第42話
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サイダル王ハンデスは真っ青な顔で報告を聞いていた。
「ユナト軍が渡河してきただと!? どこからだ!?」
「ドゥエ郡の辺りで目撃情報があり、そこから西進している模様です。在郷の郷士などから複数の通報があり、一部は確認が取れました」
上奏しているのは近衛騎士団の高官だ。彼の言葉は事実である。
サイダル王は慌てたように問う。
「で、迎撃はどうなっておる? 郷士たちは迎え撃っておるのか?」
「さすがにそれは無理でございましょう。あの辺りは小さな集落ばかりで、農民兵を掻き集めても百人にも満たない寡兵にしかなりません。一瞬で蹴散らされて終わりですので……」
集落にユナト兵がなだれ込んでくれば別だが、そうでもないのなら命懸けで迎え撃つ理由がない。
サイダル王は額に手をやる。
「それで、敵方の旗印は?」
「フィオレ王女の紋章に加え、シドール家当主と息子たちの紋章を確認しております」
「シドール……? 確か、スティルグを討ったのがシドール家の者だったな」
「はい、シドール家当主の娘だとか」
高官の言葉にサイダル王は険しい表情になる。
「フィオレ王女が信頼できる家臣を率いて乗り込んできたということか。ならば本気と見てよかろう」
そしてサイダル王は嘆息する。
「ええい、こんなことならルマンデのときの後詰めをそのまま駐留させておくのであった」
近衛の高官は無言だが、内心では失望していた。
兵を駐留させたところで、別の地点から渡河してくるだけだ。手薄な場所が必ずどこかにできる以上、そんなことを悔いても意味がない。
だがもちろん言わない。それが出世の秘訣だ。
サイダル王は息を整え、それからキッと表情を引き締める。
「その辺りの領主たちに兵を集めさせても到底間に合わぬ。急いで迎撃に良き場所を見定めねばなるまい」
王都に報が届くまでの時間で、ユナト軍はさらに進軍している。それから早馬で領主たちに兵を準備させても、ユナト軍はとっくに通過した後だ。それが無意味なことぐらい、サイダル王も承知していた。
「とりあえず王都周辺の領主たちに陣触れを出せ。ドゥエから西進してくる以上、王都への急襲を目論んでいるかもしれぬ。王都の守りは固めておくのだ」
「ははっ」
近衛騎士団の高官は恭しく一礼した。
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「父上たちは大丈夫でしょうか……」
カナティエが馬上でそんなことを言うので、俺は苦笑する。
「騎兵ばかり百騎余りでの進軍ですから、進むも退くも自由自在のはずですよ。それに途中で方向転換して、本隊に合流する手はずになっていますから」
ユナト軍が王都への急襲を狙っていると思わせるため、囮の騎兵たちを西に向かわせている。俺たち本隊はリュジオン河に沿って南下していた。
俺の言葉にカナティエが首を横に振る。
「いえ。安否ではなく、張り切りすぎて無茶をしないかと心配で……」
「そっちですか」
言われてみれば、それは確かにありそうだ。当主や嫡男が大した武功を立てていないのに、娘が敵の総大将を討ち取っちゃったからな。それもサイダル屈指の名門、ガソー家の当主をだ。
おかげでシドール家の皆さんは大変に意気軒昂で、危険極まりない囮の任務も二つ返事で引き受けてくれた。扱いやすくて助かる。
俺は馬上でカッポカッポ揺られながら、こう答える。
「危険な任務なので心配なのはわかりますが、どうしても誰かにやってもらわないといけませんから。行軍中の本隊が敵に攻撃されれば、姫も俺たちも一網打尽です」
無事に渡河を終えた俺たちだが、依然として危険な状態であることに代わりはない。補給地点もなく、籠城できる拠点もない。
敵地に攻め込んだのはいいが、実は今は絶対に戦いたくない状態だ。
軍隊というのは攻撃目標などをきちんと計画し、適切な編成と隊列で統制されていなければ本来の強さを発揮できない。
行軍中はまともに戦える状態じゃないし、そもそも俺たちの作戦計画にここで戦う予定は組み込まれていないのだ。
だから今は絶対に戦いたくない。
移動に時間をかければかけるほど、行軍中に敵の攻撃を受ける可能性は高くなる。時間が経てば経つほど、敵の反撃態勢が整うからだ。
それと、もうひとつ理由がある。
「それにサイダル東端の城塞都市テルダムを包囲し、陸路を途絶させるのが我々の任務です。早く包囲すればするほど、攻略の成功率も高くなります」
「ええ、だからこそ囮と本隊を分ける必要があったというのもわかってはいます」
カナティエはうなずき、にこりと笑った。
「ただ囮では武功は立てづらいでしょうから、早く合流して一緒に戦いたいなと思いまして」
「ああ、そういうことですか……」
骨の髄まで武人なんだな。生粋の戦士だ。
心配して損したが、それとは別の心配があった。
「テルダムの領主はグロティウス家。由緒正しい譜代の一門なので、なかなか手強いと思いますよ」
「望むところです! 強敵であればあるほど、武功になりますから!」
俺は敵が弱い方が嬉しいなあ……。
幸いにして俺たちは敵の追撃を受けることなく、無事に沿岸部まで南下できた。道中ではどこの村にも立ち寄らず、城などにも近づかなかったせいだ。
途中何度か領主の手勢らしい軍隊を見かけたが、手出ししてくることはなかった。こちらの数が圧倒的で、最初から勝負にならないのが目に見えていたからだろう。
とにかく無事に目的地に着いたので、俺はホッとしている。
「ぎゃあっ!」
ズーンという地響きが鳴り響き、どこかで誰かが悲鳴をあげている。
あんまりホッとしてる場合じゃなかったな。
「やかましいな、これでは軍議もできぬ」
張ったばかりの天幕で堂々とふんぞり返りながら、姫がぼやいている。
「姫、ここも大砲の射程圏内だというのはお忘れなく」
「そうそう当たるものではないわ」
だといいんだけど。
サイダル東端の城塞都市、テルダム。
リュジオン河の河口近くにあり、河川交通の中継地として栄えている。河を下ってきた積み荷はここで帆船に積み替えられるのだ。
古びた城壁に囲まれた港町で、町の規模としてはそれほどでもない。しかしここを失えばリュジオン河の支配権を喪いかねないので、サイダル王国にとっては極めて重要な都市だ。
この町を治めるグロティウス家も、港の防備には力を入れている。
なお偶然だが、グロティウスという名前は前世でも見た記憶がある。国際法の父と呼ばれるオランダの学者だ。大学の講義で習った。
なんとなく興味を惹かれるところだが、今は敵だ。
そしてこのグロティウス家の軍勢は、港を囲む城壁から大砲をドカドカ撃ちまくってくる。
おかげでこちらは包囲初日から手痛い打撃を受けていた。
前線の部隊から伝令が駆け込んでくる。
「フィオレ殿下、敵の砲撃によって死傷者が増えております!」
「ええい、囲んでおるだけで勝手に死ぬな!」
そうは言うけど、大砲が当たれば普通の人は死ぬよ。
望遠鏡で眺めた感じ、港町を囲む城壁には砲台がいくつもある。比較的小さな大砲ばかりだから、おそらく艦砲の流用だろう。港町ならではの光景だ。
小さいといっても大砲だから、砲弾が当たれば大抵のものはぶっ壊れる。人間に当たれば数人まとめて死ぬ。
ただし命中率は大したことがないので、適度に分散配置していれば大した脅威ではなかった。こちらの世界ではまだ榴弾が発明されておらず、ぶどう弾と呼ばれる大粒の散弾しか撃ってこないせいだ。
とはいえ、怖いものは怖い。
ドーンと砲声が轟き、少し遅れて俺たちの近くの草むらに何かがバチバチと着弾する。ぶどう弾だろう。
榴弾だったら俺たちは全滅していたかもしれない。よかったよかった。いや、良くはないな。
「ええい、城門から討って出る様子はないのか?」
「ありません。大砲とマスケット銃で盛んに撃ちかけてくるだけです」
伝令の言葉に姫は俺の方を振り向いた。
「ジュナンよ、おぬしはどう見る?」
「おそらく陸上戦力が乏しいのでしょう。弓兵がいれば矢も射かけてくるはずですが、大砲とマスケット銃だけです。大砲は船乗りなら扱える者が多いですし、マスケット銃は素人でも撃てますから」
俺がそう言うと、姫は軽くうなずく。
「私と同じ見立てか。では討って出てくる可能性は低いとみてよいな」
「そうですね。籠城して銃と大砲で反撃するのが一番手堅いでしょうし」
もちろん騙したり騙されたりが戦争の常だから、もしかすると大量の兵士が駐屯しているかもしれない。
だが全部の可能性を考慮していたら何もできない。これも戦争の常だった。
「テルダムに通じる街道はカナティエ殿が封鎖しています。これで一応、国王陛下の命令通りに包囲はできていると言えるでしょう」
「ではまあ、このまま包囲しておけば良いか」
姫がそう言ったとき、また伝令が駆け込んでくる。
「糧秣の馬車に大砲が直撃しました! 被害状況は確認中です!」
「だーっ! チクチクチクチクと鬱陶しい!」
姫は頭を掻きむしり、折りたたみテーブルをバンバン叩いた。




