第28話
* *
「ということで、あちらはあくまでもサイダル漁民の保護が目的だと主張しています」
決死の覚悟で敵陣に赴いてきた割には、案外あっさりと戻ってきた俺たち。
だが命拾いしたのは素直に嬉しいし、紋章官として重要な仕事を果たせたのは何よりだ。
俺の報告を聞いているのは姫とウルリス王太子だ。
「兄上、どういたしましょう」
「敵の備えが脆弱で、後詰めも到着していないのは好機だ。しかしそれをこちらに見せることで、敵陣に誘い込むつもりかもしれない」
さすがに王太子だけあって、軍略も心得ている。こちらが迂闊な攻め方をして消耗すれば、次の攻撃までにかなりの準備が必要になってしまう。
しかし姫は自信たっぷりに否定した。
「もし敵方がそれを企んでいるのなら、板塀の一カ所に敢えて隙を作り、そこに我らを誘い込む方が確実でしょう。しかし敵方はあの通り、板塀で隙間なく囲っています。あれでは攻め手がどこから来るか予想できません」
それもそうだな。敵を誘い込むなら防衛線にわざと綻びを作り、その奥をガチガチに固めるのが常道だ。誘い込まれた攻め手は退路を断たれ、壊滅的な損害を受ける。
だがウルリス王太子は慎重だ。
「貧弱とはいえ板塀を張り巡らされているからね。十分な厚みがあるようだし、騎兵では突破できないだろう。大砲が必要だ」
「大砲の到着より先に敵の後詰めが渡河してしまいますぞ、兄上!」
姫は焦っているようだ。尊敬する兄がこんなに慎重だとは思わなかったのだろう。
王太子は首を横に振る。
「集まった兵たちは近隣領主たちから預かったものだ。ここで痛手を受けると彼らが弱気になってしまう」
「迅速にサイダル軍を撃退せねば戦いが長引き、結果的にはこちらの被害も増えてしまいますぞ! 短期決戦に持ち込むべきです!」
うーん。姫の焦りはわかるが、王太子を説得するには少し弱いか。
俺が天才軍師ならここで一計を案じるところだが、俺は紋章官であって軍師じゃない。どちらかといえば、軍才があるのは姫の方だろう。
王太子が居並ぶ側近たちを振り返る。
「軽々に判断するのは危険だ。そなたらの意見も聞きたい」
そこで王太子の側近たちも順番に意見を述べたが、やはり慎重派が多数だった。
「判断を誤れば殿下の責任問題になりましょう。ここは国王陛下の御裁断を仰ぐべきかと」
「さよう。援軍が増えればこちらの選択肢が増えます。今はきゃつめらの動きを封じるのが得策でございましょう」
「私も同意見にございます。敵は十分な計画を練っており、こちらがどのような手を打とうとも対応してくるでしょう。後詰めが到着していないのも、誘いの手かもしれませぬ」
年配の侍従や騎士たちが口々にそう言うので、王太子は決心を固めたようだった。
「フィオレよ、すまないがそういうことだ。私は父上の名代としてここにいる。父上が出陣なさるまでは慎重に動かざるをえない」
「わかりました、兄上がそう仰るのなら私も従います」
思ったよりもあっさりと姫が従ったので、俺は内心で首を傾げる。
姫には指揮権がないから、ここでごねても見苦しいだけだ。良い判断だと思う。
でも俺の知っている姫は、そんな素直な少女ではなかったはずだが……。
軍議が終わり、俺たちは割り当てられた天幕へ戻る。
「本当によろしいのですか、姫?」
「よろしくはないのだが、あの場で他にどう言えと申すのだ。私とて兵法の道理を知らぬ訳ではないのだぞ」
ちょっと不機嫌そうに姫が言い、それからニヤリと笑う。
「だがまあ、おぬしには私の肚は読めておるのだろうな」
「いいえ。表向きは従うふりをしつつ、どうやって敵陣に強襲をかけるか考えておられるとしか……」
「何から何まで全部お見通しではないか。食えぬ男よ」
拗ねたような顔をしつつも、口元がにやけている姫。そうかそうか、理解者の存在が嬉しいか。だったら自重してくれ。いや、無理なのは知ってる。
「それで、何を企んでおいでなのです?」
「幼い頃に蟻の巣穴に水を流したことがあるのだが」
何の告白を聞かされているんだ、俺は。
「別の穴から蟻たちがわらわらと出てきおってな。後にそういう兵法が存在することを学んだのだ」
「その話、蟻の巣のくだりは明らかに必要ありませんでしたよね?」
「わかりやすい例えであろうが。じゃあ何か、おぬしはもっとうまく例えられるとでも申すのか?」
今ここで例え方の優劣を競う必要はないんじゃない?
俺は溜息をついたが、対抗心が湧いてきたので言い返す。
「キツツキは木の中にいる虫を捕まえるとき、わざと違う場所をつつくといいます。驚いて巣穴から出てきた虫を捕食するのですが、つまりはそういうことでしょう?」
「む……」
姫は一瞬黙り込み、それからうつむいてしまう。
しまった、姫の幼いプライドを傷つけてしまったか?
すると姫は懐から携帯用のインク瓶とペンを取り出した。
「なるほど、キツツキか。次からはそれでいくとしよう。忘れぬようにメモしておかねばな。これ、使っても良いか?」
「……どうぞ、御随意に」
心配して損した。そういやこの子、そんなちっぽけなことで傷つくような人間じゃなかった。いろいろ危なっかしいが、器は大きいんだ。
「それで姫は蟻の巣に水を流すおつもりなのですよね?」
「ええい、キツツキでよい。だが私には長い『嘴』がない。まだ雛鳥であるからな」
「我々の手勢は十人余りですからね。これでつついても何も響かないでしょう」
本隊は動かないし、俺たちの手勢では何もできない。完全に詰みだ。
まあでも、ここで変なことをすれば姫が戦死する可能性だってある。この子が死んだら俺は悲しいし、ミオレ姫も深く悲しむだろう。余計なことをさせないよう、俺が見張っておかないとな。
姫の思考を逸らすために、俺は話題を変えることにする。
「ところで姫」
「なんだ?」
「敵将がこの宝剣『ウィルベルニル』を見て大変驚いておりました」
「ふふん、それは王家の正統性を示す家宝であるからな。おぬしがそこらの紋章官とは別格であるとわかるはず。さすがに斬るに斬れまい」
なるほど。姫なりの気遣いという訳か。
「ありがとうございます。おかげで助かりました。ですが、敵将の驚き方があまりにも激しかったのがいささか気になりまして。何か曰くつきの剣なのですか?」
すると姫は事もなげに答える。
「あー、そういえば何かあったな。戦場でそれを見た将は必ず死ぬとかなんとか。ま、くだらぬ迷信よ」
「いやいやいや」
俺は慌ててウィルベルニルの鞘を押さえる。魔剣の類じゃないか。
「敵方の紋章官がそんな物騒な代物を佩いてたら、普通の人はビビりますよ!? 紋章官の剣はあくまでも身分を示し、身を守るためのもの。殺害予告を伝えるものではありません」
俺の抗議に対しても、姫は軽く笑うだけだ。
「すまんすまん、私はそのような迷信には頓着せぬので忘れておったわ。考えてもみよ、そんな迷信が真実ならウィルベルニルを掲げて敵陣に突っ込めば百戦百勝……んん?」
姫が急に笑うのをやめて、真剣な表情で腕組みを始める。
「そうか、なるほど。おお、そういう戦い方もあるのか!?」
どういう戦い方? あっ、言わなくてもいい。わかっちゃった。わかりたくないけど。
俺はこれから自分に降りかかる悲劇を確信しつつ、一応確かめておく。
「もしかしてまた、俺を敵陣に送り込むおつもりですか? この剣と一緒に?」
「おお、話が早いな! さすがは私の見込んだ男よ!」
満面の笑みを向けられて、俺はもううなだれるしかなかった。
「せっかく生きて戻れたのに……」
「安心せよ。またカナティエをつけてやる」
どこがどう安心なんだよ。
ああもう、行けばいいんだろ。行けば。




