘッツァー家の者が務めています」
「ああ、譜代の騎士だな。ユナトの端っこの村落を所領としている家だ」
「ええ、ですからマルダー村の代官には当主ではなく一門衆が任命されています。申し上げるまでもありませんが、マルダー村はシュテンファーレン家の直轄領ですから」
国王のお膝元の直轄領で代官を任されるのは、王家からの信頼の証でもある。そういう政治事情も無視する訳にはいかなかった。
「なんだか面倒くさそうだね」
メステスが眉をひそめるが、カナティエは不思議そうに首を傾げていた。王城勤めの女官なら、もう少し政治のことも理解してほしいな……。
俺は説明を続ける。
「直轄領であるマルダー村の住人たちが、譜代の家臣であるヘッツァー家の代官を追い出しています。事後処理の政治性を考えると、王命を受けていない姫が下手に首を突っ込むと後々まずいことになるでしょう」
するとフィオレ姫は重々しくうなずく。
「うむ。このままにはしておけぬが、さりとてヘッツァー家の家名に泥を塗る訳にもいかぬ。君主たる父上の采配なくしては解決できぬであろうな」
よかった、ちゃんと話が通じるぞ。
と思っていたら、フィオレ姫がとんでもないことを言い出した。
「であるからこそ、私が解決すれば皆も私を認めるであろう! そういうことだな!?」
「そういうことではないです」
どうしよう、頭痛がしてきた。
しかし姫はやる気まんまんといった様子で、クッションの山から勢いよく立ち上がる。
「カナが手勢を整えてくれた! 暇な小者たちを二十人ほど掻き集めてきてくれたのだ! よくやった!」
「恐悦至極にございます」
恭しく頭を下げるカナティエ。何やってんだよ、止めろよ。
この異世界でも武家の使用人には明確な序列があり、「小者」は最下級の雑用係だ。帯剣も許されていないし、戦闘訓練も受けていない。
兵士として戦える連中はもっと格上の「郎党」になるが、彼らは最下級とはいえ士分だ。姫の命令なんか聞かないだろう。
あまりにも貧弱な兵力に、俺は思わず額を押さえる。
「小者を二十人ぽっち集めてどうしようというのです」
「さすがに私とおぬしたちだけでは説得力がないからな! 適当に並ばせておくための数合わせだ!」
さすがに戦わせる気はないようで安心した。いや安心してる場合じゃない。
メステスが心配そうに俺を見る。
「かなりまずいよ、どうするつもりだい?」
「どうもこうも……」
小者たちは軍の指揮系統に組み込まれていないので、逆に扱いづらい。紋章官の俺が解散しろと命令したら、小者たちは姫と俺との間で板挟みになる。それは気の毒だ。
俺は目を閉じて少し考えた後、カナティエに尋ねる。
「小者たちの武装は?」
「警杖と鉄兜だけです」
身長ほどの丈夫な棒と、鉄製のヘルメットか。狼藉者を取り押さえるために城に常備してあり、誰でも使って良いことになっている。少々……いやかなり頼りないが、下手にクロスボウだの長槍だのを持ち出すよりは穏当だろう。
俺は腹をくくった。
「これ以上引き留めてもどうせ行かれるでしょうから、こうなったら仕方ありません。俺もお供します。城を出るための手続きは俺が何とかしますので、俺の言うことは聞いてください」
「うむ!」
満足げにうなずくフィオレ姫。
ただし俺は釘を刺しておくことを忘れなかった。
「ですがこの四人の中で戦場に立つことを許されているのは、紋章官である俺一人だということは決してお忘れなきよう」
「う、うむ!」
「俺が危険だと判断した場合は即座に撤退してもらいます。良いですね?」
「まあ仕方あるまい。そのための紋章官であるからな」
割と素直にうなずいて、フィオレ姫は拳を突き上げる。
「では不埒者どもを成敗しに参るぞ!」
「成敗しちゃダメですって」
本当に大丈夫かな……。




