第37話
国王の沙汰を持ち帰ると、姫は案の定とても喜んだ。
「そうか、父上はサイダル攻めをお許しになったか! でかした!」
「手を握って振り回さないでください。肩が痛いです」
俺の手を取ってぐるぐる周り始めた姫を制して、俺は渋い顔をする。
持ち帰った書状を複写していたメステスが、ペンを持つ手を止めて顔を上げた。
「ここからが大変だからね? 姫は言い出しっぺですから、楽ができるとは思わない方がいいですよ?」
「当然であろう! 誰よりも働き、サイダル攻めで武功を立ててみせようぞ!」
胸を張って反り返っているちっこい姫君を見下ろし、俺は溜息をつく。
「姫の陣営には文官も武官もまるで足りていませんので、不足分はどこかから借りてくることになると思います。くれぐれも粗相のないよう気をつけてください」
「おぬしらは私をなんだと思っているのだ?」
戦争大好きなちびっ子かな……。もうちょっとおとなしくしててほしい。俺は働かずに給料を貰いたいんだ。
「して、具体的には父上はどのように攻めるおつもりなのだ?」
「各分野の専門家を集めて検討するので、しばし待つようにとの御命令でした。ただ、我々はルマンデ城からリュジオン河を渡って陸路で攻め込むことになりそうです」
「では兵糧の手配をせねばな。兵はどれほど借りられそうなのだ?」
「それもまだ不明ですが、千か二千も借りられたら上出来ではないでしょうか」
ユナトには前世の戦国大名ぐらいの国力があるのだが、産業革命以前の世界だから人口密度が低すぎる。根こそぎ総動員しても兵力はたぶん二万か三万ぐらい。遠征可能な兵力は一万ぐらいだろう。
そう考えると、姫に預けられる兵力は限られてくる。
案の定、姫は不満そうだ。
「それっぽっちでは城攻めもままならんぞ」
「ですが姫、千人の兵士の衣食住を担保しなければならないのですよ? 兵士の負傷は当たり前ですから治療もしてやらねばなりませんし、士気が下がらないように人心掌握にも務めなければなりません」
兵士だって人間だし、大半は動員された農民だから戦争は他人事だ。彼らは略奪目的や賦役で従軍する。
彼らを統率する郷士や騎士にしたって、加増や昇進が目当てだ。
そしてその上の諸侯も、政治的な思惑で動いている。
「姫だけが意気軒昂でも戦には勝てませんので、そこはお忘れなきよう」
「わかっておる。まったく小煩い紋章官よ」
ほっぺを膨らませて拗ねた姫は、やがて小さく溜息をついた。
「まあよい。おぬしの言葉は胸に刺さる。士気や人心掌握についてはおぬしに相応の権限を与えるゆえ、必要とあらば私に進言せよ」
「承知いたしました」
俺が恭しく一礼すると、メステスがおかしそうに笑う。
「姫はジュナンの言うことには素直なんですね」
「私自身が選んだ紋章官を信任するのは当然であろう」
姫は腕組みしてメステスを睨むが、ふと表情を和らげる。
「心配せずとも、おぬしのことも信頼しておる。おぬしの忠義に報いるためにも、ジュナンは私の筆頭家臣として大切に扱う。安堵するがよいぞ」
メステスは驚いた表情を浮かべ、それから視線を書類に落とす。
「別にそんな心配はしていませんよ。調子が狂いますね」
俺はメステスとは十数年の付き合いだからわかるが、あれは照れているな。
「姫の人心掌握術もなかなかのものだとは思わないか、メステス?」
「僕には何とも言えな……あっ、書き損じた」
渋い顔をしているメステスを見て、俺と姫はクスクス笑い合った。
少しずつだが姫も成長しているようだ。
* *
「いえ、私はそうは思いません」
王太子ウルリスは首を横に振った。心なしか顔色が悪い。
「フィオレに先鋒を務めさせるなど危険すぎます。あの子はまだ十四歳ですよ」
しかし国王オルバは豪快に笑い飛ばす。
「わしが初陣を果たしたのは十二のときで、初めてサイダルの騎士を打ち負かしたのは十五のときだ。そう考えれば歳は関係あるまい」
そう言いながら、オルバは息子の顔を見る。
「どちらかと言えば、女であることの方が気がかりなのだろう?」
「それもあります。敵地に姫が進軍するなど前代未聞ですよ。前例がありません」
「この世で初めて騎馬で戦場に立った者も、前代未聞と言われたであろう。前例がないことは慎重にせねばならぬが、決してやってはならんという訳でもない」
オルバは真面目な顔で言い、それから少し口調を改めた。
「先の戦で功を立てた者がサイダル攻めを提案してきたのだ。その者をサイダル攻めの任から外せば、何かあったのかと皆が疑念を抱くであろう。違うか?」
「それは……」
ウルリスは言葉に詰まる。父の言う通りだからだ。
それでもウルリスは父に言葉を返す。
「しかし先鋒の任は重すぎます。フィオレには、もっと安全で楽な任をお与えください」
だが父は首を横に振った。
「わしもフィオレの身は案じておる。だが他にできそうな任がないのだ」
「どういうことですか、父上?」
するとオルバは地図を示した。
「今回の戦は、オルフィンがティゲル城に兵糧を集め、サイダル王を威圧するところから始まる。ティゲルから渡河すればサイダル王家の本拠地への最短ルートだ。当然、サイダル王は本拠地の守りを固めるであろう」
オルバの指が示しているのはリュジオン河の上流、山岳地帯の小国たちとの国境地帯だ。下流の沿岸域からはかなり離れている。
サイダル王の本拠地もまた、山岳地帯に近い平野部に広がっていた。
「ここでフィオレがルマンデ城からリュジオン河を渡り、沿岸部へ進軍する。真逆の方向ゆえ、敵の守りは薄い。狙いはファルガ港だ。ここを包囲して兵糧攻めにする」
「お待ちください父上。その場合、海路を封鎖するのは……」
自分の役目ではないかと期待したウルリスだったが、オルバはニヤリと笑う。
「わしが行く。いかに初陣を果たしたとはいえ、艦隊を率いるのはフィオレには無理であろう」
「それでしたら私が艦隊を率います」
「ならん」
「ではフィオレと共に進軍いたしますので」
「それもならぬ。あのな、ウルリスよ」
オルバは「ふーっ」と溜息をつき、息子の顔を見つめた。
「シュテンファーレン宗家の跡取りはお前しかおらんだろうが。未婚のお前が戦死すれば、宗家の男系が絶えるぞ。責任ある立場だということを忘れるな」
「それは……そうですが」
「お前はこの王城に留まり、わしの名代として国政を代行するのだ。今のお前にはそれだけの能力がある」
そう言ってオルバはウルリスの肩を叩いた。
「お前はよくできた息子だ。この国を託せるのはお前しかおらんと思っている。今のうちにわしがフィオレを鍛え上げておくから、お前が即位したらせいぜいこき使ってやれ」
「はい……」
父からの信任の言葉。本来なら喜ぶべきはずなのに、なぜかウルリスの気持ちは沈み込んでいた。
(この焦燥感は何だ? 私は何に焦っている?)
自問したウルリスは、すぐにその答えに辿り着く。
(フィオレだ……。私はフィオレが恐ろしいのだ。あの得体の知れない実力が恐ろしい。だがそれを父上に話したところで、『後継者はお前だ』と言われて終わりだろう)
ウルリスはしばらく沈黙し、それからニコリと微笑む。
「ありがとうございます。内政を担う大任、しかとお引き受けいたします」
「うむ。お前が無事でいてくれれば、戦の結果がどうなろうともユナトは滅びるまい。遠征軍への補給が途絶えぬよう、しっかり取り計らってくれ」
「はい、父上」
頭を下げたウルリスは、内心で全く違うことを考え始めていた。
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