第4話
「さて、まずどこから手をつけたものか……」
俺は王城の渡り廊下を歩きながら、思わず独り言をつぶやく。
姫は周辺の国家を全て屈服させ、万舟湾の完全な支配権を獲得するつもりだ。
それはいいのだが、ユナト王国の全軍を借りても軍事力だけでは難しいだろう。外交力も必要になる。
何よりも姫には外交も内政も軍事も権限がない。直属の親衛隊すらいないのだ。国王の近衛兵たちを借りるぐらいが関の山だろうが、当然ながら彼らは国王の命令にしか従わない。
「野望が遠大なのはいいんだけど、手札がすっからかんじゃどうしようもないだろ……」
俺が溜息をつくと、背後から声をかけられた。
「そなた、フィオレの紋章官であろう?」
慌てて振り返ると、凜々しいイケメンが静かに立っていた。背後に近侍たちが従っている。
「これは王太子殿下……。はい、左様でございます」
ウルリス・シュテンファーレン。国王オルバの長子にして、王位継承権第一位。この国の王太子殿下だ。穏やかな気性で知られ、秀才と名高い。
オルバ王の年齢を考えると俺はウルリス殿下の治世も生きることになるはずなので、この人に疎まれると少々まずい。
俺が恭しく一礼すると、ウルリス殿下は穏やかに言う。
「ちょうど良い。そなた、フィオレの所在を知らぬか?」
「今は講堂で神学の講義を受けておられると思います」
実際にはフィオレ姫は兵法書を読みふけっており、神学教官であるメステスと王都防衛について雑談しているだけだ。俺は飽きたので気晴らしに散歩している。
だがそれを報告する義務はない。
ウルリス殿下は小さくうなずく。
「そうか。講義の邪魔をしても悪いな。ではそなたから伝えてくれぬか?」
「はい、何なりと」
フィオレ姫のためにも、ここは媚びておかないとな。国王と王太子の両方から信頼されていなければ、姫が外交や軍事で実績を作ることは不可能だ。
するとウルリス殿下はとんでもないことを言い出した。
「領内にて農民たちが小規模な一揆を起こし、父上が任じた代官を追い出してしまった。事態が解決するまで、フィオレには城内に留まるよう伝えてくれ」
「承知いたしました」
農民一揆? 穏やかじゃないな。
ウルリス殿下は続ける。
「あいにくと父上は領内の視察中なので、報告のために早馬を立てた。父上がお戻りになるまでの辛抱だ。そなたもフィオレを支えてやってくれ」
「はい、このジュナンにお任せを」
さりげなく名前を売り込んでおこう。
ウルリス殿下はうなずき、近侍を引き連れて去っていく。国王の名代としてやるべきことが多いのだろう。あの人も大変だな。
それにしても気になる話だ。
俺はポケットからメモ帳を取り出す。今日は特に予定がないし、普段通りにしているだけでいいだろう。
報告のために姫の部屋に戻ると、女官のカナティエが論戦に巻き込まれていた。
「いえ、奇襲が成功しても後が続かなければ勝てません。メステス殿の仰る通りです」
「おぬし、主君に刃向かうつもりか?」
「そうではございません。君主の威によって軍学の道理が曲がる訳ではございません。主命といえども従えぬ場合がございます」
ぷんすか怒っているちっこいフィオレ姫と、まるで取り合わない様子のカナティエ。スーパーの食玩売り場にいる母娘みたいだ。
そして笑い転げているメステス。
「ほらね? 殿下はなんにもわかっちゃいないんですよ? 奇襲奇策に頼るのは兵法の初心者。カナティエさんは武家の出だから、ちゃんとわかってるんです」
言ってることは正しいけど、あの煽り気味の笑い方めっちゃムカつくな……。故郷の村ですぐ殴られていたのも納得できる。
俺は幼なじみを殴るようなことはせず、代わりに背中をぽすぽす叩く。
「それぐらいにしておけ。姫はまだ十四歳だ」
「それもそうだね。少し言い過ぎたよ」
あっさりと非を認めるメステスだが、彼にはこういう素直さもある。というか、この素直さがなければ俺だって付き合いきれない。
メステスは一転して口調を和らげ、フィオレ姫を諭す。
「まずは正攻法ですよ。最も効果的で最も確実なのが正攻法なんです。奇策だの搦め手だのは、正攻法を使いこなせる者にしか使えません。兵法に限らず、学問や交渉事もそうですよ」
「むう、左様か……」
フィオレ姫もなんだかんだで素直ではあるので、自分の間違いを認めたようだ。この二人の間に立つのは大変だな。
うむうむとうなずいた後、フィオレ姫がこちらを向く。
「して、何か報告があるのであろう?」
「よくわかりますね」
「私との同席を面倒くさがって逃げ出したヤツが、いそいそと戻ってきたのだ。何かあるに決まっておる」
こういうところが意外と鋭いんだよな。だからちょっとだけ期待もしてしまう。
「領内で農民の反乱が発生しました。国王陛下がお戻りになるまで城を出ぬようにと、ウルリス王太子殿下より仰せつかっております」
「ほほう、農民の反乱とな!」
椅子を蹴って立ち上がるフィオレ姫。
おい待て、何か良くないことを考えてるだろ。そのキラキラした目はなんだ。
「では私が鎮圧……」
「国王陛下がお戻りになるまで城を出ぬようにと、ウルリス王太子殿下より仰せつかっております」
同じことを一言一句そのまま繰り返して、俺はじわりと圧をかける。
ここで姫が飛び出していったら、結果がどうなろうとも俺が王太子に怒られる。怒られるだけで済んだらまだいい方で、この時代では冗談抜きで首が飛びかねない。
「メステス、姫を押さえてくれ」
「戒律上、女人には触れたくないんだけど……」
そう言いながら物凄い速さでフィオレ姫にフルネルソンをかけてるお前は何なんだ。しかも手加減も何もない。
「こういうのは本意ではないのですが、ジュナンの頼みは断らないことにしているんです」
「あだだだだだ!?」
おい待て、相手は子供だぞ。子供扱いすると怒るから言えないけど。
さすがにカナティエが黙って見ておらず、割り込んでくる。
「神官殿、姫に対する無礼は許しませんよ!」
そのカナティエにさらに割り込む形で、俺も割って入る。
「いやいや、カナティエさんも姫を止めてください。王太子殿下の御命令ですよ!?」
「それはそうかもしれませんが、私は姫様の近衛騎士……のつもりの女官なのです!」
つもりってなんだ、つもりって。役職で張り合っていいのなら、俺なんて正式な王室紋章官だぞ。
俺は背筋を伸ばし、少し改まった言葉遣いでカナティエとフィオレ姫に告げる。
「いいですか、我々はフィオレ殿下の御身を守るのが第一の責務です。殿下御自身の御意志に背くことになろうとも、この第一の責務を放棄する訳には参りません」
「とかなんとか言って、兄上に叱られるのが怖いだけであろうが」
もがもがとあがきながらフィオレ姫が反論する。そうだよ?
「それはまあ怖いです。せっかく王室紋章官になったんですから、老後の心配がなくなるぐらいは稼ぎたいですね」
「ええい、そんなもん私に任せておけばよかろう。ここで農民どもの反乱を鎮圧し、我が名を領内に轟かせるのだ。そうすれば父上も兄上も私を認めざるをえなくなる」
メステスにフルネルソンを極められたまま、ギラついたまなざしで俺を見上げてくるフィオレ姫。どうしてもやりたいようだ。
俺は少し考える。
「失敗しても俺たちの責任になりませんか?」
「どこまで卑怯な男なのだ……ええい、そこは私が父上と兄上に取りなす! たぶん大丈夫であろう。二人とも私には甘いからな!」
そのせいでこんなおてんば姫になっちゃって……。俺は心の中でそっと父兄に同情する。
「わかりました、では具体的にどうするか聞いてから判断します」
「さっきからなんでおぬしはそんなに偉そうなのだ!?」
「主君を諌めるのも家臣の義務ですので……」




