第38話
こうしてサイダル攻めの準備が密かに始まった。
リュジオン河上流にあるティゲル城では、兵糧を集積して戦支度に見せかける。
「叔父上の城では空っぽの木箱を積んだ馬車が続々とやってきては、木箱を畳んでそのまま帰っていくそうだ」
姫が苦笑し、王弟オルフィンから届いた書状を俺に見せる。万が一に備えて文面には符牒が使われており、一見すると時候の挨拶文でしかない。
「符牒の解読が間違っていなければ、対岸のサイダル軍も警戒を強めているようだね。うまく騙されてくれるといいんだけど」
連絡要員のメステスが書状を読み、少し不安そうに言う。
カナティエがうなずく。
「こちらの作戦が筒抜けになってしまうと、渡河中に攻撃を受けるかもしれませんからね。舟の上では矢や弾を防ぐのは難しいですから、かなりの損害が出てしまいます」
そこんとこも心配なんだよな。ルマンデでは先日激しい戦闘があったばかりだし、敵も警戒しているはずだ。
しかし姫は特に気にする様子もなく、手をひらひら振る。
「ああ、それなら心配あるまい。敵は『ユナトはルマンデで守りを固め、ティゲルから攻め込んでくる』と思い込んでおるはずだ」
なんでそんな自信たっぷりなの? 何が見えてるの?
よくわからないが、姫がそう言うならそうなんだろう。俺には何がなんだかさっぱりわからないが、わからないのだから異論も挟めない。
一応、釘だけは刺しておくか。
「油断は禁物ですよ。兵の命を預かる以上、無駄死にはさせられません」
「おぬしも心配性だな。まあよい、私とて兵の命は惜しい。先遣隊に対岸の安全を確保させてから本隊を渡河させる。それでよかろう?」
どのみち渡河作戦は必須だから、それでよしとするしかないか。不安だけど。
姫はポンと手を叩く。
「ところでルマンデ城に兵糧は運び込んでいるのか? こちらは実際に攻め込むゆえ、兵糧が足りぬのは困るぞ。敵地とはいえ、あまり収奪すると後々面倒だからな」
「建築資材に紛れ込ませる形で搬入していますので、御安心ください。敵地で恨みを買うと農民たちが襲ってきますからね。敵地と言っても、占領すればユナト領になる訳ですし」
「うむ、まさか根絶やしにする訳にもいかぬからな。今回は略奪を禁ずるゆえ、その分だけ兵糧は多めに手配せよ」
「はい」
兵士たちは略奪する気まんまんだから、略奪禁止の布令を出すのも神経を使う。
とはいえ、現地民の恨みは怖い。それに略奪に夢中になれば警戒が疎かになる。一筋縄ではいかないのが戦争だ。
メステスが静かに言う。
「その辺りの采配は、将としての力量を試されるだろうね。姫、くれぐれも軽率な判断は謹んでくださいよ」
「それゆえ、こうして策を講じておるのだ。おぬし、ちとくどいぞ」
くどくど念を押されるので機嫌が悪くなったのか、姫が頬をふくらませている。あの癖もやめさせないとな。可愛いけど。
こうやって心配し始めるとキリがないな。
せめて敵が今何を考えているのか、わかればいいんだけど。
* *
「よく無事に戻ってきたな、コンベクスよ。捕虜生活の割には肌つやも良さそうではないか」
サイダル王ヒュレー・セバンドッセルは髭の先をひねりつつ、玉座の上からコンベクスを見下している。
コンベクスは微かに緊張しつつも、深々と頭を下げた。
「主将たるスティルグ殿を失い、おめおめと副将の私だけ戻りました。面目次第もございませぬ」
「よいよい。スティルグを失ったのは痛手だが、ガソー家はアングに継がせた上で加増してやったのでな」
(順当に嫡男のアングに決まったか。従順なだけの無能な男だが、反骨心旺盛なスティルグ殿よりも扱いやすい駒だろう。何もかも陛下の思い通り、ということか)
コンベクスは王の意図を察し、何も言わずに頭を下げる。敗将としてここにいる以上、迂闊な言動は命取りだ。何かあればハンマネル公、つまり兄に迷惑がかかる。
王は陰鬱な笑みを浮かべる。
「こたびの侵攻、そなたに責はあるまい。人事を尽くしても勝てぬことはあろう」
「寛大な御言葉、感激に耐えませぬ」
処罰される流れではなさそうなので、コンベクスは従容とした態度でうなずく。ハンマネル家の安寧を守ることが公弟たる自分の役目だからだ。
「余はそなたが誠実に軍務を果たしたと考えておる。その上で、野戦築城の専門家たるそなたに質問したい」
「なんなりと」
コンベクスは再び緊張する。まだハンマネル家の処遇が安堵と決まった訳ではない。
「ルマンデからの敵の反撃はありうるか?」
王の問いにコンベクスは眉をぴくりと動かした。瞬間的に思考をフル回転させる。
(陛下は俺をお試しになっている。うまく答えねば職務怠慢と咎められよう。だが単なる「正解」では、思いもかけぬ不興を買うやもしれん。さあ、どう答える?)
迷っている猶予はない。
コンベクスは平静を装いつつ、淡々と答える。
「それがしは野戦築城以外はからきしですので、その観点からのみお答えいたします。ルマンデは守りにくく攻めにくい場所ですので、ユナト側からの侵攻には不向きでしょう。可能性は低いと思われます」
「ほう、そうか」
王はうなずき、視線で続きを促してくる。説明を求められているのだ。
コンベクスは続ける。
「ルマンデは湾曲する河に囲まれた凸部で、増水によって水没しやすい地形になっております。橋頭堡を築くだけなら問題ありませんが、恒久的な建造物を建てるとなると一苦労です」
「ふむ、地形か……」
「はい。現にあの渡し場にある船宿には、地元の者たちは住んでおりません。彼らの集落は少し離れた高台にあり、そちらは増水しても水没しないのです」
梅雨が存在しないこの地方では、河川の氾濫はそう多くない。
しかし、春先の雪解け水と大雨が重なると氾濫が起きる。家や畑を作るには不向きだ。
コンベクスはそれを説明した上で、こう説いた。
「したがってユナト側が築城するには、護岸や盛り土などの大規模な工事が不可欠となりましょう。帰国の際にユナト側の築城工事を見ましたが、まだ準備段階でした。どれだけ急いでも十年以上かかると見てよろしいかと」
「それだけ時間のかかる工事をしているということは、腰を据えて築城するつもり……ということか。なるほど、ルマンデ周辺のユナト軍は守りに徹する構えとみてよいな」
「ははっ。陛下の御慧眼、誠に恐れ入りましてございます」
築城の専門家であるコンベクスは、まさかユナトの王女が単なる集積所を作っているとは思ってもいない。
何より「王女が軍勢を率いて敵地に乗り込んでくる」というのが、この世界の常識からあまりにもかけ離れていた。前世の記憶を持っている人間を探すほうが、まだ現実味があるだろう。
「ところで総大将たるスティルグの働きぶりは如何であったか。そなたの任務に支障をきたすようなことがあれば申すがよい」
(おっと……)
コンベクスは再び緊張する。
(陛下は扱いにくいスティルグ殿を合法的に排除した。だが臣下を戦死させた責は負わねばならぬ。それゆえ、スティルグ殿に怠慢があったという報告が欲しいのだろう)
コンベクスは瞬時にそこまで考え、結論をくだす。
(陛下の期待通りに讒言しておかねば、俺が不興を買うのは明白だ。最悪の場合はハンマネル家が責めを負うかもしれん)
そう考えたとき、亡きスティルグの面影が脳裏をよぎった。
コンベクスは平伏し、恭しく奏上する。
「申し訳ございません。工兵隊の指揮で常に最前線に出ておりましたので、スティルグ殿の働きぶりについてはわかりませぬ」
「……ふむ、そうか。そうであろうな」
王は落ち着いた様子で髭をひねりつつ、鷹揚にうなずいた。
「よかろう。コンベクスよ、ハンマネル公の名代として御苦労であった。ひとまず帰郷して疲れを癒やすがよい」
(しまった……)
王が「ひとまず」と言ったのは、まだ処分を決めていないことを暗に匂わせている。コンベクスの立場が兄の名代であることに言及したのは、累がハンマネル家に及ぶ可能性を示唆しているのだろう。
(後日、いちゃもんをつけられる可能性を残してしまった。失敗だ)
今となってはどうしようもない。コンベクスは深々と頭を下げる。
「ありがたき仰せにて」
だがコンベクスの胸の内は、不思議と晴れ渡っていた。
(戦友の讒言など、武人のすることではない。そうであろう、スティルグ殿?)
戦場に散った男の顔を思い浮かべ、コンベクスはそっと目を閉じた。
* *




