第29話
こうして俺はまた、サイダル軍の陣地へと向かうことになった。しかも日没後にだ。
「王家よりの密使と聞いていたが……まさか、また貴様とはな」
スティルグ将軍が渋い顔をしているが、俺は気にせずに薄く笑ってみせる。
「いちいち別の使者を立てるのも手間というもの。今宵は王家の使者ではなく、殿下の密使として参った」
「王太子の?」
俺が「殿下」と言ったので勝手に王太子のことだと勘違いしたようだ。国王なら「陛下」だもんな。
ただ、王女だって立派な「殿下」なんだけど、そっちは失念しているな。まさか王女が敵陣に密使を送ってくるなんて想像もしていないのだろう。
確かに俺も、こっちの世界では聞いたことがないな。世界初かもしれない。いくら乱世とはいえ、王女が軍を率いて戦うことはない。
だがここは誤解してもらう必要があるので、俺はわざとらしく溜息をついてみせる。
「無意味な念押しをなさるな。こちらも国王派に気取られては困るゆえ、早々に本題に入らせてもらうぞ」
「むう……」
俺が「国王派」などと適当な言葉をでっち上げたので、スティルグ将軍は話を聞く態度を固めたようだ。
「聞くだけは聞こう」
「かたじけない。王太子殿下はこの戦で焦って功を立てる必要はない。むしろ、ここで下手にしくじって即位後の治世に影響が出る方がまずい」
現国王の男子はウルリス王太子だけだ。一般的に、フィオレ姫とミオレ姫は王位継承レースの参加者とは考えられていない。
スティルグ将軍はフンと鼻を鳴らす。
「だから見逃してくれとでも言うつもりか」
「おかしなことを仰るな。むしろ逆だ」
俺は薄く笑う。
「逆だと?」
「そういった事情があるので今回だけは貴殿らの蛮行を見逃してやる、と言っているのだ。貴殿らはここに橋頭堡を築いてリュジオン河に橋を架け、ユナト侵攻の足がかりにするつもりなのだろう?」
スティルグ将軍は一瞬だけ眉をぴくりと動かしたが、平静を装って答える。
「答える必要はあるまい。俺は手の内を明かす愚将ではないのでな」
「貴殿が立場上そうとしか言えないのはわかっている。それゆえ、これ以上深入りはせぬ」
さりげなく「お前の言いそうなことなどお見通しだ」とほのめかしつつも、相手の心象を悪くしないために言葉を選んでおく。こいつの気分ひとつで俺は殺されてしまうからな。生きた心地がしないよ。
「それと昼間の件の報告をしておく。貴殿がサイダル漁民保護の名目で侵攻してきた件、当然ながらユナトは認めるつもりはない。国王陛下の軍が到着し次第、こちらへの攻撃が開始されるであろう。よろしいな?」
「よろしくなければ攻撃せぬとでも言うのか?」
素直じゃないなあ。時間稼ぎできたんだから素直に喜べよ。
こんなのにいちいち付き合っていられないので、俺は淡々と応じる。
「では用件はお伝えした。せいぜいうまくやることだな」
「それで交渉したつもりか?」
嫌味たっぷりの物言いだが、俺は薄く笑う。
「さて、どうかな? 俺も手の内を明かす愚将ではないので」
さっき言われたことをそのまんまお返ししてやった。ちょっと気分が晴れたぞ。
スティルグ将軍は右肩をピクリと震わせた。
その瞬間、俺の背後に控えていたカナティエがスッと前に進み出てくる。俺をかばう格好だ。
俺はやんわりと制する。
「ありがとう、だが大丈夫だ。この御仁は使者を斬るような愚物ではあるまい」
「ちっ」
舌打ちするスティルグ将軍。挑発されて反射的に剣を抜こうとしたのだろうが、理性で踏みとどまったようだ。
でもちょっと挑発しすぎたかな……。別にどっちでもいいが、今ここで交渉決裂するとカナティエの仕事が増えてしまう。気をつけよう。
だが俺の仕事はまだ終わっていない。むしろここからだ。
俺はあまり挑発しすぎないよう、だが舐められないように言葉を選ぶ。
「ところで貴殿、御自身が置かれた立場を理解しておられるかな」
「どういう意味だ?」
微かな殺気。演技で凄んでみせているのか、それとも本気でムカついているのか、俺には判断がつかない。
だが怯んでいても仕事ができないので、俺は続ける。
「兵法に『背水の陣』という言葉があるのはご存じであろう」
前世でよく聞いた故事成句だが、ユナトやサイダルにも同様のものがある。背後が水場だと退却できないのは異世界でも変わらない。
スティルグ将軍は俺の言葉に嘲るような笑みを浮かべる。
「何を言い出すかと思えば、俺を脅しているつもりか?」
俺は無視して言葉を続ける。
「ここにいるサイダルの軍勢には逃げ場がない。正面はユナト軍が抑えており、背面と左右は湾曲する大河に取り囲まれている」
「それゆえに鉄壁の守りなのだ。おぬしらも攻めあぐねておるのだろう」
そう言ってスティルグ将軍は笑う。
「それに後方は我がサイダルの領地。我が方の舟が自由に往来できる。素人が得意げな顔で兵法を説いている今もな」
よっしゃ、勝ち確定だ。
俺はうんうんとうなずいてみせた。
「なるほど、素人の出る幕ではなさそうだ」
「当然だ」
いやお前の返事は聞いていない。今のは独り言だよ。
だってお前はもう死んでいるのも同然だから。
さすがにそれを言う訳にはいかないのでどうしたものかなと思っていると、絶妙なタイミングでサイダル兵が駆け込んできた。
「将軍! 河の……あっ!?」
敵方の使者が来ていることを知らなかったのだろう。サイダル兵が慌てて言葉を飲み込む。
スティルグ将軍はじろりと部下を睨む。
「構わん。申せ」
「はっ、しかし……」
「このような小者を気にせずともよい。申せ」
言ってくれるなあ。俺はサイダル兵にニッコリと微笑み、手振りで「どうぞ」と勧めておく。
サイダル兵はだいぶ戸惑っている様子だったが、おっかない将軍の命令なので報告を行った。
「背後の河から敵襲があったと、一部の兵が動揺しております!」
「なんだと? 目視したのか?」
不機嫌そうな声にサイダル兵が震え上がる。
「いっ、いえっ! こうも真っ暗では、河の方は全く見えませんので!」
「おおかた味方の舟を見間違えたのだろうが……」
スティルグ将軍は俺を睨むので、俺は怪訝そうに首を傾げておく。
「何も聞いてはおらぬし、聞いていればわざわざ死地に来たりはせんよ」
「なるほど、聞くだけ無意味か。おい貴様、こやつらを見張っておけ」
サイダル兵にそう伝えると、スティルグ将軍は俺を押しのけて外に出ていった。
既に夜襲の報は全軍に伝わっているようで、あちこちから叫び声が聞こえる。
「なんだ、どうした!?」
「敵襲だ! ユナト軍が河から攻めてきた!」
「弓隊、ただちに迎撃しろ!」
「違うぞ、あれは味方の舟だ! 射るな!」
「ど、どっちなんだよ!?」
どっちなんだろうねえ。実は俺にもわからない。
無線機も暗視装置もないこんな時代じゃ、夜襲の真偽を確認するのは困難を極める。
だからここからの行動は賭けになる。
不安そうな顔のサイダル兵が窓に視線を向けたとき、俺は符牒を口にする。
「さて、『月は出ている』かな?」
「ぐっ!?」
次の瞬間、不幸なサイダル兵が呻きながらのけぞる。
刀身が兜と鎧の隙間を捉え、頸椎を正確無比に刺し貫いていた。切っ先が喉笛から飛び出している。
刺突を放った姿勢のまま、カナティエが残心している。抜刀した瞬間すら見えなかった。まさに神速の一太刀だ。
「ふぅっ……」
静かに息を吐き、カナティエが剣の切っ先を下ろす。喉を貫かれたサイダル兵がゆっくりと床に横たわると、カナティエは鎧の背中を踏んで剣をグッと引き抜いた。
「失礼」
血糊を払ってカナティエが詫びるが、たぶん殺害したことではなく背中を踏んだことを謝罪しているのだろう。
既に絶命しているサイダル兵にそっとマントを被せて隠蔽しつつ、俺も謝っておく。
「こっちの都合で命まで奪ってすまないな。せめて成仏してくれ」
「ジュナン殿、ジョーブツとはなんですか?」
「ああ、冥福を祈るときの故郷の言葉ですよ。それはさておき、ここからはカナティエ殿が頼りです。よろしくお願いします」
俺が頭を下げると、カナティエが兜のバイザーを上げてニコッと笑った。
「承知仕りました。姫様専属のジュナン殿を単騎でお守りするなど、まさに武門の誉れにございます。全て私にお任せください」
頼もしいな……。




