第35話
第2部開始しました。毎週水曜更新です。
「来たか」
桟橋に近づいてくる舟を見て、サイダル軍の降将はゆっくりと立ち上がった。
名門ハンマネル家当主の実弟で、名をコンベクスという。ガソー公スティルグと共にユナトに侵攻し、フィオレ姫に敗れて投降した工兵隊長だ。
彼のために用意された天幕には、見送りのためにユナト王女フィオレと幕僚たちが同席していた。
「名残惜しいな、コンベクス殿」
自分の娘よりも幼いフィオレ姫がふんぞり返って言うので、コンベクスは微笑みながら一礼する。
「次は負けませんぞ」
「それは残念だな、また捕虜にしてやろうと思っているのだが」
フィオレ姫はそう笑い、天幕の外に歩いていく。コンベクスも続いた。
外ではあちこちで農民たちが土木工事を行っている。ユナト軍は戦場となったルマンデの渡し場に築城するつもりなのだ。
(工事の進捗は遅いな。あちらの土手に倉庫と宿舎が見えるということは、腰を据えて長期の工事をするつもりだろう)
野戦築城の専門家であるコンベクスは、倉庫の数などから工事の規模や工期について大まかな見積もりを立てる。
(渡し場を守り、我が軍の上陸を阻止するためには、この河川敷に築城する必要がある。地面を均して固めるだけでも来年の春までかかるだろう。護岸工事なども考えると、十年で建てば早い方か。ここを最前線とし、堅守する方針だな)
ほぼ人力で築城するため、大掛かりな工事は非常に長い工期を要する。コンベクスはフィオレ姫の意図をおおむね察した。
だが何食わぬ顔でこう述べる。
「あまり丈夫な城を建てないでください。私の仕事が増えますので」
「貴公の仕事を増やすための城ゆえ、それは難しいかもしれぬな」
フィオレ姫が笑い、それから桟橋を指し示した。
「さ、故郷に戻られるがよい。久しぶりに家族と会うがよかろう」
「ええ。それではまた、次の戦場にて」
「うむ。次に相まみえる日まで息災にな」
コンベクスは一礼すると、ハンマネル家の兵士たちが待つ桟橋へと歩き出した。
(急ぎ陛下に報告せねば)
* *
「行ったな」
リュジオン河を遠ざかっていく舟を見て、姫がにんまりと笑う。
紋章官として同席していた俺は、ほっとして肩の力を抜いた。
「別の場所から送り返すこともできたのに、わざわざ工事現場を見せるから驚きましたよ。手の内を見破られたらどうするんですか。彼は築城の専門家ですよ?」
ときどき怖いことを平然とやるんだよな、うちの姫様は。
すると姫が楽しげに笑う。
「以前のやり取りで、あやつは私が上陸阻止のための城を建てると思い込んでおる。あっちの宿舎や倉庫が城の中心部だとは、露ほども思わぬであろう」
そうかなあ? なんでいつも自信たっぷりなんだろう。
だが前回の戦いで何となくわかったのだが、こういうときは姫が「正解」にたどり着いたと思っても良さそうだ。
俺は主君を信じることにして、とりあえず話を進める。
「実際には上陸阻止ではなく、こちらから攻め込むための後方拠点ですからね。宿舎と倉庫を柵で囲うだけですから、あと十日ぐらいで完成するそうですよ」
「よしよし。兵法は早さが肝要ゆえ、城の出来などどうでも良い」
この城では籠城しないから、防御施設としての機能は最低限でいい。もちろん防御力が高い方がいいのだが、リソースは有限だ。必要な場所に優先的に回さないと敵に勝つことはできないだろう。
それはわかるのだが。
「本当に今すぐ攻め込むおつもりですか?」
「当然であろう?」
姫は不思議そうな顔をして俺を見上げる。
「攻撃を命じたサイダル王としては、この大敗は相当な痛手だ。重臣を死なせておるゆえ、諸侯への睨みも効かせづらかろう」
その重臣を殺させたのは姫自身だけどな。捕虜に取らないと明言したし。
「まさかそこまで考えて、ガソー公を討ち取ったのですか?」
「いや、あのときは何となくこいつ殺した方が良さそうだなと思っただけで、深いことは全く考えておらなんだ」
そんな明るくにっこり笑われても困るんだが。人の生き死にが関わってるんだぞ。
まあでも敵側も自国の行商人を殺してたぐらいなので、「とりあえず殺しとくか」みたいなのがこの世界の常識なのだろう。俺は非常識でいいです。
姫は腕組みしながら胸を張る。
「ガソー家当主のスティルグは総大将として討ち取る一方で、副将であったハンマネル公弟コンベクスは捕虜として丁重に遇して送り返した。侵略者どもへの処遇としては、良い落とし所であったと思わぬか?」
「その辺りは政治も絡んできますので俺には判断が難しいですが、姫がそう思われるのならそうなんでしょう。俺はただの紋章官です」
前述の通り、俺はこちらの世界では「非常識」なので、相手の対応を読み違えることがよくある。姫の判断を尊重した方がいいだろう。
すると、さっきから背後でずっと黙っていたメステスが口を開いた。
「でもねえ、攻め込むといっても姫には軍権がありませんよ? どうするんです?」
「ああ、そんなことか」
姫は法衣姿の美青年を振り返ると、手をヒラヒラ振ってみせた。
「ルマンデの戦いにて大功を立てたゆえ、そのへんは父上が融通してくださるであろう」
「そうですかねえ?」
「というかだな、そういう交渉をまとめてくるのがおぬしの仕事ではないのか」
メステスが懐疑的なので、姫はほっぺを膨らませる。
メステスは小馬鹿にしたように肩をすくめた。美形がやるとなんかムカつく。
「命令なら、やるだけやってみますけど?」
「命令だ、め・い・れ・い」
姫がメステスの胸元にビシリと指を突きつけた。
* *
隣国サイダルの侵攻を鮮やかに撃退したフィオレ姫の武勇伝は、一気に国中の噂となった。
と、メステスが言っている。
「どこに行ってもフィオレ殿下の話で持ちきりだよ。まあ僕が噂を広めたんだけどね」
姫は現在、ルマンデに築城するために本拠地のマルダー村を留守にしており、メステスはマルダー村や王城との連絡役として毎日出歩いている。
そのメステスが行った先で噂を広めているので、効果は大きいようだ。
「おぬしもなかなかの策士よな」
姫はうなずきつつ、城の広間でふんぞり返っている。
まあ城はまだ建ってないんだが。今はまだ縄張りをしている最中なので、子供のごっこ遊びと大差ない。
「この広間、間取りが変ではないか? 無駄に広い気がするのだが」
急に姫が首を傾げたので、俺が図面を見ながら説明する。
「ここは兵士や地元民を収容する仮設の宿舎にしたり、倉庫に置ききれない物資を一時的に保管する集積所にしたりと、多目的に使われる予定です」
ルマンデ城(仮称)は隣国のサイダルに攻め込むための後方拠点として建築するので、空きスペースは全部宿舎か倉庫になる。人員や物資を収容するのがこの城の目的だ。
姫は四方にロープを張った広い空き地の真ん中で、仁王立ちになったままメステスに問う。
「それで、皆は私のことを何と申しておるのだ」
「ええ。『一夜限りの名将』とか『運がいいだけの小娘』とか『王太子の手柄を横取りした妹』とか」
俺の語学力に問題なければ、全部悪口に聞こえるな。
案の定、姫がお怒りだ。
「失敬な奴らだな……。農民から貴族まで、皆がそう申しておるのか?」
「主に貴族連中ですね。未成年の女性が戦で手柄を立てたというのが、大変気に入らないようですよ」
どこか楽しそうにメステスが言うが、姫は不快そうに腕組みをする。
「戦に男も女も関係あるか。そんな間の抜けたことを言っておるから、私が代わりにやってやったのだぞ」
「仰せの通りかと」
そう発言したのは俺ではない。メステスだ。
意外にもメステスは姫に頭を垂れる。
「正直に言えば僕はまだ姫の実力を完全には信じていません。しかしルマンデに上陸したサイダル軍を壊滅させ、総大将のガソー公を討ち取ったのは姫です」
厳密に言えば討ち取ったのはカナティエなんだが、彼女は姫の剣だから姫の武功でもある。
メステスは続ける。
「なので、その辺りの誤解もしっかり解いておきましたよ。感謝してくださいね」
「一言多いのがおぬしの悪いところだな。それを言わねばもっと評価されようものを」
姫が苦笑すると、メステスは薄く笑う。
「こんな無礼な男を召し抱えようという物好きにしか仕えたくないんですよ。諂いの仮面を被ったままでは息苦しくて」
キラキラした金髪の美形がそういうことを言うと非常に絵になるのだが、姫はどうでも良さそうな顔で流す。
「別におぬしに諂われても嬉しくないからな。今後も無礼の限りを尽くすがよいぞ」
「ありがたき幸せ」
変な主従だよ。
姫は満足げにうなずき、俺に向き直る。
「この様子であれば、父上にサイダル攻めを提案するぐらいは許されるのではないか?」
「どうでしょうね。ただいずれにせよ、『サイダルを攻めよう』では相手にされないと思いますよ」
俺がそう言うと姫もうなずく。
「無論だ。具体的にどこをどう攻め、何が必要になるかを具体的に立案しなくてはな。ということで、まずはそこを話し合うとしよう」
俺は軍師じゃなくて紋章官なんですけど……。
※書籍第1巻が4月20日にオーバーラップノベルス様から発売予定です。巻末書き下ろし小説も収録しています(第1部と第2部の間のエピソードです)。




