第32話
* *
ウルリス王太子は半信半疑といった様子で、諸侯の兵を街道に布陣させていた。
側近の一人が半信半疑どころではない様子で王太子に問うてくる。
「本当に……敵の方から出てくるのでございましょうか?」
「フィオレがそう申した以上、兄としては信じるしかあるまいよ」
ウルリス王太子は苦笑しつつ、眠気覚ましの濃い茶を飲む。
「フィオレは昔から自分の言葉に責任を持つ子だった。ましてや戦場で自分や多くの部下たちの命を懸けているのだ。いい加減なことは申すまい」
きっぱりと言い切り、ユナト産の濃茶をぐっと飲み干す。
それから王太子はふと、不安そうな表情を浮かべた。
「本当に来るのか?」
「そう、申されたのですよね?」
「ああ……」
敵の出城を包囲するように兵を布陣し、同士討ちが起きないように配置や動き方にも苦心した。万が一に備えて速やかに退却できるよう、退路も確保してある。
(ここまでやった以上、様子見程度でいいから敵が出てきてくれないと困るな)
夜に兵を動かすと翌日の行動に支障が出る。ゆっくり休みたい兵士たちからも不満が出る。
さらに言えば諸侯に対するメンツの問題もある訳で、正直に言えばウルリス王太子は乗り気ではなかった。
(しかし……)
ウルリス王太子は思う。
(父上がフィオレに紋章官や領地を与えたのは、ただの溺愛とは思えない。いくら娘たちに甘いとはいえ、遊びでそのようなことをする父上ではない。だとすれば)
思考を表に出さないよう気をつけながら、ウルリス王太子は静かに息を吐く。
(父上はフィオレに後継者の素質ありとお考えなのであろうか)
うーん……と悩むウルリス王太子。
(確かに妙な覇気というか、何かやってくれそうな雰囲気は感じるんだよなあ。弟だったら頼もしい右腕として信頼していたかもしれないのだが)
そこでウルリス王太子はいつもの結論に達する。
(いくら才能の片鱗を感じようとも、フィオレは王女だ。王女ではどうにもならぬ。とすれば、父上は私に「妹に追い越されぬよう、王太子の地位に甘んずることなく励め」と仰りたいのではなかろうか)
割と妥当な結論に達したので、ウルリス王太子はうんうんとうなずきながら従卒の兵に茶器を渡す。
「もう一杯もらおう」
そのとき、前方から微かに声が聞こえてきた。かなり遠くで大勢が叫んでいる声だ。
「何事だ」
「見て参ります」
近衛騎兵がザッと馬を駆けさせ、その場を立ち去る。
そしてすぐに戻ってきた。
「敵です! 敵とおぼしき歩兵が多数迫っております!」
「なんだと!?」
ウルリス王太子はすぐさま全軍に命令を下す。
「突出した敵を包囲殲滅せよ! 一兵たりとも討ち漏らすな!」
ウルリス王太子は兜のバイザーを下ろすと、従卒が差し出した槍を受け取って軍馬を走らせた。
あるベテラン騎士は、日記に「敵は完全に統率を失っており、戦うためではなく逃げるために走っているように思われた。いずれにせよ、これほどまでに一方的な戦いは見たことがない」と書き記している。
* *
俺たちが城門の方におそるおそる向かっていくと、当然のように敵が出てくる。逃げる敵ばかりではないからだ。
「むっ、なんだお前ら!?」
そう叫んだ敵兵は、大変不幸なことに槍の餌食になった。カナティエの手柄がまた増えてしまったな。それにしてもカナティエめちゃくちゃ強い。
「カナティエ殿がここまで強いことを、姫はご存じだったのですか」
俺が問うと、姫は自慢げにうなずく。
「当然であろう。シドール家の一門はとにかく豪傑揃いでな、その当主の娘が騎士になりたがっていると聞けば実力は十分とみたのだ。兄や従兄たちと互角に稽古していたと聞いておったしな」
なるほど、ちゃんと見極めた上で登用していたという訳か。
ただ俺は言葉にできない違和感を胸に抱えていた。
この夜襲といい、俺やカナティエの起用といい、どこか危うさのようなものがつきまとう。俺だったら絶対にやってない。
それがフィオレ姫の未熟と無謀なのか、それとも俺には見通せない何かが見えているからなのかは判断がつかなかった。
まあいいか。どちらにせよ、俺はこの少女についていくと決めたのだ。彼女が天賦の才に恵まれた覇者であると信じることにしよう。
まばらにこっちに向かってくる不幸な敵兵を突き伏せながら、カナティエが槍をヒュンと振る。
「姫様、これ以上の突出は危険です」
「むっ、そうか。王器たるもの、戦場においては将器の言葉に耳を傾けなくてはな」
こんなふうに意外と素直なところもあるしな。
そうこうするうちに、本当にユナト軍が小舟で上陸してきた。王太子が待機させていた二百ほどのベテラン兵だろう。こういう無茶な任務にも対応できる歴戦の強者たちだ。
「姫、こちらにおられましたか」
「うむ、御苦労。後は任せたぞ」
偉そうにうなずく姫。偉そうにしているが、実は指揮権がないので彼らに命令することはできない。あくまでも王太子の兵だ。
しかし先陣を務めた者として、これぐらいは言ってもいいだろう。
「姫、こう仰るのがよろしいかと」
俺は屈んで、姫の耳元でこしょこしょささやく。
「なんだ、この忙しいときに……ほう、なるほどな!」
姫はパッと明るい顔になり、暗闇に声を轟かせた。
「ものども! 松明と共に我らの旗を掲げよ! ここはユナトの地なり!」
「おおおーっ!」
指揮権など飛び越して、ユナトの精鋭たちは鬨の声をあげたのだった。
そして翌日。
「苦労して大砲を運んできた余が馬鹿みたいではないか、なあウルリスよ」
ユナト国王オルバが苦笑いをして、占領した陣地の視察をしていた。
既にこの陣地はユナト軍が完全制圧しており、サイダル軍は散り散りになって逃げている。主立った敵将や騎士たちは全員投降した。
副将格だったハンマネル家の将軍も工兵隊と一緒に投降したため、もはやサイダル軍には指揮系統が存在しない。完全勝利といえるだろう。
「一夜にして砦を築いたサイダル軍も見事ではあったが、それを一夜にして奪い返すとはさらに見事なものよ。我が後継者に相応しい」
上機嫌でしゃべる国王。話しかけている相手はもちろんウルリス王太子……なのだが、国王の視線は隣のフィオレ姫に向けられているような気がする。なんとなく。
ただ一応、ウルリス王太子が返答をする。
「恐縮です。ですが私は本陣に留まり、父上の御到着をお待ちするつもりでした。夜襲を成功させたのはフィオレの功績です」
「そうか」
国王はあっさりとうなずき、それから姫に向き直る。
「お前も兄の与力ぐらいは務められるようになったな。こうして実戦で手柄を立てた以上、もはや誰もお前を小娘と侮ることはできまい」
「はい、父上!」
目をキラキラさせて、鼻息荒く姫が応じる。姫の後ろに控える俺たちは互いに顔を見合わせた。メステスが溜息をついている。
「ああいう無茶はこれっきりにして欲しいんだけどね。本陣で待ってる間、生きた心地がしなかったよ」
俺もだよ。全く同感だ。
しかしカナティエは興奮している。
「今後もますます奮起しなくては……」
良くない成功体験を植え付けてしまったかもしれない。今後が心配だ。
そんな家臣たちの苦労を知ってか知らずか、国王は姫に笑いかける。
「この地はサイダル軍が橋頭堡として狙っていることがわかった。余とウルリスは王城に戻らねばならんが、ここを任せられる王族が一人欲しい」
「はいはいはいはい!」
挙手して連続ジャンプする姫。そういうところはまだ子供だ。
国王はそんな姫の頭をわしゃわしゃ撫でて、にっこりと笑う。
「ではフィオレよ。この砦を拡張して築城せよ。普請と駐留のため、余の兵を百……いや百五十ほど預けておく」
「ははっ! 謹んでお受けいたします!」
言葉遣いは立派だが、子供丸出しのはしゃぎっぷりで姫が笑顔を見せる。楽しそうだな。俺は大変だけど。
「ではその辺りの相談も詰めるとしよう。ついて参れ」
国王が姫を手招きしたので、俺も姫の側近として随伴しようとする。
そのとき、王太子が俺の腕をつかんだ。なんだなんだ?
「少しばかり話を聞きたい。ついてこい」
またか。強引な男は嫌われるぞ。




