第33話
ウルリス王太子は俺を手近な天幕に引っ張り込んだ。
「この者と二人だけで話がしたい。すまぬが少しばかりこの場を貸してくれ」
王太子の命令なので、休憩していた兵士たちが慌てて出ていく。ちょっと不満そうだが仕方がない。俺だって不満だ。
人払いが済んだところで、王太子は俺を見つめてくる。
「昨夜の夜襲に私は反対だった。どうせフィオレも勝算がないと判断して、途中で引き返してくるのではないかとすら思っていた。だが実際にはこの結果だ」
王太子の声に憤りや困惑はない。いたって冷静だ。
「そなたの友人の神官にも聞いてみたが、あの者も私と同意見だった。なぜこんな策が成功したのかわからぬ、とな」
実は俺も同意見なんですよ。正直、ぽかーんとしている。
それなのに王太子は俺に詰め寄ってきた。
「そなたの個人的な意見で構わぬ。なぜこのような無謀な策が成功したのか、そしてなぜフィオレがこの策を選んだのか、そなたの見解を聞きたい」
言葉は丁寧だが、下手にはぐらかすと後が面倒くさそうだな。この王太子様、なんというか湿っぽいところがある。メステスと同類だ。
俺はどう答えたものか迷ったが、はぐらかす自信もないので正直に答えた。
「姫の『後背からの夜襲で敵を前に突出させる』という夜襲案は、成功の確証があった訳ではありません。私自身、この策はほとんど賭けのようなものだったと考えております。敵側の情報も十分に把握できておらず、あの状態での夜襲は五分以下の賭けでしょう。普通に考えれば愚策です」
「そなたもそう思ったのだな」
王太子の声には、どこかホッとしたような響きがあった。
だがすぐに彼は問いを重ねる。
「ではなぜ反対しなかった」
「平民上がりの紋章官が反対して、止まる御方だとお思いですか」
「いや……」
あっさり認めたよ、このお兄ちゃん。妹のことをよく理解しておいでだ。
「だがそなたが本気で諫めれば、フィオレは思いとどまったかもしれぬ。あの子はそなたのことを随分と信用しているようだからな」
そうかな? 俺にはわからないよ。
俺は率直に答える。
「本気でお諫めするべきだったのかもしれませんが、姫を見ているとなんとなくやれそうな気がしてきてしまったのですよ。軽率だったかもしれませんが、結果的に勝った以上、とやかく言えません」
俺はそう言い、今度は逆に王太子に質問する。
「姫は『五分の賭けならやってみよう』という御性分です。翻ってウルリス殿下は『五分の賭けなどやらない』とお考えなのではありませんか?」
俺がそう言うと、王太子はギョッとしたような顔をした。
「それは……認めよう。その通りだ。いずれ一国を預かる者としては、五分の賭けなど論外だ」
そう、それが正しい。五分の賭けを試すよりも、確実に勝てる策を考えるのが将の務めだろう。
ただ例外もある。
「今回の策は姫の手勢十名と、近隣の漁民たちで行いました。つまり兵力の損失はほぼ無視できます」
「だがフィオレの命がかかっていたのだぞ」
「素人目にも無茶な作戦を行うのです。将も命ぐらい賭けねば人はついてこないでしょう」
俺はそう言い、さらに続ける。
「敵の兵力、装備、練度、士気、いずれも脅威としては小さいと姫は判断なさいました。最大の脅威は名門ガソー家の当主が総大将だったことですが、彼の所在は私が押さえていました」
「そこも気になっているところだ。まさかスティルグ・ガソーほどの重臣を討ち取れるとは思わなかった」
そっちは別に難しい問題じゃない。
「彼はサイダル王と不仲でしたから、損な役回りを押しつけられたのでしょう。失敗して逃げ帰れば処罰できますから、サイダル王は後詰めをわざと送らなかったのかもしれません」
そこらへんは不明だが、宮廷の事情に詳しい者ほど不安を感じていたはずだ。兵たちが簡単に逃亡し、副将たちがあっさり降伏したのも、誰も命懸けで戦う意味を見いだせなかったからだろう。
「ただ、これも結果論に過ぎません。確証があった訳ではありませんから」
王太子は整った眉を寄せて、難しい顔をしている。
「では無謀な賭けに勝っただけ、ということか……」
「そうかもしれません」
そこんとこは俺にもまだわからないんだよ。
でも、これで答えることは全部答えたと思う。
「失礼、姫のお側におらねばなりませんので」
退席しようとしたとき、王太子が俺の肩をつかむ。まだ何かあるの?
「ではなぜ、そなたはそのように熱心にフィオレを支えている? このような無謀な賭けを繰り返せば、いつかはそなたも破滅するぞ。それがわからぬそなたではあるまい」
それはそうだな。
「仰る通りです。ですが……」
俺は苦笑するしかなかった。
「あの方となら破滅するのも悪くない。そう思えてしまうのですよ。困ったものです」
王太子がぽかーんとした表情で俺を見ているので、俺は軽く一礼する。
「では失礼」
* *
紋章官の後ろ姿をじっと見つめながら、ウルリス王太子は恐怖していた。
(あれほどの知恵者が「破滅するのも悪くない」だと!?)
一瞬、彼がフィオレに恋愛感情を抱いているのだろうかとも考える。身分の差はあるが、感情は身分の差など軽々と越えてしまう。
だが王太子はすぐにそれを否定した。
(いや、エンド卿は堅物との評判だ。城内の誰に聞いても一貫している。今の言葉にも、そういう響きは感じられなかった。となると……)
そこまで考えたとき、王太子の唇から兵法書の一節が自然と流れ出した。
「家臣が喜んで命を投げ出す者こそ、王の王たる者なり」
ハッとして慌てて口を閉ざすが、王太子はその言葉をどうしても認めらない。
(フィオレが王の中の王だというのか? まだ十四歳の妹が?)
やがて紋章官と入れ違いに兵士たちが戻ってくるが、彼らは立ち尽くす王太子に声をかけることもできず、遠巻きに見守ることしかできなかった。
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